「神様からの贈り物」

~扁平上皮癌との闘い~

まだ数年は続くと思っていた、愛猫「ぺい」との平凡な日常。
しかし、その後の誤診と突然の癌宣告...。
それでも、再び元気になれる奇跡を一緒に夢見た記録です。

■第五章 神様からの贈り物

そもそも、命に永遠なんてない。いつか別れが訪れる事は分かっていた。出会いがあれば必ず別れがある。それは、仕方のない事。でも、そんな事、頭では良く分っていた。だけど、別れが現実になると、とてつもなく悲しくて悲しくて仕方がない。こんなにも悲しいとは思わなかった。ただ、一つ思うのは、悲しみの大きさは、それだけ多くの喜怒哀楽を共有してきたからこそなのだろう。愛情の大きさと、深く長い悲しみ。それは、決して、一緒に暮らしてきた時間が長いだけでは得られないものだと思う。

八月二十四日(日)

気づくと朝を迎えていた。昨夜は一度も目が覚めなかった。熟睡した。もちろん、疲れていたのかもしれない。でも、それよりも、ぺいが、やっと痛みや苦しみから解放されて安らかに眠っている事に安堵出来たという感覚の方が強かった。それにしても、やっぱり、夜が明けてもぺいは棺からは出てきてくれない。朝起きたと同時に、やはり死んでしまったのだという現実に襲われた。いつも、ぺいは、私が起きるまで静かに待ってくれている猫だった。そして、私が起きると同時に待ってましたの如く行動を始める猫だった。十数年間、そんな日常を繰り返してきた。でも、もう今までとは違うのだ。そんな事、良く分っている。でも、頭では良く分かっていても、なかなか心は現実を受け入れられにいる。

 

今日は、予定通り十二時過ぎに火葬場に出掛ける予定だ。ぺいの姿を見たり身体を触ったり出来るのは、もう本当に僅か。今から数時間後には、いくら願っても叶わない事になる。本当に貴重で大切な時間の始まり。今日もぺいの近くで少しでも多くの愛を与えたい。そうすれば、もっと幸せな気持ちで、ぺいは旅立てるのではないだろうか?あの世で周りの猫から羨ましがられて、鼻高々に幸せに暮らせるのではないだろうか?棺の中を覗いて見ると、ぺいは、花に囲まれて安らかに眠っている。正直、棺から取り出すのは少し気が引けた。でも、ぺいだって残された時間を私達と少しでも近くで過ごしたいはずだ。 やっぱり、取り出そう。そう決意した。まずは、棺の中に入れていた生花を一つ一つ取り出してゆく。そして、眠っているぺいを、やさしく抱えて床の上に寝かせてみた。癌で骨と皮だけになった頭は、直接、床面と接すると痛いかもしれない。自分では何も出来ないのだ。そこで、ティッシュ数枚を四つ折りにして頭の下に敷いてみた。これで大丈夫だろう。そして、「ぺい・・・」頭の中でぺいの名前を呼びながら、やさしく身体を撫でてみる。やっぱり、一夜明けてみても何も変わっていない。やっぱり、ぺいは亡骸になってしまったのだ。それが、現実だという事を容赦なく突きつけられる。ぺいという名前。このところは、頭の中で呼んでやるのが精一杯で、とても声にならなかった。でも、今は、声に出す事が出来る。尻尾や脚、耳や鼻、そして、舌、全ての部分に触れながら、「ぺい、良く頑張ったな」「やっと楽になれたな」そうして暫く撫でていた。でも、もっと、ぺいの全てを受け止めたい。そう思った。そこで、ぺいと同じように床に頭をつけて、ぺいの顔を上からではなくて目線を合わせるように真正面から見てみることにした。でも、それは、少し勇気のいる決断だった。ただ、それで、もし、何か伝わってくるものがあれば、どんな事でも全て受け止める。そこまで覚悟しての事だった。まず、ぺいの眼を見てみる。瞼は開いたまま。そんな眼を見ていると、長い間、苦しみに耐えてきた記憶が一つ残らず眼というレンズの奥にホログラムのように刻みこまれているように思えた。そして、下顎が完全に失われた口。折れて反り返った舌、長い間、床面と擦れて失われた上顎の毛。本当に顔はボロボロになってしまっている。そもそも瞼だって開いたままで、とても安らかに眠っているようには見えない。私は、ぺいの眼を見ながらぺいの名前を心の中で呟いた。もし、今、ぺいの魂が天井あたりに浮遊していて、こうして、亡骸に話し掛けている私の様子を見ていたら、私の事を、どう感じているのだろう?私は、ぺいの事が凄く好きだった。本当に本当に大好きだった。もちろん、少なからず嫌な部分もあったけど、それだからこそ愛おしかった。この気持ちは、絶対に永遠に変わらない。たとえ亡骸になったとしても何も変わらない。もし、ぺいの魂が、まだこの近くにいるのなら、今、私が頭の中に思っている事が少しでも伝わってくれたらと思った。そして、そんな事を思っていると母がやってきた。昨日、火葬に出発する一時間前の十一時頃来ればと伝えていたのに、まだ、十時になったばかりだ。母も残された時間、ぺいと少しでも一緒に過ごしたいのだろう。私は、トイレに立って、ぺいとの別れを、一旦、母に譲った。トイレから戻ってみると、母は、ぺいの亡骸を赤ちゃんを抱くように胸元に抱いている。それで、「ぺいちゃん、この家に来て幸せだったか?」「他の家には行ってないから分かんないよなぁ?」といったような事を、ぺいの顔を見ながら話し掛けている。私は、その言葉を聞いて思った。ぺいが入院する時に先生宛に渡してほしいとお願いしていた手紙の事だ。母は、あの日、手紙を先生が読んでいる時、ちらっと見えたぐらいのニュアンスで話していたけど、実は、先生に渡す前に、きっと、しっかり読んでいたのだろう。まぁ、別に読まれても良いと思って渡した手紙だったので何も問題はない。それにしても、母がぺいを抱いている姿が凄く羨ましく見えた。とにかく最後に無性に抱きたい。私も、そんな気持ちでいっぱいになった。それで、「ちょっと抱かして」と、母に伝えて、ぺいの亡骸を受け取った。ぺいの亡骸を母と同じように抱いてみる。自分も母と同じように抱けた事が心の底から嬉しかった。それにしても、身体を抱えた時、全身が死後硬直で硬くなっているから、一番重い頭部でさえ微動だにしない。まるで固められた剥製みたいだ。そして軽い。闘病中はぺいの負担になると思って抱けなかった。胸元に抱いてみて、あらためて凄く軽いことを実感した。その時、ふと思った。今日、火葬場で焼かれてしまったら骨だけになってしまう。骨だけに・・・。あっ、そうだ。剥製・・・。もしどうしても、このままぺいを永遠に残したいなら剥製にするという方法があるのかもしれない。当然、今まで剥製にするなんて発想の起源なんて考えた事もなかった。だけど、この時、初めて、この世に剥製というものが存在する理由が分ったような気がした。心から愛した動物の死。きっと、それによって向き合わなければならない事、そういった事を、どうしても受け止めきれなくて、剥製にするという発想が生まれたに違いない。私は、ぺいを胸に抱えながら剥製にする人の気持ちを考えていた。そして、自分自身の気持ちを、そこに重ね合わせてみた。でも、その前に、そもそも本当にペットを剥製になんて出来るのか?ただ、ペットを剥製にしてくれる業者は、探せば存在するような気がする。でも、もし仮にペットを剥製に出来たとして、本当に剥製にしてしまうなんて、あまりにも自分本位ではないだろうか・・・。もう愛するペットは死んだのだ。それが事実。そして、その事実は変えようがないのだ。死んだという事実そのものにも色々な意味があるような気がする。それなのに、もし剥製にしてしまったら、きっと、剥製にされたペットだって、死んだというのに死にきれないような気がする。さらに、そんな行為は、愛するペットを生と死との狭間で彷徨わせてしまって、本来、必要のなかった苦悩を、愛するペットに、それも永遠に感じさせてしまうのではないだろうか?もし、そんな事になったら、絶対に成仏も安らかに眠ることも出来ないだろう。でも、やっぱり、それでも剥製にするのなら、それは、結果的であっても魂よりも見た目の方を愛していた事になるように思える。私はどうなのか?私は違う。絶対にそんな事ない。もちろん、ぺいの見た目も好きだったけど、何より心を魂を愛していた。ぺいを胸に抱いた時、一瞬、剥製というイメージに結びついて少し考えてしまったけど、やっぱり、剥製なんて、あり得ないという結論に落ち着いた。

 

それにしても、いつも以上に時間が早く過ぎてゆく。もう、母が到着して一時間が過ぎた。出棺一時間前だ。そろそろ時間的にも少し余裕を考えて棺の中にぺいを戻さなければならない。そして、その事を母に伝える。すると、「まだ時間あるんだから、そんなに急がなくても良いんじゃないの?」という言葉が帰ってきた。私は、正直、その言葉が嬉しかった。母も、本当にぺいの事が好きになって、それでこその気持ちなんだろう。でも、母の言葉が一番嬉しかったのは、ぺいに違いない。そして、ぺいが嬉しく感じているだろうと思える事が、私は、何よりも嬉しかった。振り返ってみれば、ぺいと出会って十一年と数か月。数か月前の去年の年末には、家飼い猫の寿命は、平均十五年位みたいで、まだ三~四年は、一緒に暮らせるだろうと思っていた。でも、そんな矢先に突然の癌宣告。そして、外科的治療をしなければ数週間という余りにも短すぎる余命宣告。もちろん、突然の別れなんて受け入れられなかった。だから殆ど躊躇なく手術という選択をした。その後、放射線治療にも何度も通った。そして、ネット上の情報から藁をも縋る思いで見つけた冬虫夏草を与えたりもした。それと、口が動く間にと思って、とびっきり美味しいものを食べさせた。積年の念願だった玄関側の廊下にも出させてやった。とにかく、とびっきり愛情を注いだ。そして、神様へのお願いだって、ぺいをどうか助けてやって下さいと、毎日のように奇跡を祈り続けてきた。だけど、結局、神様は何もしてくれなかった。結局、助けてくれなかった。雨の日も風の日だって、いつも一分以上、手を合わせてきた。お賽銭だって、ぺいの回復を願えば安いものだと思って百円なんてざらだった。なのに、なのに・・・、どうして?何で?こんなにも頼んだというのに、何で何もしてくれなかったんだよ。何で、こんな心優しい猫を癌なんかで奪うんだよ。何でだよ・・・、どうしてだよ・・・。神様・・・、何でだよ・・・。そんな神様なんて・・・、何もしてくれない神様なんて。私は、ぺいが死んで、一夜が明け、ぺいが死んだという現実を再認識していた。そうしているうちに、突然、神様に対する不満で頭の中がいっぱいになった。そして、近くにいた母に神様に対する不満を耐え切れず口に出した。ただ、いい歳した大人が、たかが猫の為に必死にお参りしていたという事実とか、そのまま心境を包み隠さず話すなんて出来るはずがない。そこで、「実は、時々神様にお参りしてたりしてたんだけど、神様は結局何もしてくれなかったよ・・・」という表現になった。それは、不満を思いっきりオブラートに包んだ表現だった。毎日は、“時々”という控えめな表現になったし、神様への不満だって、実際に言葉にしてみると、“結局何もしてくれなかった”という表現が精一杯だった。

 

それにしても、どんどん時間は過ぎてゆく。ついに出棺予定の三十分前になった。そろそろ本当に出掛ける準備だ。「ぺい、そろそろ戻ろうか?」そう声を掛けながらぺいの顔を見てみる。すると、耳の汚れで少し気になるところがあった。でも、汚れが染みついていて簡単には落ちない。綺麗好きだったぺい。天国では、綺麗な身体で周りの猫から羨ましがられると良いな。そう思いながら丹念に拭いた。ぺいの為なら、ぺいが天国で少しでも幸せに過ごせるなら・・・、そんな思いで綺麗にした。そして、最後の最後まで残ったのは、胃から出ている胃瘻チューブだった。これは、ぺいの身体にとっては全く異質なもの。だから天国に行くときには取ってやりたかった。先生からは、口から食事が出来るようになれば、私が普通にバッと抜いちゃっても何も問題ないものだと聞いていた。ただ、もし、胃から液体のようなものが腹腔内に流れ出してしまったらなんて事を想像すると可哀そうで抜けなかった。そこで、折衷案として体外に出ているチューブを短く限界まで切った。これで、人間でいえば、一通り死に化粧的な儀式は終わった事になる。「じゃあ、ぺい戻ろうか?」そう声を掛けて、棺の中にそっと寝かせた。これから火葬場までは、自転車の荷台に棺を結び付けて向かう予定だ。そう思うと、ぺいの頭の事が気になった。ゆっくり慎重に走っても、道に段差があったら、その時、少し頭が跳ねて痛いかもしれない。そこで、私は、洗濯してあった黄色い涎掛けを四つ折りにして、ぺいの頭の下に枕替わりに敷いた。そして、生花を一本ずつ棺の中に戻した。天国では、綺麗な身体で沢山の花に囲まれて幸せに暮らせよ。そんな事を思いながらぺいの身体を沢山の生花で包んでやった。そして、「ぺいちゃん、じゃあ、そろそろ行くよ」と、声を掛けて、ゆっくり棺の蓋を閉じた。住み慣れた部屋を離れ、暗い棺の中に入れられて移動するのは不安だろう。火葬場に向かう事は、理解出来ていたとしても心積もりが必要だろうから、一声掛けてから出発したかったのだ。お手製のダンボールで作った棺には、蓋の表面にも色々な動物が楽しそうに遊んでいるラッピングを貼っている。天国では、みんなと一緒に楽しく幸せに暮らせよ。 そう思いながら蓋を閉じた。そして、棺を両腕に抱えた。棺は、自転車の荷台にゴム紐で結び付けなければならない。万が一でも、火葬場に向かう途中に棺が荷台から落ちるなんて事はあり得ない。だから、頑丈に固定して、母と一緒に自転車で火葬場に向けて出発。時刻は、十二時十分。ほぼ予定通りだ。右手を後ろの棺に当てて、ゆっくり細心の注意を払いながら自転車を走らせた。

 

そうして、火葬場に到着したのは、十二時四十分過ぎだった。予定よりも二十分ほど早い。でも、火葬場で本当に本当の最後のお別れをするつもりでいたので、概ね予定通りだ。火葬場の建物の前には、車を五台ほど駐車出来るスペースがあったので、私達は、その駐車場の入り口側の隅に自転車をとめた。周囲は火葬場の建物と同じぐらいの高さの樹で覆われていて、周囲から建物が見えないようになっている。気のせいか、凄くしんみりした空気が漂っている。まずは、自転車の荷台からゴム紐を慎重に解く。そして、棺を両腕に抱えて火葬場の入口に向かった。母に入口のドアを開けてもらうと、直ぐ目の前に受付があった。それで、十三時半の予約である旨と名前を伝えた。すると、「前の方が早めに終わったので、これから直ぐに大丈夫ですよ」との言葉。えっ!もしかして、予定していた最後のお別れをする時間がない?私は、一瞬、戸惑った。そこで、「すいません、少しお別れをしたいので、予定通り一時ぐらいからでも大丈夫ですか?」と尋ねると、「はい、大丈夫ですよ」との事。良かった。これで最後のお別れが出来る。そして、「それでは、受付の用紙を書いて貰えますか」という話があり、それと、猫の方は、体重を量りたいとの事で棺ごと預ける事になった。そうして、一旦、ぺいと別れて私達は、待合室に案内された。待合室には、ソファーとテーブルがあった。受付の用紙は、住所やペットの名前を書く程度の簡単なものだったけど、今、起きている現実を噛みしめるように、一字一字をゆっくり書いた。そして、全て書き終わり、その事を受付の女性に伝えると、「それではこちらにどうぞ」という事で、私達は、火葬が執り行われる部屋に案内された。

 

部屋に入ってみると、ステンレス製と思われる腰ぐらいの高さの台の上にぺいの棺が置いてある。ぺいの体重は棺の重さも入れて二・五キロだったそうだ。棺の中には、バスタオルや生花も入っているから、ぺい自身の体重は、多分、二キロ程度だろう。ちなみに、癌になる前は、六・五キロだったから、約四・五キロも減ったという事になる。これは、人間をイメージしてみると分かり易い。体重、六十五キロの人が二十キロになったという事になる。本当にガリガリの状態だ。そんな事を思っていたら、スタッフの女性から、「それでは最後のお別れをお願いします」との案内があって、スタッフの女性は部屋から出て行った。部屋の中は、ぺいと私達だけだ。私は、棺の中のぺいの頭や身体を何度も撫でた。「ぺい、ぺいちゃん・・・」ぺいの姿を見るという事、この毛触り、頭を撫でたときに手に感じる頭の丸み、本当に心の底からぺいの事が大好きだった。最後のお別れは、途中、母とも交代しながら、十分程、お別れの時を過ごした。そうして、部屋の外にいたスタッフに終わった事を伝える。すると、「それでは、これより準備に入らせて頂きます」「棺は、こちらの状態で宜しいですか?」という確認があった。私は、胃瘻チューブの事が最後まで気掛かりで、チューブは、家を出る前に短く切ってきたけど、このまま身体に埋め込まれたままの状態で火葬したら、どうなってしまうのだろう?素材がゴムだから溶けたゴムが骨に纏わりつきそうで、それが、気掛かりだった。そこで、私は、チューブを指差して、「これ、大丈夫ですか?」と聞いてみた。すると、「全部焼けてなくなってしまいますので大丈夫ですよ」との事。良かった。火葬の直前であっても、抜いてしまったら、自分がぺいの身体を最後の最後に傷つけてしまうようで、それには、抵抗があったからだ。もうこれで大丈夫かな?頭の先から尻尾の先まで確認してみると、今度は、頭の下に枕替わりに敷いていた黄色い涎掛けの事が気になった。棺の中にはバスタオルや生花も入っていたから、涎掛けも、それらと一緒といえば一緒だけど気になったのだ。棺ごと一緒に燃やしてしまうか、どうするか?癌になってから、長い間、纏っていた涎掛け。癌で腐敗して垂れてきたものを全部受け止めてきた涎掛けだ。何だか妙に似合ってもいた。何度も洗濯したし、首に何度も巻いた。そんな記憶が詰まっている涎掛け。もし、ここで一緒に燃やしてしまったら二度と取り返しがつかない。私は、頭をそっと持ち上げて涎掛けを取り出した。そして、「はい、これで大丈夫です」と伝えた。すると、火葬用の長細い台が炉の中から引き出された。そして、ぺいの棺は、その台の上に置かれた。それで、今度は、その引き出された台が棺と一緒に炉の中に戻ってゆく。ぺいの姿が見えなって、炉のドアも閉まった。棺が完全に視界から消えた。もう後戻りは出来ない。もう燃えてしまう。本当に、いよいよだと思った。そして、そう思った時、「それでは、こちらで、ご焼香をお願いします」との案内があった。炉の前に焼香台がある。私と母、まず私の方が先に焼香台の前に進んだ。そして、合掌して、おりんを三回鳴らした。一回だと簡素過ぎるような気がして三回鳴らした。焼香も三回、それで、最後に合掌した。そして、焼香を終えて戻ろうとした時だった、いきなり涙が凄い勢いで溢れてきた。ヤバい。母がいるのに・・・。いい歳した大人が猫の火葬で大粒の涙を流しているなんてところを見られたら恥ずかし過ぎる。私は、なるべく母に顔を見られないように俯き加減で少し遠回りに元々の場所に速足に歩いた。そして、私が戻り終えようとする時、今度は、母が焼香に向かった。母が焼香から戻ってくるまでに早く涙を止めなければ。そして、平静を取り戻さなければと焦った。母が焼香をしている間に手の甲で涙を拭ったけど片手だけだと拭いきれなかったので何度も両手の甲や手の平で拭き取った。そして、涙を必死で止めた。これで、なんとか取り繕う事が出来る。そう思って顔を上げた時、ちょうど母も焼香を終えて俯き加減で戻ってくるところだった。母も両目を隠すように少し片手を両目にあてたのが印象的だった。そして、これで、焼香が終わったと思った時だった。「それでは待合室の方でお待ちください」という案内が聞こえてきた。私達は、待合室に戻る事にした。待合室に戻る途中、骨壺や位牌などメモリアルグッズがガラス棚の中に陳列されている場所があった。この火葬場の立会葬では、遺骨を入れる質素な骨壺と覆いが、最初から葬儀代金にセットになっている。ただ、骨壺と覆いのデザインなどに拘りたい場合には、別途購入出来るものがあって、そちらの方に差し替える事も出来るのだ。私は、あらかじめ火葬場のホームページに掲載されていた内容を確認していたので、「すいません、骨壺と覆いは、これと、これに変えてもらえますか?」と、スタッフの方に確認した。骨壺は、色々な動物が、お花畑で遊んでいる絵柄が描かれたもので、骨壺を収める覆いは、猫と犬が星模様と一緒に刺繍されているものを選んだ。待合室に戻って部屋にある壁掛け時計を見てみると、十三時になるかならないか位だった。

 

待合室には、来た時も、部屋に戻ってみても母と私の二人だけだ。そういえば、火葬の部屋には炉が二つあったけど、おそらく一つは予備の炉で、同時に二組の火葬は行っていないようだ。でも、そんな事よりも、とにかく、もう少しでぺいが四方八方から火を浴びせられて燃やされてしまうという事の方が気になった。今日は、火葬の為に来たのに心の中では、まだ、気持ちの整理がついていない。ただ、何とかしたいけど仕方がない。そう何度も自分に言い聞かせた。でも、居ても経ってもいられずに、母に、「動物って火葬にどれぐらい時間が掛るのかなぁ?」と、呟いてみた。もちろん、母だって、そんな事を尋ねられても分らないだろう。私は、待合室から出てスタッフの女性に尋ねてみた。すると、三十分程との事。そうか、三十分か・・・。待合室に戻って母にも伝えた。そして、それから何とも言えない無言の時間が流れた。そして、それは、待合室に戻ってきてから五分程経った時だった。突然、「ゴーッ」という音が聞こえてきた。ガスの炎の音だと思った。ぺいが眠る棺に強烈な炎が四方から噴きつけられている。そんな様子が頭に浮かんだ。ぺいは、ぺいは、今どうなっているのか・・・。私は、思わず太腿の間で手を合わせていた。大切なぺいが、大切なぺいが燃えている。燃やされている。時計の針の進み具合が酷く遅く感じられた。もう止めてほしい。強烈な火。もう充分、燃えているのでは?まだか?もうやめてくれ!とにかく頭の中で考えるのは、そんな事ばかり。気が狂いそうだった。もう、ぺいは死んでいる。だから、火で燃やされたって熱さや苦しみなんて感じる訳がない。そんな事、頭では良く分っている。でも、どうしても、完全に気持ちを整理出来なかった。火葬を選んだ以上、もう現実として燃やしている以上、これは、仕方のない事、仕方のない事。「ゴーッ」と音のしている間、そう何度も必死に自分に言い聞かせた。そして、まだかまだかと何度も時計の針を見た。それで、時間にして十数分経過した頃だった。やっと、「ゴーッ」という音が鳴り止んだ。正直、ホッとした。本当に、本当に、随分、長く感じた。やっと、ぺいも長かった火炙りが終わって楽になれた。心底そう思えた。もうとっくに死んでいるのに・・・。この時、時計を見てみると、十三時十五分過ぎだった。やっと、ぺいも私自身も耐えて耐えぬいて解放された・・・。そう思った時、目の前に一冊の本があるのが気に止まった。どんな本かと思って手に取ってみると、それは、ペットを失った人が元気を取り戻せるようにという帯のついた本だった。私は思った。火葬場のスタッフが、直接、飼い主へ慰めの言葉を掛けるのも良いのかもしれない。だけど、それよりも、何も話しかけないで、このような本を、さりげなく待合室に置いてあるというだけの方が、飼い主の心境に配慮しつつ飼い主が深い悲しみから抜け出すには良いように思えた。そして、そんな思慮深さが凄く心に染みた。そして、手に取った本のページを捲りながら、呼ばれるのを待った。まだか、まだか・・・。ページを捲っていても本に書いてある内容は全く頭に入ってこない。もう少しで十三時半。そう思った時だった。待合室のドアが開いた。「それでは、火葬の方が終わりましたので、お骨上げをお願いします」という案内だった。待合室と火葬部屋の間には小さい受付の部屋があるけど十数秒程で移動出来る。私達は、再び火葬の部屋の方に移動した。

 

部屋に入ってみると、火葬の前にお別れをした台の上に、今度は、底の浅いトレーのようなものが置いてある。そして、その中にぺいの骨が整然と並べてある。そう、火葬が終われば骨だけになるなんてことは分かりきっていた。もちろん骨を見ても生前の面影なんて感じられない。でも、この骨がぺいだったという事実。そう思うと色々な思いで胸が一杯になる。そんな事を思っていると、「それでは、これからお骨上げをさせて頂きます」というスタッフの声が耳に届いた。私と母は、トレーのようなものの前に立った。尻尾の骨、爪の奥にあるという爪の形をした骨、下顎の骨、一つ一つ、骨の説明を聞いた。そんな説明の途中には、「下顎の骨は左側は残りませんでしたけど右側は少し残りました」という説明があった。私は、「手術で片方は骨がありませんでしたので・・・」と、その理由を話した。その後、喉仏は、どうして仏と言われるのか、ぺいの実際の骨を見ながら、その説明を聞いた。それは、喉仏の骨の形が、お釈迦様が座禅を組んで合掌している姿に似ていることから喉仏と言われますという内容で、そうして、いくつか骨についての話を聞いた後、骨上げについての説明があった。頭蓋骨は最後に上に乗せるので、頭蓋骨以外で一番大きくて持ちやすい骨から順番に骨壺の中に入れていって下さいとの事であったので、まず、私と母は、一緒に脚の骨とおぼしき骨を持って骨壺に納めた。そして、続けて、いくつかの大きな骨を拾い上げた。そうして、その後は、女性スタッフが何の骨か簡単に説明を交えながら骨壺に納めてくれた。細かい骨も灰のようなものまで刷毛と小さな塵取りで全て残らず骨壺の中に納めてくれたのが嬉しかった。そうして、最後の最後に頭蓋骨だけが残った。今まで何度、この頭を撫でてきたことだろう。そんな事が頭に浮かんだ。でも、蛆虫が湧いて苦しんだりもした。そんな色々な思いの詰まった場所。だけど、骨だけになった事で、癌はもちろん、嬉しかった思い出も、苦しかった記憶も全て一緒に消えた。そんな頭蓋骨は、骨壺の一番上に乗せられた。そして、ゆっくり骨壺の蓋が閉じられた。色々な動物が、お花畑で遊んでいる絵が描かれている骨壺には蓋にも絵が書かれてある。天国では、幸せに過ごしてくれよ。蓋が閉じられた時、改めてそんな事を思った。そして、骨壺は、最後に覆いの中に納められた。これで、火葬の全てが終わったことになる。時計を見てみると一時三十分だった。ぺいが死んだのが、前日の一時三十分だったから、ちょうど同じ時刻に火葬が終わったのだ。偶然だろうけど、数分たりとも時間がズレていない事に何か見えない不思議な力のようなものを感じずにはいられなかった。そうして、最後に会計を済ませた。「ありがとうございました」と、スタッフの方々に伝えて、いざ自宅に戻ろうと火葬場の建物から出たところで、「お戻りは自転車ですか?」と聞かれた。私と母が乗ってきた自転車が駐車場の片隅に見えての確認だろう。私は、「はい、そうです」と答えた。すると、「自転車のかごに骨壺を入れて帰られますと、ご遺骨が砕けてしまうと思われます」との事。言われてみれば確かにそうだ。私は、その話を聞き、手に持って帰ろうと思ったので、「何か袋のようなものはありませんか?」と聞いてみた。だけど、そのようなものは残念ながらないとの事。どうしょう・・・。すると、母が何かを思い出したように手提げカバンの中をゴソゴソ探っている。そして出てきたのがスーパーのビニール袋。さすが母。素晴らしい。普通、空のビニール袋なんて日頃持ち歩くか?と、男の自分としては思ったのだが、とにかく本当に素晴らしい。もし、一人で火葬場に来ていたら困り果てていたところだ。そんな訳で、母が持参していたビニール袋の中に覆いに収められた骨壺を入れて、その袋を車道とは逆側の手に持って慎重に来た道を戻る事にした。そういえば、つい一時間と少し前、この道を火葬場に向けて自転車を走らせていたのだ。そして、今は、骨だけになったぺいを持ち帰っている。複雑で何とも言えない気持ちだ。ぺいとの出会い。別れ。この十数年間という時間、いつも頭の中に思ってきたぺいの事。だから、想像以上に大きな存在だった。いつも居るのが当たり前だった。居て貰わなくてはならない大切な存在だった。私は、そんな存在をついに完全に失ってしまった。そんな事を思いながら家に向かって母と自転車を走らせていた。すると、母から、「花でも買って帰った方が良いんじゃあないの?」「枯れない造花なんかどう?」という提案があった。私は、「うん、じゃあ、そうしようか」と、返事をした。正直、火葬が終わった後の事までなんて考えていなかったけど、確かに部屋に骨壺だけだと余りにも寂し過ぎる。そうして、帰り道の途中、某百円ショップに立ち寄った。店内の一角には、結構広いスペースに色々な造花が並べられている。どんな花が良いだろう?たかが百円の造花。だから、どれでも良いのかもしれない。でも、ぺいのための造花。悩んだ。結局、十分程考えて、やっと一つのものに決めた。それと、ついでに写真立てとデジカメ用の光沢紙も買った。ぺいの生前の写真も骨壺と一緒に部屋に飾ろうと思ったからだ。

 

帰宅して、玄関のドアを開けてみる。部屋の中は相変わらずシーンとしている。でも、ぺいは骨になってしまったけど、また、住み慣れた家に戻ってきたのだ。姿形は違うけど一緒に戻ってきたのだ。そう思った途端、少なからず骨にだって魂が宿っているように感じた。そして、そう思うと寂しさや悲しみも少しは和らいだ。どこに骨壺を置こうか・・・、部屋の中を見渡してみる。置き場所を決めた時だった。母から、「そこに名前を書かないの?」との言葉。確かに骨壺の覆いには白い紙が貼られていて、名前と日付を書く欄がある。私は、マジックペンを手に取った。そして、まず、ぺいという名前を書く事にした。たかが二文字かもしれないけど、ゆっくり一文字一文字、ぺいの魂が、骨壺の中の骨の一つ一つに宿っている感覚を大切にしながら書いた。そして、最後に、八月二十三日という命日を記した。あとは、骨壺と一緒に飾るぺいの生前の写真をどれにするかだ。どれにしようか?写真立てに入れる写真。いくつかこれはと思った写真を光沢紙にプリントしてみた。写真は、少し悩んだけど直ぐ一枚に決める事が出来た。毛布の上で横になって寝ていた姿を、私が写真を撮ろうとして少しだけ目を開けた時の写真だ。この写真は、カメラ目線にもなってるし、私に心を完全に許して部屋の中でリラックスして過ごしてきた日常を最も表している写真のように思えたからだ。そして、骨壺と写真、造花を並べて置いてみる。これでOKだ。一通り形になった。そして、母と一緒に骨壺と写真に向かって手を合わせた。

 

そういえば、今年の初詣で引いたおみくじは大吉だった。それなのに、いきなり三賀日は風邪気味で元旦の午前中に初詣を終えてからは殆ど寝て過ごした。その後、一月中旬には、ぺいが嘔吐したので、病院に連れて行ったり、一月の後半には、私がインフルエンザに罹ったり、母が突然の下血で入院したりもした。そして、三月には、ぺいの癌が判明して、その後の対処も上手く噛みあわず、結果的に後手後手になった。それでも心のどこかで、今年は、大吉だったから、終わり良ければ全て良し、必ず奇跡が起きると信じてきた。だから、神社にだって、ずっと、お参りをしてきたのだ。それにしても、ぺいは、まだ十一歳。人間で言えば、大体、六十歳という若さだった。それなのに、結局、もう、ぺいは死んでしまった。もう、今年が大吉だなんて絶対にあり得ない。何が大吉だ。そう思い始めた途端、突然、神様に対して沸々と怒りが込み上げてきた。私は、直ぐ傍にいた母に、「今年は、おみくじ大吉だったのに全然違っていたよ」と、思わず吐き捨てるように口にした。すると、母からは、大吉は、ひっくり返って大凶になりやすいとの話があった。私は、それを聞いて、もう今年は、完全に大凶だな・・・、そう強く心に思った。ただ、そうは言っても、ぺいの死に際に立ち会えた事は、本当に良かったし、それも、休日一日目の土曜日の昼間という時間帯が最期なんて、全てを計ったかのようなタイミングだったし、火葬だって休日のうちに終えられた。ちなみに、もし、ぺいが死ぬのが、もう一週間、早いタイミングだったら色々な事が難儀に感じていた。それは、風邪で体調が悪かったからに他ならない。ある意味、悲しみに集中するにも健康であればこそだと思える。それから、今度は、逆に一週遅いタイミングであっても、前々から変更しづらい予定が入っていたので都合が悪かった。私は、そんな事も母に話した。もしかして、ぺいとの出会い、そして別れのタイミングや全ての成り行きはシナリオとして、ぺいと出会う前から、最初から決まっていたのではないだろうか?全ては何かに操られていたのではないだろうか?不思議と少しそんな気がした。

 

そうしているうちに、時間は刻々と過ぎてゆく。母は、そろそろ帰るとの事。時計を見ると、もう十六時を回っている。母は、帰る準備をしながら、そう言えばという感じで話してくれた。それは、豚肉と鶏肉のモモ肉を軽く湯通ししたものを持ってきてくれたものを細かく千切ってぺいに与えてくれた時のことだ。ぺいは、目を丸くして肉をムシャムシャと凄く喜んで食べたのだけど、母は、その時、ぺいが凄く喜んで食べてくれた様子が、強く印象に残っていて忘れられないそうだ。そう、あれは、もう手の施しようがないと先生から余命を宣告されて、それを電話で伝えてから数日後の出来事だった。母は、ぺいが元気であるうちに、ご馳走を食べさせてやりたいという一心で肉を下準備して足を運んでくれたのだろう。あの時のぺいの様子は私も凄く記憶に残っている。なぜなら、私も自分自身の事のように嬉しかったからだ。母は帰り支度が整ったようだ。「それじゃあ、帰るから」「本当に本が書けるぐらい色々な事があったね」そんな母の言葉。本・・・。色々な事・・・。本当に、その通りだ。本当に色々な事があった。でもそれは、何とかしてぺいを助けたいという思いの強さと、残された時間を精一杯大切にしたいという思いの結果なのだろう。私は、どうすべきなんだろうか?どうしたいのか?結論は直ぐに出そうにない。本を書く事につては、少し時間を掛けて考えてみようと思った。

 

そうして、母は帰り、その後、私自身も用事があったので外出する事にした。そして、自転車を走らせてクリーニング店に寄って、それは、買い物に向かう途中だった。今まで何度となくお参りしてきた神社の前を通りかかった時だった。「あっ!」と思った。なぜなら、神様に対して不満や怒りを感じていたからだ。でも、まさか、ここで自転車を降りて神社の神様に向かって文句をぶちまける訳にもいかない。その時、私は、一番会いたくないと思っていた人に突然出会ってしまったような感覚に襲われた。どうしょう?精神的にも、とりあえず、このまま神社の前を素通りして、やり過ごしてしまうという選択が、可も不可もなく最も良い行動のように思えた。でも、例え偶然であったとしても、一通り火葬が落ち着いた直ぐ後に、神社の前を通りかかったという事には、何か今の自分には考えの及ばない意味があるのではないだろうか?これは、何かの導きかもしれない。何だかそう思えた。そこで、ひとまず自転車を降りて、とにかく、拝殿に向かって足を進めてみた。しかし、何を思って手を合わせれば良いのか?今さら、お願いする事なんて何もない。ゆっくり歩きながら必死に考えた。だけど、どうしても思いつかない。そして、何かに操られるかのように拝殿の前に立った。駄目だ。このまま黙っている訳にはいかない。神様に何か伝えなければ・・・。もうやけくそだ!「ありがとうございました」それは、全く心にも思っていない気持ちだった。でも、そう心に思って手を合わせた。結局、それで拝殿を後にした。

 

それにしても、全く心にも思っていない事を神様に伝えてしまった。神社を後にして、そんな釈然としない気持ちが残った。それで、「ありがとうございました」と、伝えてしまった事について考えた。「ありがとうございました」と、伝えたのは、本当に自分の意思に反する事だったのか?「ありがとうございました」というのは、感謝の気持ちを表す言葉だ。神様に感謝すべき事は本当になかったのか?そもそも感謝すべき事が易々と思い浮かぶぐらいだったら、最初から神様に対して不満や怒りなんて感じていない。だからこそ、本当に神様に感謝すべき事はなかったのか?そんな事を、冷静に客観的に考えてみる事にした。そして、過去の色々な出来事を振り返った。すると、実は、考え方次第で、あれもこれも逆に神様に感謝すべき事だらけのように思えてきた。例えば、あれは、三か月前の五月二十二日の出来事だった。「あと、どれぐらい生きれるんでしょうか?」「一か月、ただ胃瘻がついていて食事が出来るから長くても三か月でしょうか・・・」それは、先生から告げられた余命だった。そして、ぺいが死んだのは、八月二十三日。偶然なのかは分からないけど、ちょうど丸三か月、ぺいは、この世で頑張って、その翌日、天命を終えて旅立っていった。決して、一か月や二か月ではなく、長くてもと言われていた三か月という期間を一日も余すことなく丸々生きてくれたのだ。そして、旅立った翌日も休日だったから、最期を看取ることも出来たし、悲しみに暮れる時間も存分に持てた。そして、スムーズに火葬も執り行えた。そういった事は、まだ他にもある。ぺいは、旅立つ数日前から尻尾を振る事すらなくなくなっていたのに、旅立つ数時間前にパタンパタンと大きく尻尾を振ってくれたのだ。そう、あれは、今思えば間違いなく、お別れの合図で、きっと、渾身の力を込めて振ってくれたはずだ。そして、私は、その合図に直ぐに気づけた。それと、本当に何より感謝すべきは、ぺいの最期に寄り添えたという事だ。一日は、二十四時間。仕事で自宅にいない時間、寝ている時間だってある。だから、最期に立ち会えた事は、凄く感謝すべき事だろう。私は、ぺいの事が大好きだった。そして、きっと、ぺいも私に気持ちを寄せてくれていた。そうであったと信じたい。そして、だからこそ、神様は、私とぺいの間に訪れる別れに対して、神様として最大限出来うる限りの範囲で、全力を尽くしてくれたのではないだろうか?何だか考え方を変えてみると、急に物事の見方が変わってくる。もし、神様に永遠の命を願ったところで、神様は、そんな事を叶える訳にはいかないだろう。そして、そのように考え始めたら、神様に向けて、「ありがとう」という感謝の気持ちが、逆に堰を切ったかのように溢れてきた。それで、あらためて感謝の気持ちを心の底から伝えたいと思った。もしかしたら、こんなにも沢山の特別扱いを神様から受けられた幸せこそが、年始のおみくじの大吉の意味だったのではないだろうか?そのようにさえ思えた。そうして、色々な用事を済ませながら色々な事を思い、夜の八時過ぎに家に戻った。部屋の中は相変わらず静かでさびしい。でも、ぺいが例え遺骨になったとしても、ぺいの身体を構成していた一部は同じ空間にあるから、これからも、一緒に同じ空間で同じ時間を過ごせるのだ。そう思うと少し嬉しかった。そして、そう思うと、少しぐらいなら、こちらから、ぺいの魂に一方通行でも何か思いを伝えられるような気さえしてくる。

 

そういえば、火葬場から持ち帰った遺骨は、骨壺の中に遺骨を納めて以降、全く目にしていない。もう一度、ゆっくり確認しておきたいと思った。でも、単純に目にしたいという理由だけでは、安らかに眠っているぺいを一方的に起こしてしまうような気がして申し訳ない。でも、火葬場から持ち帰ってきた時、振動で骨壺の中の遺骨は大丈夫か?頭蓋骨は倒れてないか?そんな事も少なからず気になっていた。もし、倒れてしまっていたらぺいは骨壺の中で早く元に戻してほしいと思っているはずだ。そう思い始めると、蓋を開ける事へ躊躇は直ぐに消えた。早速、緊張しながら骨壺が納められている覆いの紐をゆっくりと解いて骨壺を取り出してみた。色々な動物がお花畑で遊んでいる骨壺。そっと、蓋を開けてみる。再び、一瞬にして火葬場での出来事が、現実として目の前に蘇った。しかし、現実から目を背ける事は出来ない。気を取り直して骨壺の中を見てみる。ひとまず頭蓋骨は倒れていない。良かった。その他の骨は、頭蓋骨の下に隠れて良く見えないけど、特に問題なさそうだ。これで一先ず安心だ。最後に一番上の頭蓋骨の部分を良く確認しておきたかった。頭の頭頂部分に目を向ければ、つい最近まで良く頭を撫でてやった事を思い出す。そして、脳が収められていた空間。そう、あれは、旅立つ事になる数週間前の出来事だった。念願だった玄関の外に出してやったけど、あの時の興奮や喜びといった感情、でも、今となれば、そういった記憶も灰になって全部綺麗さっぱりなくなってしまった。折角、楽しい思い出を作ってやったのに・・・。そう思うと、本当にやりきれない。また、涙が溢れてきた。最後に蛆虫がいた上顎の骨の辺りを見てみる。それにしても、こんなに小さいスペースの何処に、あんなに沢山の蛆虫がいたのか?本当に信じられない。もしかしたら、蛆虫は脳にまで広がっていたのか?そう考えなければ、なかなか理解が出来ない。「ぺい、本当に良く頑張ったな」「もう痛くないからな・・・」「本当に色々とありがとうな・・・」そう話しかけながら、頭蓋骨の頭頂部分を、やさしく撫でてやった。今までと違って、骨だから、ざらざらしているけど、違いはそれだけ。撫でてやる時の気持ちは、何一つとして以前と変わりない。

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八月二十三日(土)

昨晩は寝るのが遅かったので、いつもより少し遅めの起床になった。真っ先にぺいの姿を探した。良かった。まだ生きてる。でも、異様な恰好は、昨晩と何一つ変わっていない。ただ、まだ、ぺいの命は、自分と同じ、この世にある。だからこそ、一秒一秒というかけがえのない大切な時間を、今日も一緒に刻めているという事が、本当に心の底から嬉しい。でも、やはり気になるのは、おそらく今日明日の命という事。癌という事が分って半年か・・・。私は、そんな事を思いながらキッチンに立っていた。キッチンは、ぺいがへちゃげて、うつ伏せになっている場所から二メートルほど。そんな時、時間は、午前十時半頃、ふと動くものを横目に感じた。顔を向けてみると、ぺいが尻尾をパタンパタンと大きく振っている。あれ?どうした?このところ尻尾なんて全然振らなくなっていたのに・・・。もしかして、もしかすると、少し元気が出てきたのかな?もしかして、元の普通の状態に戻りたいのかな?そんな意思表示なのかなと思った。それで、思いがけない展開に嬉しさが込み上げてきた。もし、そうであるなら、あともう一週間、次の休日まで、なんとか生きていてほしい。食事の注入だって、また、少し再開しないといけないな・・・。そんな期待に胸が膨らんだ。そこで、ぺいの横に座ってみる。もう、こんな状態で丸一日。もしかして、結構前から普通の状態に戻りたかったのかもしれない。でも、ここまでへちゃげた状態になってしまったら、絶対に自力では元の状態に戻れないだろう。だから、その事を私に何とか伝えたくて、尻尾で意思表示をしているのだろうと思った。そこで、ぺいの前脚の両脇の下に私の手を入れて、自力で立てるぐらいの高さにぺいの身体を持ち上げてみた。少しでも状態が回復していて、本当に立ちたいという意思があるのであれば自力で立つだろうと思った。よっ!あれ?いざ持ち上げてみても、なぜか全く立とうとはしない。それであれば、このまま持ち上げていても仕方がない。再び、持ち上げた身体をゆっくりそのまま床に下ろした。すると、また、下ろすにしたがって、ぺいの両脚は直角に曲がり、結局、元のへちゃげた状態に戻った。やっぱり駄目なのか?立ちたいという意思はあっても、まだ、実際に立てるほどには回復していなかったのか?

 

それにしても、今朝、起きた時には、ぺいと、この世で一緒に過ごせるのは、今日明日ぐらいまでかと思っていた。でも、もしかしてと期待を抱けた。それにしても、その分、結果的に立てなかったという事は、精神的に落差が大きかった。やっぱり、今日明日の命なのか?やっぱりダメなのか?もう、本当に死んじゃうのか?まだ、一緒にいたい。別れたくない。そんな思いが頭の中を過ぎった。そして、急に悲しみが怒涛のように込み上げてきた。「ぺいちゃん、なんでこんなになっちゃったんだよ」「なんで癌なんかになっちゃたんだよ」今まで、無意識に心のどこかで我慢しながら溜め込んできたものが、再び、堰を切ったように溢れ出てきた。でも、そんなもの、今まで何度も散々涙で洗い流してきたはずだった。それなのに、それなのに・・・。「ぺいちゃん、ごめんな」「助けてあげれなくてごめんな」「本当に本当にごめんな」「痛いよなぁ」「ぺいと別れたくないよ」「散々、苦しい思いをさせてごめんな」「まだ、ずっと一緒に居たかったよな」へちゃげているぺいの真上で思いっきり声を荒げて泣いた。どれぐらい経っただろうか?どれぐらいの時間泣いていただろう?多分、三十分ぐらい号泣していた。ふと、我に返って目を開けてみると、自分の流した涙が幾つも粒になって床に落ちている。その時だった、ぺいが、少しだけ私の方に頭を向けてくれた。今のぺいは、昏睡状態ともいえる状態。それなのに、まさか、何か反応を返してくれるなんて思いもしなかった。そもそも、頭を少し動かすだけでも、渾身の力が必要なはずだ。それなのに、それなのに・・・。ぺいちゃんは本当に最後の最後まで・・・。「ありがとう」「ありがとう、ぺいちゃん!」「本当にありがとう」ぺいの事が愛おしくて愛おしくて胸が締め付けられる。でも、もう一緒に過ごせる時間は本当に残り僅か・・・。また、そんな現実が直ぐ頭を過ぎる。そうしている内、私は、無性にぺいが我が家にきたばかりの頃の写真を見たくなった。あたり前だけど、十一年前のぺいの姿は初々しくて元気な様子ばかりだ。それらの写真を見ていると、その一枚一枚、その全てに写真を撮った当時の気持ちが鮮明に蘇ってくる。それにしても、つい最近の事のように思える。十一年という年月は過ぎてみれば本当に早かった。私は、それらの写真の中から選りすぐった一枚をぺいの視線の先に置いてみる。なぜなら、若かりし頃の姿を見る事によって、我が家に来てからの思い出を旅立つ前に一つでも多く思い出してほしかったのと、若い時の漲るパワーを、本当に少しでも獲得して元気を取り戻せるものなら取り戻してほしいと思ったからだ。ただ、やはり写真を置いてみても、相変わらず瞼は開いたまま。きちんと写真を認識出来ているのだろうか?それは分からない。とりあえず写真は、ほんの少しでも何か良い事に繋がると良いなと思い、そのまま置いておく事にした。

 

それにしても、もう二度と立てそうにない。このままだと、いつ死んでしまっても不思議ではない。以前から何度も情報収集をしてきたけど、もうさすがに、火葬場の住所などについて、きちんと最終確認しておかなければと思った。そう言えば、動物の葬儀について色々と調べていると、動物の葬儀には、合同葬や個別葬、立会葬などの種類がある事が分かった。また、立会葬でも移動火葬車が自宅近辺まで来てくれるものもあれば、こちらから火葬場まで出向くものまである事が分った。もちろん、大切なぺいの火葬は、絶対に人間と同じように火葬場で、そして、立会葬で行いたいと思っていた。そして、そうした条件を満たしてくれる火葬場が、自宅から意外と近くにある事までは既に確認済だった。そこで、あらためて、そのチェックしていた火葬場のホームページを訪れてみる。それで、もう一度、正確な住所や葬儀の申し込み方法を確認した。すると、火葬の申し込みには、電話と、ホームページ上から申し込むという二通りの方法があって、ホームページからだと十%割引と書いてある。私は、もし、これから先、ぺいに何かあった時には、安くなるホームページの方から申し込もうと思った。正直、きちんと本当に受け付けてくれるのか少し不安だったけど、申し込んで少し待って何も連絡がなかったら、きっと電話しても割り引いてくれるだろうと思った。ちなみに、この時、時刻は、ちょうど正午頃だった。私は、パソコンデスクの椅子に座ってホームページを見ていた。この時、ぺいは、私の背後にいた。ふと、ぺいの事が気になって振り返ってみても、まだ、何一つとして変わりない。そういえば、ぺいの視線の先に置いた写真は、もう三十分程そのままだ。残念だけど、写真では何も変化がなさそうだ。このまま置いていても仕方がない。とりあえず写真は回収した。そして、またパソコンの前に座った。それにしても、パソコンの画面を見ていても、頭で考えている事は、常にぺいの事だけだ。大丈夫か?峠は越えただろうか?ついさっきまでは、今日明日の命と思っていたけど、もしかしたら、もう少し生きていてくれるかもしれない。火葬場の情報を確認しつつも、そんな希望も心の中に少し芽生えつつあった。今日は、久々に尻尾を大きく振ってくれたし、私が泣き終わった時、頭を少し私の方に向けてくれたりもした。そんな変化や出来事が凄く嬉しかった。そう言えば、今夜で丸二日間、食事を抜いた事になる。これ以上、食事を抜くと別の意味で命を危険にさらす事になる。夜、久しぶりに少しだけ食事を注入しよう。そう思った時、後方から変な音がした。その音の正体、それは、ぺいの声にならない声だった。時間は、昼の十二時半頃。振り向いて見ると、また、ぺいが前後の脚をググっと力ませている。やっぱり、へちゃげた恰好のまま辛くて何とか立ちたいのか?でも、前みたいに脇の下に手を入れて身体を持ち上げて、結局、自力で立てなかったら、無駄に負担を掛けてしまう。どうしょう?少し考えて、出来うる限りの最善策として、立とうしている事のアシストに徹する事にした。具体的には、私が、ぺいの身体の上に覆いかぶさるような恰好になって、力ませているぺいの前後の両脚を少しでも踏ん張りが利くように、私の両腕で挟み込んでみるという方法だ。そうして、ぺいが前後の脚をググッと力ませた時、腕を内側に狭めてみる。駄目だ。やっぱり立てない。もう、立ちたいと思っていても立てないのだろうか?

 

そして、それから、さらに、三十分程、経った時だった。突然、後方から今までに聞いた事のない奇声が聞こえた。それは、紛れもないぺいの声。私は、びっくりして勢いよくバッと後を振り向いた。ぺいの下顎は完全に失われて、舌も床にあたって百八十度折れ曲がっている。そんな状態で発した声。声になっていない声。ぺいは、再び両脚を力ませている。でも、今度は何度も、なぜか、とても強く力んでいるのが分かった。何だ?これは、今までの力み方とは明らかに違う。あっ!この時、やっと脚を力ませていた理由が理解出来た。それは、決して立とうとしていたのではなく、痛くて力んでいたのだ。その前に尻尾も振っていたから、私は、てっきり少し元気になってきたのだとばかり思っていた。とんだ勘違い。青天の霹靂だった。それにしても、今、目の前で、もだえ苦しんでいる様子は、完全に常軌を逸している。これは本当に危ない。もう、これは危篤だ。容態が非常に切迫している事を理解するのに、時間は必要としなかった。そうだ、母に連絡しないと。ずっと、二人三脚で一緒にぺいの面倒を見てきた。母にもぺいの最期に立ち会ってもらわないと。でも、ぺいの様子は、いつ死んでしまってもおかしくない。もしかしたら、母に電話している間に死んでしまうかもしれない。それほど切迫した状況。ぺいの最期は、一秒たりとも目を離さずに見守っていてやりたい。そうしないと絶対に後悔する。とにかく、そう思った。だから、母への連絡は、一旦、中止した。

 

そして、そのままぺいの様子を見守っていると、今度は、両脚だけでなく全身にも力が入ってきた。それでも、恰好は相変わらずへちゃげたままだ。だから、身体は殆ど動かせない。それなのに全身が激しく動きだした。そして、表現しがたい苦痛を訴えるような喉からの奇声が続いた。もうこれは、完全に悶え苦しんでいる。私は、何も出来ない。ぺいが苦しむ様子を見ているだけ。それが、精一杯。そして、一瞬たりとも目を離せない緊迫した状態が続いた。どれほど時間が過ぎただろう。それは、初めに奇声を発してから三十分程経過した時なのではと思う。呼吸で動いていたはずの腹部が動かなくなったような気がした。あれ?もしかして?いや、気のせいだ・・・。あまりに苦痛が続いて少し呼吸が弱くなってしまったか?腹部近辺を注視しながら見続けていた。すると、腹部の上部のあたりから胸の方にかけて、波打つように筋肉が、大きく二度三度、間隔を置いて動いた。良かった。大丈夫だ。まだ大丈夫だ。動いている。でも、そう思った直後だった。頭の先から尻尾の先まで、なぜか一切、動きという動きが感じられなくなった気がした。えっ?今、何が目の前で起きているのか。私は、頭の中が混乱して状況を理解出来ずにいた。まだ心臓は止まってないよな?さっき、波打つように筋肉が動いていたし・・・。だから、まだ心臓は動いているよな?まだ、大丈夫だよな?大丈夫なはずだよな?そんな不安に襲われた。そして、その瞬間、頭の中が真っ白になった。あれ?でも、動いてない?もしかして・・・。えっ、動いていない?そうだ!瞼は目に近いから瞼を触ってみれば、その反応で生きている事が確認出来る。私は、ぺいの瞼に手を当ててみた。えっ、違う・・・。一瞬で瞼に手が触れた瞬間に分った。石のように硬い。今までとは違う何か別のものを触ったような感覚。とてつもない違和感を手に感じた。えっ、死んでる・・・。も・・・、もう死んでる・・・。そのまま手で瞼を閉じようと思った。でも、皮膚が硬直している。「おい、いつ死んだんだよ!」「ぺい」「おい、ぺい!」「いつ死んだんだよ~お前よぉ~」時計を見てみると十三時半。ぺいが・・・、ぺいが死んだ・・・。「ぺいちゃん・・・」もう二度と動かない。そんな死という現実。良く頑張ったな。やっと楽になれたな。安らかに眠ってほしい。そう思うことしか出来なかった。私は、再び、瞼を閉じてみようと思った。でも、どれだけ力を入れても閉じられない。もしかして、ずっと瞼を開けたまま丸一日程過ごしていたから、それで筋肉に癖がついてしまったのか?それにしても、まだ息を引き取ってから一分程しか経っていないはずだ。それなのに、どれだけ力を入れても閉じる事が出来ない。あの世に行ったのだから、もうこの世なんて見ないで目を閉じて安らかに眠ってほしい。だから何とか瞼は閉じてやりたかった。でも、このまま閉じる事の出来ない瞼ばかりに気を取られている訳にもいかない。もう、死後硬直が始まっているのだ。とにかく前後両脚を広げたムササビのような恰好で硬直させる訳にはいかない。そんなのかわいそうだし、棺にも入らなくなってしまう。私は、ぺいの身体を床からゆっくり持ち上げて、左右の両脚を重ね合わせるように折り畳んだ。これで、猫が普通に横を向いて寝る時の恰好になった。今日は土曜日。週明けからは、また一週間仕事がある。もし、ぺいが死んでしまったら、火葬は休日中に終わらせたいと思っていた。それで、私は、急いで例の火葬場のホームページにアクセスして、取り急ぎ日曜の十五時から火葬を希望する旨の予約を済ませた。そして、母に電話した。「ぺいが死んだ」「え?死んじゃったの?」「いつ?」「今」「え、今?」「うん・・・」「分かった、じゃあ、今からそっちに行くから」「分った・・・」ぺいの命が短い事は覚悟していた。だけど、現実を目の前にすると、ぺいか死んだという事を伝える為の必要最低限の言葉を並べるだけでも凄く口が重かった。でも、ひとまずこれで火葬の手配も母への連絡も終わった。この後、母が到着するまでには、最低でも三十分は掛る。私は、あらためて動かなくなったぺいの前に座った。そして、ぺいに声を掛けた。「ぺい、お前は、本当に最後の最後まで良く頑張ったな」「やっと、楽になれたな」「ゆっくり眠れよ・・・」そんな言葉を何度もぺいに届けた。でも、本当は、まだまだ生きていたかったはずだ。「まだ本当は生きていたかったよな・・・」「ぺい?」そんな事も聞いてみた。ぺいとは、一緒に奇跡を信じながら頑張ってきた。それなのに・・・。まだ、一緒に暮らしていたかった。まだ、別れたくなんてなかった。まだ十一歳じゃないか。人間で言えば還暦を過ぎたばかりぐらいじゃないか。それなのに・・・。再び、悲しみが込み上げてくる。ほんの一時間半程前にも声を荒げて泣いたばかりだった。あの時には、もう散々泣いたから、これ以上、涙なんて絶対に残ってないと思っていた。でも、もう二度と動かないぺい・・・。痛々しくてボロポロの身体になったぺい。そんなぺいが目の前にいるかと思うと、再び、抑えようのない悲しみが怒涛のように込み上げてきた。「ぺい~、戻ってこいよ」「どうしてそんなに早く死んじゃうんだよ」「ぺい、ごめんな」「痛い思いをさせて、ごめんな」「本当に痛かったろ」「痛かったよな」「辛かったろ」そんな事を何度も口にしながら声を荒げて泣いた。きっと、近くに人がいたら泣き声と混じり合って何を言っているのか分からなかったに違いない。もしかしたら、泣き声だって玄関の外に漏れていたかもしれない。とにかく、我を忘れて泣いた。こんなに大泣きしたのは生まれて初めてだった。

 

そして、どれほど時間が経ったのだろう?時計を見てみると、二十分程泣いていたようだ。そう言えば、まだ、母は到着していない。私は、ぺいの身体を死に化粧ではないけど綺麗にしようと思った。ぺいの身体には涎や血液などがこびりついている。天国では、綺麗な身体で過ごしてほしかった。「ぺいは本当に綺麗好きだったからな~」「綺麗にしような」「ぺいちゃん」やさしく声を掛けながら手や足を拭いてやった。元気な頃は、猫だからあたり前だけど、暇さえあれば自分の舌で身体を舐めていた。でも、癌になってからは、そんな猫として当たり前の事すら叶えられなくなった。どんな気持ちで過ごしていたのだろう?ちなみに、癌になって一番汚れが酷かったのは前脚だった。だから、時々、風呂場に連れて行って、シャワーでぬるま湯を掛けながら洗ってやった。だけど、この二週間程は、本当に辛そうで身体を持ち上げたり、まさかシャワーを掛けたりなんて絶対に無理という状況だった。あっ、そうだ!ふと、ぺいの口の中が気になった。それは、何だか分らない正体不明のものが口の中にあって、棒状で口の奥の方から突き出ている。この際、口の中を徹底的に観察して見ようと思った。今までも機会を見つけては何なのか知りたくて見てきたけど、生きている時には、どうしても観察しづらくて分からなかった。でも、それが、何だったのか、やっと分かった。それは、右下の顎の骨。分かってさえしまえば、どうして今まで分からなかったのか不思議だ。でも、その骨の形は、半分以上が癌細胞に冒されていたから、顎の骨の形状からは、かけ離れていたし、癌に冒された影響で酷く変色していたから、まさか顎の骨なんて思わなかった。

 

そう思った時、またしても、白いものが視界に入った。床に一匹。また蛆虫だ。「こんちくしょう」この数日間、散々捕まえたのに、まだ居たのか。「本当に、いい加減にしてくれ」発狂した。でも、この蛆虫は、今まで捕まえてきた蛆虫とは違って瀕死の状態に見える。多分、宿主が死んだから命からがら脱出したんだろう。それにしても、ぺいは、もう死んだというのに・・・。もしかして、まだ蛆虫が居るのか?もしそうだったら、とんでもない。そう思って上顎にある穴の中を見てみる。すると、また一匹、穴の中から出てこようとしている。「本当にいい加減にしてくれ!」「ふざけんじゃねぇ!」直ぐピンセットを用意して摘み出した。もう一度、穴の中を見てみる。すると、また白いものが見えた。「こんちきしょう!」「もう、いい加減にしてくれ」そして、さらに一匹を摘み出した。もう一度、穴の中を見てみる。まだか?これで大丈夫か?さすがにもう大丈夫そうだ。結局、死んだ後に、また三匹も摘み出した。「本当に最後の最後まで・・・」それにしても、この三日間で捕まえた蛆虫を全部足すと全部で何匹になるのか計算してみた。最初に十二匹、昨日が五匹、そして、今日が三匹。足すと全部で二十匹にもなった。それも、全部一センチ大の大きさ。上顎の狭い空間に二十匹もの蛆虫がいたのだ。一体、どこに、そんな空間があったのか?とにかく本当に冗談じゃない。もう、本当にいい加減にしてくれ。でも、これでやっと、蛆虫は全部退治出来たはずだ。火葬が蛆虫と一緒だなんて、それこそ絶対にあり得ないと思った。

 

そうして、その後、私は、気を取り直して、ぺいの身体拭きを再開する事にした。それにしても、固くこびりついた汚れは易々とは落ちてくれない。だから、水を汲んできて汚れをふやかして、時間を掛けながら落としてゆく。そして、顔の頬を拭こうとした時、思わず手が止まった。上顎の口の周りの毛が擦れて殆どなくなっている。そういえば、ここ数日は、フローリングの床面に上顎が接している事が多かった。本当に予期しない場所までボロボロになっていて痛々しい。そう思った瞬間、ガチャと音がした。玄関のドアを開ける音。母だ。時計を見ると、二時十五分。電話をしてから約四十分だから、直ぐに身支度をして駆けつけてくれたようだ。そして、母の目にも動かないぺいの姿が映った。母も心の準備をしながら駆けつけてくれたに違いない。だけど、実際に動かなくなったぺいを目の前にするとショックを隠せない。「ぺいちゃん」「ぺいちゃん・・・。」ぺいの名前を何度も呼んでくれている。

 

それから間もなくして電話が鳴った。火葬場からだった。話によると、ホームページ上から予約を希望していた十五時からの火葬は、既に予約で埋まっているとの事。でも、午前の十時か午後の十三時半からであれば空いているそうだ。出来る事なら少しでも遅い時間にして、ぺいと一緒に過ごせる時間を一分一秒でも多く確保したかったけど仕方がない。私は、「では、十三時半からでお願いします」と答えた。すると、当日は、火葬前の手続きがあるので、火葬時刻の二十分程前に到着してほしいとの事。家で一緒に過ごせる時間は、さらに短くなるのか・・・。まぁ、こればっかりは仕方がない。とりあえず、何はともあれ、仕事が休みの間に、火葬を終えられる目途がついて何よりだった。火葬場との電話を終えた私は、直ぐ母に明日のスケジュールを伝えた。まず、火葬場に向けて出発する時刻は、余裕をもって到着したいので十二時過ぎにしたいという事、そして、最後のお別れの時間を考えると、火葬場に向かう一時間程前に、こちらに到着すれば良いのでは?という事を伝えた。母は、ぺいの身体を撫でながら「うん、分った」との事。そして、一呼吸おいて、「病院へ連れて行くまでは、一緒に暮らしてなかったし、だから特別どうって事なかったけど、病院へ連れてゆくようになったら、どんどん情が移っちゃって仕方なかったよ」と、ぺいに対する気持ちを話してくれた。母は、ぺいが病院へ通院させる必要がなくなってからも、ほぼ毎週、必ずといって良いほど、ぺいの様子を見に会いにきてくれていた。それも、ただ、来るというだけではなかった。ぺいを気分転換させてやりたい一心で蝉を捕まえてきてくれたり、生きているうちに少しでも美味しいものを食べさせてやりたいと思って、やわらかく湯通しした肉を用意して持ってきてくれたりもしてくれていた。私は、母の言葉を聞いて、ほんの短い数か月という期間ではあったけれど、凄く沢山の思い出が頭の中に浮かんできた。それと、母は、「昨日はぺいの横で、ずっと歌を歌ってあげてたんよ」という事も話してくれた。何の歌かは聞かなかったけど、きっと、ぺいの名前の入った子守唄ぽい歌だろうと何となく思った。ありがとう。ぺいも、最期を迎える前に母から励ましの歌を聞いて元気づけられた事だろう。そして、そう思ったら、また思わず涙が溢れそうになった。いい歳した大人が、まさか母の前で涙を見せる訳にはいかない。このままでは拙い。私は、何とか気を紛らわせる方法を探した。そうだ。壁には、ぺいの涎が四方八方に付着している。ぺいの亡骸を見ないように、ひたすら壁を見ながら掃除をしていれば少しは気が紛れる。あと、私が掃除をしていれば、母にも、ぺいとの別れの時間を存分に作ってあげることが出来るので、一石二鳥だと思った。そこで、ぺいの身体拭きは母に引き継いで、私は、部屋の中の拭き掃除を始めた。

 

それにしても、掃除で絶え間なく手を動かしつつも頭の中では違う事を考えていた。ぺいが苦しんで息絶えた時の様子が何度も蘇ってくる。ぺいは、凄く悶え苦みながら死んでいった。時間にすれば、三十分程だったかもしれない。でも、ぺいの苦しみは、そのまま自分自身の苦しみで、ぺいの苦しむ様子を見ていた時間は、苦痛以外の何物でもない拷問のような時間だった。私は、ぺいが息絶える直前、ぺいの身体の上に覆いかぶさるように死神が取り付いて、ぺいの身体と一体になっている生きようとする意思の塊のようなものを容赦なく剥ぎ取っていったような気がした。もしかしたら、その意思の塊のように感じたものが、目には見えない魂そのものだったのかもしれない。とにかく、ぺいは、苦しんで苦しんで、もがき苦しんだ。そして、喉から声にならない声のようなものを何度となく出していた。その苦しむ様子と声にならない声は、「もう、その身体はボロボロだからいい加減諦めろ」「もう、お前は、この世での使命は充分果たした諦めろ」という死神からの説得を聞き入れないで、必死に抵抗しているように思えた。とにかく、あの時の様子は頭にしっかり残っている。そういえば、つい最近まで、「頑張れ、頑張れ」「みんな頑張ったんだから、ぺいも頑張れ」といった事をぺいに伝えてきた。だけど、今は違う。「本当に最後の最後まで良く頑張った」「ぺいは本当に本当に凄く頑張った」「みんな頑張ったけど誰よりもぺいが一番頑張った」「世界で一番誰よりもぺいが頑張った」ぺいの頑張りを心の底から褒めてあげたくて、そんな言葉が次から次へと出てくる。すると、母も直ぐに私の気持ちに共感してくれて、さらに、母と一緒に、ぺいの頑張りを何度も繰り返し褒めた。褒め続けた。そして、ぺいの事を褒めたり、母と、ぺいとの思い出話をしていると何度も涙が溢れそうになった。でも、そんな時は、涙声になりそうだったから、気持ちが落ち着くまで何も言葉に出来なかった。だけど、それも想定内で、拭き掃除に集中しているフリをして間を繋いだ。だけど、掃除中、母との会話以外の事でも涙が出そうになった。それは、普段、目につかないベッドの隙間を覗いた時だった。何と床面に大量の血痕があったのだ。その血痕は、完全に乾いていたけど、かなりの血の量だという事が想像出来た。癌の痛み、そして、こんなにも大量出血して、ぺいは、癌になってから、どんなに辛い時間を過ごしてきたのだろう・・・・。想像するだけで、途端に涙が溢れそうだった。そもそも、胃瘻までつけて存命させた事が、本当に正しい選択だったのか?決して後悔はなく正しい選択だったと思ってきたけど、少なからず、再び、そんな感覚に襲われた。そうして、母がきてから一時間半ほど経った頃、もうどこにも掃除するところが見当たらなくなったので、拭き掃除を終える事にした。母は、まだ、ぺいに声を掛けながら身体を拭いたり撫でたりしてくれている。そんな母を見て思った。ぺいを火葬にする前に、母にも、ぺいとだけになれる時間を作ってあげたい。そういえば、何か他に準備しておくべき事はないだろうか?そうだ。棺の準備は出来ているけど、まだ、棺の中に入れる生花を買っていない。本当なら、今夜、少し出掛ける用事があるので、その時、ついでに買ってこようと考えていたけど、急遽、時間潰しも兼ねて、先に生花を買ってこようと思った。そして、花を買いに行ってくることだけを母に伝えて、私は、花屋へ出掛けた。

 

花屋へ向かう途中、買う花は、やはり少し拘りたいなと思いながら自転車をのんびり走らせた。そもそも、猫という動物に添える花だから形式のようなものには捉われずに自由に決められる。という事は、私のぺいに対する思いを花に込める事が出来るという事だ。だから、ぺいの死は、とても悲しいけど、ありきたりな仏花にするのではなくて、我々に凄く愛された特別な猫に相応しい花にしたいと思った。それと、ぺいの棺を用意している際、あらかじめ心に決めていた花があった。それは、百合の花だ。なぜ百合かというと、それは、何となくだけど、百合独特の白くて大きい優雅な雰囲気が大切な魂に添える花として最も見合う気がしたからだ。だから、百合の花は、とにかく出来るだけ大きいものを選びたいと思った。そして、そんな事を考えながら自転車を走らせていたら花屋に到着した。花屋の店頭には、仏花が沢山並べてある。時間的には、ゆっくりしたかったので、ひとまず一通り仏花も見てみることにした。でも、やはり、仏花は、人間向けという気がする。それと、ぺいの旅立ちには何だか地味過ぎて、ちょっと違う気もしたし、形式的に仏花を選択してしまうと、私のぺいに対する思いは何も反映出来ない事になる。やっぱり、ぺいには、地味過ぎず、派手過ぎず、そんな花が似合う。仏花を見た上でも、そう思えた。それで、まずは、白い百合と明るめの花をチョイスして、それと、バランスを取る為に、仏花の中で何か一番意味のありそうな菊の花を買った。そして、それらを自転車の前かごに入れてみる。すると、カゴ一杯になった。これで、棺の中をお花畑のように花で一杯にしてやれる。ぺいという猫の旅立ちに相応しい葬儀をしてあげられる。そう思うと、凄く嬉しかった。そして、そんな思いを胸に自転車を走らせた。家に到着して、母の様子を見てみると、ぺいとのお別れは、充分に出来た様子だった。

 

さぁ、次は、ぺいが快適に安らげるように棺のセッティングだ。ひとまず、数日前にインターネットで調べた方法を参考に作業を進めることにした。まずは、昨夜、自分で作った棺の底にポリ袋を敷いて、その上にタオル、保冷剤、タオルと重ねて、最後にバスタオルを敷いてみた。もう、ぺいの身体は、すっかり綺麗になっている。そして、母も見守る中、ぺいを、ゆっくり抱えて棺の中に寝かせてみた。「これで綺麗な身体で天国に行けるな」「綺麗な身体で過ごせるな」「良かったな」頭の中で棺の中のぺいに話しかけた。そして、敷いているバスタオルの残りの半分を安らかに眠れよと思いながら、ぺいの身体の上に掛布団のように被せた。そして、バスタオルの上に、買ってきた花を一本一本並べてゆく。でも、花を並べていると、ぺいが花や葉っぱで埋もれて見えなくなりそうになった。これは、ちょっと買いすぎたかな・・・。棺の中に買ってきた花が入りきらないので、花の茎を短く切ったりして、買ってきた花の全てを棺の中に納めた。花の一本一本が、天国に行っても幸せに過ごしてほしいと思う気持ちそのものだった。そして、一本一本の花を、ぺいありがとう、という気持ちを込めながら並べた。正直、ぺいは猫だから、花より団子で全く花になんかに興味はないだろう。だけど、天国に行ったら、沢山の花で埋め尽くされた気持ちの良い世界で、他の動物たちと楽しく幸せに暮らせよ。そう思った。

 

ふと、外を見てみる。もう、日が暮れそうだ。そろそろ母は帰るようだ。「じゃあ、また明日、気をつけて」「うん、分った」「もう、この前みたいにぺいは見送ってくれないね・・・」つい先日、ぺいが母が玄関から出て行くのを見送っていた姿が蘇ってくる。もうぺいは動かない。いくら願っても・・・。もう二度と、あの時と同じ姿を見る事は出来ない。もう、二度と・・・。

 

今日は、ぺいと過ごせる最後の夜になる。私が寝るベッドの直ぐ横に、痛みや苦しみから解放されたぺいが安らかに眠っている棺を、私と頭の方向が同じになるように並べて、「ぺいちゃん、一緒に寝ような」「ぺいちゃん、おやすみ」そんな言葉をぺいの耳に届けるように意識して伝えた。ぺいと一緒に寝られる。至福の時間。でも、これが最後になる。そんな幸せを噛みしめながら、部屋の明かりを消してベッドに入った。そして、隣で寝ているぺいに気持ちを寄せながら目を閉じた。

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■第四章 虹の橋

いくら楽しい思い出を作っても、いくら嫌な思い出があっても、死んだら全てが灰になってなくなる。きっと、魂なんて妄想の産物に過ぎない。それなのに、何のために、楽しい思い出を作ろうとするのか?楽しい思い出を作る事に何の意味があるのか?

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八月二十二日(金)

起床と同時にぺいの姿を探した。良かった。まだ生きている。ただ、フローリングの上には、血溜まりが三か所もあった。まだ昨晩から始まった酷い出血が止まっていない。まずは、血溜まりを拭き取って水場の水を取り替えた。それと、朝食の注入については、昨日の夜を最後に暫く中止する事にした。それは、とても食事の消化どころではないように思えたからだ。今日は金曜日。今日さえ仕事に行けば、明日からは、土曜、日曜と、二日間ずっと一緒にいられる。本当なら今日も家に居たいところだけど仕方ない。それにしても、良く生きて、あと二~三日、もしかしたら、今日、死んでしまうかもしれない。そこで、外出前、母に電話した。そして、いよいよ危なそうだから、今日は、日中、こっちに来てぺいの様子を見ていてほしいと伝えた。母からは、直ぐ、「うん、分った」という言葉が返ってきた。母は、ぺいの容態が悪ければ、いつでも駆けつけてくれるという感じだった。さぁ、これで心配だけど出掛ける事が出来る。私は、「じゃあ、ぺいちゃん、仕事に行ってくるからな」「ぺいちゃん、頑張れよ」と、声を掛けながら玄関に歩いた。すると、ぺいは、いつものように歩いて見送りにきてくれた。それにしても、きっと、今、歩けているのは半分奇跡のようなものだろう。身体は痩せこけて、紙切れのようにぺらぺらだし、連日のように出血だってしている。そして、癌の痛みだって凄く辛いはずだ。それなのに、それなのに歩いて見送りに来てくれている。私は、少し誤解していた。昔は、出掛ける前に、もっと何か美味しい餌がほしいという理由で、出掛ける私の足を必死で噛んできていたのだとばっかり思っていた。でも、こんな状況になってまでも見送りに来てくれているのだ。という事は、純粋に、いつも一緒にいてほしかったという事になる。永遠の別れが本当に身近に迫るまで、本当に本当のところは分らなかった。出掛けてほしくないんだよな?本当に一緒にいてほしいんだよな?そんな事を思っていると、これから仕事だというのに、朝から涙が溢れそうになった。それにしても、あと何回見送ってくれるのだろう?この光景を、あと何回体験出来るのだろう?一回一回の見送りが、本当にかけがえのない大切な思い出になる。どんなに平凡な日常であっても、それが、同じ事の繰り返しであっても、永遠に続く事など決して何一つもない。元気であればこその平凡な日々。平凡な日々が、どれほど幸せな事だったのか・・・。そう心の底から思った。「ぺい、ありがとう!」「今日は、おかぁちゃんが来てくれるからな~」「じゃあ、ぺいちゃん、行ってくるよ」「ぺい~」そんな言葉をぺいに届けながら、そして、見送ってくれるぺいの姿を最後の最後まで目で追いながら玄関のドアを、そっと閉めた。あぁ~、ぺい。電車に揺られて会社に向かっている最中にも、見送ってくれたぺいの姿が、ずっと頭に残っていた。けど、そうしているうちに会社についた。そして、いつものように、ぺいの事を忘れるためにも頭を切り替えて仕事に没頭しようと思った。でも、さすがに、今日は、ぺいの事が気になって仕事が殆ど手につかない。もし、死んでしまったら母から携帯電話に連絡が入る。まだ、連絡がないという事は、とりあえず大丈夫だと、仕事中に何度も思った。それでも、今にも電話が鳴るのではと考えると、気持ちは常に落ち着かなかった。そうして、午前が過ぎ、昼の休憩時間になったので、居ても経ってもいられず母に電話してみた。そして、ぺいの様子を聞いた。すると、「うん、今のところ何とか大丈夫だよ」という言葉。良かった。まだ大丈夫だと自分に言い聞かせた。そもそも連絡がなかったので大丈夫だろうという事は分っていた。だけど、まだ生きているという事を確認出来たので、ほんの少しだけど気持ちは楽になった。

 

そうして、定時に仕事を終わらせると家路を急いだ。ちなみに、母に家に居てもらえるのは日中だけだ。だから、祈る思いで凄く緊張しながら玄関のドアを開けた。「ぺい、大丈夫か?」部屋の雰囲気はシーンと静まりかえっている。このところ、ぺいは迎えに来てくれない。そして、そんな静かな部屋のフローリングの上にぺいの姿を見つける事が出来た。その場所は、昔から一番良く過ごしていたお気に入りの場所だ。でも、姿自体は見つけたけど、正直、あまりにも異様な恰好に目を疑った。それは、前脚も後脚も垂直に完全にへちゃげていて、うつ伏せ状態で全身が床面に張り付いた状態だったからだ。例えると、ムササビが四肢を思いっきり広げて空中を飛んでいる姿で、床面に張り付いたのと同じ状態だ。はたして、そもそも猫が骨格的に考えて、そんな恰好出来るのか?それは、絶対に関節が外れないと無理に思えた。私は、信じがたい姿に言葉を失いつつもぺいの顔を見てみた。えっ!明らかに今朝とは違う。瞼は開きっぱなしで瞬き一つすらしない。瞳孔も全く動いていない。私は、「おい、ぺい」と、思わず声を掛けた。それでも、目も顔も尻尾も身体も、何もかも全て動かない。でも、お腹を見てみると、呼吸で、お腹は動いている。良かった。生きている。でも、これは本当に危ない。そう直感的に思った。そういえば、日中の様子は、どうだったのか?私は、母に電話して、まず、今日、来てくれたお礼を伝えた後、ぺいの今の状態を伝えた。母は、いつもより長い夕方頃まで居てくれたそうだ。それで、夕方、帰る時のぺいの状態を聞いてみると、四肢ではなく、後脚だけが、へちゃげていたとの事。今朝の状況と日中の状況、そして、今の状況。母の話を聞いていると、時間の経過とともに、どんどん状態が悪くなっていった事が理解出来た。つい今朝までは、歩いて見送りしてくれたというのに・・・。もう本当に、いよいよ短いな。土曜か日曜。多分、どちらか・・・。そう思った。

 

ぺいの最期の準備を本当にしなければ。まずは、保冷剤の準備。夏場なので遺体を安置している間に必要だと思って事前に購入していた。でも、冷蔵庫内の製氷室で霜にまみれていたので、一旦取り出して直ぐに使えるように製氷室に納め直した。それと、棺の準備。少し前にインターネットで棺の購入を検討した事があった。でも、棺は、燃えてなくなってしまう。どうせ燃えてしまうなら、その分のお金を生花の方に回して、身体を少しでも多くの花で包んであげたいと思った。それで、棺は、ちょうど一週間程前、近所のスーパーから手頃な大きさのダンボールを棺代わりに頂いてきていて、ずっと部屋の片隅に置いていた。ただ、商品名の書かれたダンボールを目にしていたら、ちょっと何か、やっぱり違うな、本当にこのままで良いのか?そんな思いが少しずつ膨らんでいた。それで、日中に閃いた。それは、棺に似合いそうなラッピング用紙をダンボールに貼れば、商品名は隠れるし、お手製の棺を作れるということだ。そこで、早速、家を出て直ぐ近くの店にラッピング用紙を探しに出掛けた。売り場に着いてみると、数十種類のラッピング用紙が置いてある。ぺいが、この世で最後に過ごす場所に一番相応しいデザイン。どれが良いか?当然、棺用のラッピング用紙なんてない。だから、色々な商品を手に取って考えた。折角なので出来るだけ拘りたかった。結局、十数分程、時間を要したと思う。結構迷ったけど、最終的に、色々な動物が遊んでいるデザインのものに決めた。偶然なのか神様の導きか分からないけど、動物の棺に相応しいデザインのものを見つけられて良かった。それと、ぺいの遺影を飾るための写真立てを買っておこうと思った。今のところ、遺骨は骨壺に入れて、ずっと自宅に安置しておくつもりだ。それであれば、なおさら骨壺と一緒に置いておく写真立てがほしかった。そうして、私は、ラッピング用紙と、写真立てを買って急いで自宅に戻った。今日は、もう外出の必要はない。これで、全ての用事が終わったことになる。そして、明日からは二連休。これから二日間、ずっと、ぺいの傍で一緒に過ごせる。ぺいと同じ空間で同じ空気を感じながら過ごせる。そんな一分一秒は、この世で考えられるどのような時間の過ごし方よりも心底嬉しかった。

それにしても、やっぱり、再び自宅に戻ってきても、ぺいは異様な恰好のままだ。上顎の状態が気になったので見てみると、少し乾燥しているように見えた。もう、自分では動けないから顎を水に浸ける事すら出来ない。私は、シリンジに水を入れて上顎が湿る程度に、そっと、上顎の手前側に軽く水を吹きつけみた。

 

ぺいは、こんな時、びっくりして頭を少しぐらいは動かしても良いはずだった。でも、微動だにしない。これは、どういう状況なのか?でも、もし、喉に渇きを感じていたとすれば、これで、少しは楽になっただろう。その時だった。またもや白く動くものが見えた。「えっ!まだいるの?」それは、紛れもない。その正体は蛆虫だ。「昨日、十二匹も取ったのに」私は、発狂した。「どんだけいるんだよ!」「まだ生きてんだぞ!」「いい加減にしてくれ!」気が狂いそうだ。そして、半分正気を失いつつも、昨日と同じようにピンセットで一匹一匹、また、蛆虫を上顎の穴から引っ張り出した。ただ、昨日、結構な量を捕まえた。さすがに蛆虫も残り少ないようだ。だから、なかなか引きずり出すことの出来る穴の開いたところに白い物体が見えてこない。これは、時間の掛る根気のいる作業だと思った。それから、三十分ほど格闘した。それで、結局、また、五匹も捕まえた。「こんちきしょう!」「いい加減にしてくれ!」そう言い放ちながら全部纏めて勢いよくトイレに流した。昨日捕まえたのと合わせると、十七匹も引きずり出した事になる。それも全て一センチほどの長さで丸々と太っていた。それらが全て、上顎の上に開いた穴の中にいたという事になる。穴の先には、どんな空間があるのか?上顎の骨の中は、どういう構造になっているのか?そんな事、分からない。しかし、本当に良くも十七匹もいたものだ。ぺいは、十七匹もの蛆虫が上顎の中に居て、どんな気持ちだったのか?どれ程、気持ちが悪かった事だろうか?ぺいの気持ちを、ほんの少し想像しただけで本当に申し訳なかったという気持ちで、怒涛のように、くやしさが込み上げてくる。本当にあり得ない。ふざけるな!という感情で、また、頭の中がおかしくなりそうだった。でも、そんな事を、どれだけ思ってみたとしても取り返しはつかない。それにしても、まさか上顎の中に蛆虫の巣窟が出来ているなんて思いもしなかった。そもそも上顎という場所は、ある意味、一番、目にしていた場所だった。なのに、それなのに、どうして気づけなかったのか?もっと、早く、もっと、どうして、そう何度も思った。そして、そんな事を思う度に何度も、くやしさが込み上げてきた。

 

そうして時間は過ぎ、夜になったので、夜の食事を注入するかについて考えた。猫は人間と違い数日間食事をしないと臓器に障害が発生して命に危険が生じる。前回の食事は、昨日の夜が最後だったから、ちょうど丸一日経過したことになる。とはいえ、まだ丸一日。色々、情報を収集してみると三日が限界のようだったので、ひとまず、食事の注入は、この危篤ともいえる状態を見極めながらにしようと思った。今のぺいは、トイレに行きたくても砂場になんて辿り着けない。上顎を濡らしたくても水場にも行けない。そんな状態の時に、もし、食事を強引に注入されたら困るだろう。だから、注入という選択肢は絶対になかった。

 

ふと、時計を見ると、二十三時になろうとしている。帰宅後にラッピング用紙などを買いに出掛けたり、蛆虫を取っていたりしていたら、あっという間に時間が経っている。とにかく、買ってきたラッピング用紙で早めにお手製の棺を作っておかなければ・・・。ぺいは、いつ死んでしまうか分からない。当然、糊が乾く時間も必要だ。だから、早め早めで、今夜中に完成させておく事にした。ラッピング用紙には、色々な動物が遊んでいる様子が描かれている。まずは、それらを、ダンボール一つ一つのパーツの大きさに合わせて切る。そして、それらを貼り合わせてゆく。ぺいがこの世で最後に過ごす場所。この世からの旅立ちに相応しい棺。手作りであれば、ぺいがどれだけ愛されていたのか、その思いが表現出来る棺になる。だから、少しでも綺麗に、そして、丁寧に気持ちを込めて作った。でも、想像以上に時間が必要だった。「やっと出来た~」時計を見ると、深夜の一時半。なんだかんだで、二時間半近くも掛った。でも、ぺいのために丹精込めて作った棺でもあり作品でもある。ついに、お手製のオリジナルの棺が出来上がったのだ。ちなみに、材料費は、たったの二百円。でも、値段なんて関係ない。世の中に売られているどんな棺よりも、どんなに値段の高い棺よりも唯一無二の素晴らしいものが完成したと思えた。それにしても、もう夜も遅い。さぁ、寝よう。そう思い、ぺいの様子を見てみると、やはり、へちゃげた状態のままで瞼も開いたままだ。ぺいは、これから先、どうなるのか?いつまで生きていてくれるのか?それにしても、今日は本当に疲れた。部屋の明かりを消して、色々な事を思いながら眠りに落ちた。 

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