「神様からの贈り物」

~扁平上皮癌との闘い~

まだ数年は続くと思っていた、愛猫「ぺい」との平凡な日常。
しかし、その後の誤診と突然の癌宣告...。
それでも、再び元気になれる奇跡を一緒に夢見た記録です。

アルバム

一周忌の日に思ったアルバムの購入について、丸一日、時間をおいてみた。だけど、特に心境に変化はなかったので、帰宅して直ぐに注文を済ませた。それは、一周忌にしておくべき事として、少しでも早くアルバムを完成させたかったからだ。そうして、一周忌から四日目、やっと手元にアルバムが届いた。もう少しでアルバムが出来る。そう思うと本当に嬉しかった。早速、梱包を解いてアルバムを確認してみると、想像していた通りの商品だ。このアルバムには、百枚の写真を挟める。そこで、生前に撮影していた写真の中からアルバムに残しておきたいものを選りすぐってプリントすることにした。そして、そのプリントしたものと、元々、写真として存在していたものを合わせてみると、全部で七十八枚になった。これらを挟んでゆく順番は、年月の古いものから並べてゆく事にした。そうしておけば、出会ってからの思い出を順番に辿れるからだ。それで、そうして作ったアルバムを一枚一枚捲ってみる。すると、直ぐに最後のページになってしまう。思い返してみると、ぺいと暮らした年月も、本当にあっという間だった。いまさらだけど、もっと、一日一日を大切に、もっと、最大限の愛情を注いでやれば良かった。少し後悔のようなものが湧き出てくる。もちろん、一緒に暮らしていた時は、その時々で、それなりに愛情を注いできたつもりだ。猫の一生が、十数年ということも分かっていた。でも、それは、今思えば、所詮、漠然とした感覚だった。それと、そもそも、もし、別れが悲しいものだとしても、まさか、これほどまでに悲しい思いをするなんて想像もしなかった。完成したアルバムのページを捲るたび、本当に色々な事を思う。それにしても、やっと、ぺいとの思い出がアルバムという形になった。もちろん、このアルバムは、母とも共有したいと思って作ったものだ。ぺいを病院に何度も連れて行ってくれたり、色々と面倒を見てくれた母。そんな母にアルバムを見てもらえる事が凄く嬉しかった。そして、翌々日、アルバムを持って母の家に出向いた。もしかしたら、ぺいが、母に会いたいと思っていて、ぺいからの以心伝心で、私は、なおさら嬉しかったのかもしれない。 

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一周忌

あの日から一年。今日までの一年という日々は、ぺいと別れることになった最後の一年を、再び辿るかのようで、とても辛い一年だった。そうして迎えた命日という特別な日。大きな節目に思えた。だから、とびっきり立派で、世界一、人間から愛されていた猫に相応しい命日に絶対にしてやる。そんな事を思いながら過ごしてきた。それにしても、一周忌が日曜日という巡り合わせが本当に嬉しかった。それは、一日中、頭の中の全てを、ぺいの事だけで埋め尽くせるからだ。でも、この巡り合わせは、偶然ではないのかもしれない。実は、ぺいと神様が、最初からセッティングしてくれていた筋書きのかもしれない。私には、何故かそう思えた。

 

ぺいが旅立ったのは、十三時半だった。でも、十三時頃から凄く苦しみ始めた。だから、今日という日は、十三時から仏壇の前でぺいの事を偲ぶ予定でいる。今日は準備で何かと忙しい。もちろん、母も、昼頃、来てくれる事になっている。まず、とにかく命日は、真っ先に神社にお参りをしようと決めていた。そこで、朝、九時半頃には家を出て、いつもと同じように拝殿の前に立ってみた。本当に神様には感謝の気持ちでいっぱいだ。今日は、命日という日、あらためて神様に何を伝えるべきか考えてみた。だけど、やはり、とにかく伝えたいことは一つだけだった。それは、「神様、ぺいと本当に会わせてくれてありがとうございます」と、いう事だけ。もちろん、ぺいが旅立ったことは悲しかった。でも、一度きりの人生。もし、人生の目的が、喜怒哀楽による思い出を少しでも多く綴る事なのだとしたら、こんなにも色々と感じることが出来たということ自体、本当に恵まれていたと捉える事が出来る。そして、そのように考えてみると、逆に全てが凄く感謝すべきことだらけのように思えてくるから不思議だ。もちろん、今日という日は、ぺいにも、あらためて心の中で思っていたことを一つ一つ伝えたかった。「ぺい、色々なものを残してくれてありがとう」「ぺい、楽しい時間を本当にありがとうな」「ぺいと出会えて良かったよ」「いつまでも忘れないよ」「天国で幸せになれよ」「幸せに過ごせよ」もちろん、天国でぺいの近くには神様もいるように思えた。だから、今、ぺいに伝えた気持ちは、そのまま隣にいる神様にも届くと良いなと思った。なぜなら、あらためて一周忌という特別な日に、ぺいに感謝の気持ちを伝えたことで、もっと、もっと、ぺいが、神様や周りの猫から羨ましがられて幸せに暮らせればと思ったからだ。そうして、まずは、朝一番、この一年で整理する事の出来た正直な気持ちを神様とぺいに伝えた。そして、拝殿を背にして神社を出るときには、節目という日に、しっかり気持ちを整理出来た気がして、少し気持ちが楽になった。

 

そうして、今度は、そのままの足で花屋へ向かった。花といえば、ぺいが旅立って間がない頃から、仏壇には生花を一日たりとも欠かさないようにしてきたし、特に、毎月の月命日には、必ず新しい生花に取り替えてきた。それは、生花を絶やさず、月命日に活き活きとした生花を活ければ、ぺいに変わらぬ気持ちを毎月伝えられるように思えたからだ。「ぺいは花より団子だったけどな~」なんて事を口にしながら枯れてきた葉や花が目に付いたら手入れを続けてきた。もし、花が途絶えたり枯れてしまったら、ぺいに申し訳ない。そんな感覚が心の中にあった。もちろん面倒だなんて微塵も感じなかった。むしろ、新しい生花に取り替えたり、花の手入れをしていると、ぺいが喜んでくれているような気がして嬉しかった。それは、糞尿の世話をしている時の心境と似ているのかもしれない。それにしても、花といえば手術が無事に終わって桜の季節を迎えることが出来た日、桜の花を見た時のぺいは、きょとんとしていたけど、花の手入れをしていると、あの時、心に抱いていた希望が頭の中に蘇って涙が溢れてくる事が何度もあった。話が少し脱線した。元に戻そう。

 

それで、私は、花屋に到着した。開店直後だ。店頭には活き活きとした花が所狭しと並んでいる。とにかく今日はぺいが旅立った日。特別な日だ。だから、目には見えない私のぺいに対する思いを、特に一周忌という日は、目に見える花で思いっきり表現出来ると思いながら過ごしてきた。花の購入予算については、何となく三千円から四千円程度かなと思っている。とにかく、まずは、百合の花を真っ先に探した。火葬の時もそうだったけど百合の花は必ず用意したいと思っていた。あとは、夏という季節柄、ひまわりが目に留まった。ひまわりは、明るい黄色で四方八方に大きく花が開いていて、本当に活き活きしている。それは、伸び伸びと、理想的な生き方を表現しているように思えて、ひまわりの花も加えた。あとは、例え高価であっても南国の花やバラの花も大切なぺいには相応しいと思えたので、それらも迷わず買った。そして、菊の花も色々な色のものを揃えて、とにかく、たくさんの花を買って自宅に戻った。ただ、仏壇の周囲は狭くて上手く花を飾れそうにない。そこで、仏壇を部屋の隅に移動して、花は、その周囲に豪華に飾ることにした。それと、命日のお供え物は、生前に使っていた食器も使用して豪勢にしたいと思っていたので、引越しの時に遺品を纏めたダンボールの中から食器を取り出した。それにしても、どの遺品を手に取ってみても、その一つ一つに本当に色々な思い出が詰まっているから、遺品の全てがぺいの分身のように思えてくる。取り出した食器は、もう一度、綺麗に洗って仏壇の前にセッティングした。

 

 そして、着々と準備を進めていると予定通り母が到着した。母は、ぺいが生前に目の色を変えて食べた豚肉を湯通ししたものを持参してくれていて、それを、お供えして手を合わせてくれた。私は、豚肉を持参してくれたことが凄く嬉しかった。そして、この感情は、ぺいの喜びではないかとさえ思えた。その後、母は、正午頃、用事があるという事で、一時間程、部屋で過ごして帰った。私は、ぺいが旅立った時刻には、母と一緒に過ごす事になると思っていたけど、こればっかりは、色々と用事があるようなので仕方がない。とにかく、私は、母が暑い中、線香をあげる為だけに、遠路を自転車で来てくれた事が嬉しかった。

 

さぁ、私もぺいのために豚肉と鶏のもも肉を買ってきている。でも、豚肉は、母が、お供えしてくれたので、私は、たっぷり鶏のもも肉の方を湯通しして、お供えの食器に入れた。ぺいには、最後に、もう一度、本当にお腹いっぱいに美味しいものを食べてほしかった。それと、生前は癌で水が飲めなくて、喉が凄く渇いただろうから、飲み物の食器には、たっぷり水を入れた。今日は、好きなだけ思う存分に食べて飲んでほしいと思った。ちなみに、今日、使用するロウソクは、毎月、月命日だけに使用してきた燃焼時間が長くて少し値段の高いロウソクだ。そうして準備をして、予定の一時になった。私は、ロウソクと線香に火を点けた。燃えるロウソクの炎を眺めていたら、一年前の出来事が鮮明に蘇ってきた。辛い。そして、ロウソクの炎が消えた。時間は、一時十五分過ぎ。まだ、ぺいが旅立った時刻までは少し時間がある。もう一度、新しいロウソクと線香に火を点けた。これから、この二本目のロウソクが消えるまでの間は、ぺいが最後の最後に凄く苦しんでいた時間になる。そして、この炎が消えると、それは、計算上、ぺいが息を引き取って間のないタイミングということになる。私は、目を閉じて、ロウソクの炎が消えるまでの間、黙祷して、ぺいの事だけを一心に過ごす事にした。それは、ちょうど一年前、ぺいが感じた苦しみを、あらためて感じ、それを受け止める事で、ぺいの苦しみが少しでも和らげば良いなと思ったからだ。それにしても、目を閉じていると時間の進み方が凄く長く感じられた。そして、ついに煙の臭いが漂ってきた。目を開けてみるとロウソクの炎が消えている。永遠には続かない炎。そんな炎の灯火と、命の灯火が重ってしまう。時計を見ると、一時三十五分になっている。

 

ついに終わった。あれから、ちょうど一年。再び、同じ日の同じ時刻が過ぎた。さぁ、片付けよう。仏壇は、部屋の隅といっても生活に支障をきたす場所に移動していたので、このままにしてはおけない。だけど、片付ける前に、一周忌の様子を写真や動画に納めておこうと思った。写真については、仏具を取り揃えたインターネット上のショップにペット供養のコーナーがある事を知っていたので、そこに投稿する事で供養の一部にしたかったし、ぺいと一緒に癌と闘った日々の出来事や思いを本にしたいと思っていたので、写真を撮っておけば、本の中で紹介出来ると思っていたからだ。それと、動画の方はというと、特に目的はなかったけど、命日の様子が音も含めて全て記録出来るので、ついでに撮影しておく事にした。それにしても、昨年末、引っ越してきたこの場所は、神社に近くて、窓を開けていると神社の木々からぺいの大好きだった蝉の鳴く声が大合唱のごとく聞こえてくる。その蝉の声を聴いていて思った。今こうやって鳴いている蝉たちは、この夏限りの命。決して来年を向かえることはない。生と死。生に永遠はない。ぺいは、自らの死を悟ったとき、どんな気持ちで残された時間を過ごしたのだろう?そういった事も思いながらの動画撮影になった。こうして、一周忌という大きな区切りが終わった。あらためて丸一年という時間が経過した。最後に仏壇は、元の場所に戻した。生花は、仏壇の横に何とかスペースを確保出来たので、そこに飾った。

 

今日は、あの日と同じ夏の日。夜になり、ぺいと出会ってからの思い出を、あらためて振り返っておきたいと思った。それで、出会ってから間がない頃に、使い捨てカメラで撮影した写真や、パソコンの中に保存してある写真や動画を見ていた。そして、ふと思った。ぺいの生涯を綴ったアルバムを作ろう。もちろん、作ったアルバムを、ぺいに贈ることは出来ない。だけど、私が、ぺいの事を思いながらアルバムを作れば、きっとぺいは喜んでくれる。物は贈れなくても思いは贈れる。そう思えた。そこで、インターネットで、「猫 アルバム」というワードで、何か良いものがないか探してみると、幾つかの猫のアルバムが出てきた。それにしてもインターネットは本当に便利だ。ただ、アルバムは、ずっと形として残る大切なもの。そこで、一晩だけ注文は見送って、翌日、何も心境に変化がなければ注文しようと思った。こうして、一周忌という大切な日は、ぺいが喜んでくれたであろう事を想像しながら、また一周忌を、無事、終えられた事も嬉しくて満足感に浸りながら眠りについた。

 

そして、翌日、朝、いつものように真っ先に仏壇に目を向けてみた。すると、なんとなく、なんとなくだけど、ぺいが、もう、この世から本当に、そして、完全に旅立ってしまったような気がした。それは、ぺいが旅立って以降、初めて感じた感覚で凄く寂しいものだった。でも、この世に未練などなく、最後に、「ありがとう」という言葉を残して、旅立ってくれたような、そんな感覚もあった。もしかすると、魂は、一周忌を迎えるまで、この世に少し残っているものなのかもしれない。だけど、あれから一年が経ち、あの息を引き取った時刻に、もう一度、ぺいの事を見送ったことで、きっと、気持ち良く微笑みながら、この世から完全に離れることが出来たのではと思えた。そして、私は、その事が何より嬉しかった。

 

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雨降り地区

心の中でぺいのことを思ってさえいれば、今も変らず生きている。最近は、自分にそう言い聞かせながら過ごしている。しかし、心に空いた隙間は完全には埋まらない。一緒に暮らしていた時には、ペットフードを与えれば、もっと美味しいものをよこせと催促してきたり、外出しようとすると、それを阻止しようとズボンの裾を噛もうとしてきたり、はたまた、やさしく撫でてやっていて気持ち良さそうにしているかと思っていると、急に豹変して手を噛んでくるということもあった。そこには、もちろん我侭だって含まれていたのだと思う。でも、そんなぺいが好きだった。生きていれば、色々な感情が生まれる。でも、そんな感情の一つ一つを受け止めながら一緒に暮らせた事が、今思えば、本当に嬉しかった。ただ、今となっては、何一つ自己主張なんてしてこない。まだまだこれからも、本当は、昔みたいに沢山の我侭で困らせてほしい。そもそも、魂とは何なのか?やはり、ああしたい、こうしたい、そんな感情があるからこそ本当の魂といえるのだと思う。

 

 そういえば、ぺいが旅立って暫くした頃、虹の橋という話と、もう一つ知った話がある。それは、ペットが旅立った後も、ずっと、悲しみを引きずっていると、愛するペットは、虹の橋の入口にある雨降り地区と呼ばれる場所から出られなくて、寒さに耐えながら悲しみに打ちひしがれてしまうという話だ。確かに、ずっと、悲しみを引きずっていると、自分自身の身体にはマイナスでしかないように思う。それと、旅立ったペットにしてみても、飼い主が自分のせいで体調を崩せば悲しいはずだ。そもそもだけど、永遠の命なんてありえないし、悲しいと思う気持ちの根本は、何よりも一緒に過ごしてきた時間が楽しかったからこそだ。だから、自分自身の為にも、愛するペットの為にも、少しでも早く立ち直るべきなんだと思う。だから、このような雨降り地区という考え方というもの自体には凄く共感出来るし理解も出来る。でも、やっぱり、悲しいものは悲しい。いくら頭では分かっていても気持ちは、そう簡単には変えられない。

 

それにしても、まもなく一年が経とうというのに、夜、ぺいの動画を見ていると、また、大粒の涙が出てきた。「ごめんな、ぺい」「本当に本当にごめんな」「なかなか虹の橋に行けないかもしれないけど、ごめんな」「ぺいの事が、本当に本当に大好きだったんだよ」「だから許してくれよ」また、パソコンの前で顔を伏せながら思いっきり泣いた。雨降り地区といっても、ぺいがいる場所は、いつも大雨ばかりだ。そして、だから今日も雨降り地区から出て行けなかった。「ごめんな、ぺい」「本当に悲しくて悲しくて仕方ないんだよ」「本当に、ごめんな・・・」泣きながら、虹の橋にいるぺいの様子を頭に思い浮かべてみる。ぺいは、「全然、無理しなくて良いよ」「ゆっくり時間を掛けて」と、雨を嫌がらないで、逆に雨を快く受け入れてくれている。私の勝手な想像に過ぎないけど、そんな気がした。「ありがとう、ぺい」「本当に本当にありがとう」「ぺい、ありがとうな」

猫の神様

 ぺいが旅立ってから、まもなく一年が経とうとしている。ただ、それでも相変わらず夜になると、ぺいの事が忘れられずに、毎日、生前に撮ったぺいの動画を見ている。そして、週に二日か三日は、思いっきり大粒の涙を流している。そういえば、涙が出るのは、ストレスによって作られた体内の有害物質を外に排出する為だそうだ。でも、こんなにも泣いていたら、もしかすると、私自身も悲しみのあまり癌になってしまうかもしれない。そんな事を何度も感じてしまうほど泣いてきた。ただ、愛するぺいを失った事が悲しくて、もし、私も命を落とす事になってしまっても、それはそれで仕方のないこと。何も後悔なんてしない。本気でそう思ってきた。「ぺい、お前は、世界一、どの猫よりも死んだ事を人間から悲しまれていると思うよ」あの世にいるぺいを思い浮かべて、そう、何度も伝えてきた。

 

 そういえば、今日は泣きながら、ある光景を頭に想像していた。それは、あの世でのぺいの様子だ。ちなみに、あの世からは、神様はもちろん、他の猫たちも、この世の様子が良く見えるようだ。そして、今、あの世では、猫の神様が他の猫たちよりも少し高い場所にいて、この世での猫の行いを評価している。もちろん、あの世の他の先輩猫たちも評価を傍聴したくて猫の神様を取り囲むように沢山集まっている。そして、そんな先輩猫たちも、あの世に久しぶりに戻ってきたばかりのぺいに向けて発せられようとしている猫の神様の言葉に聞き耳を立てている。ぺいは、神様より、少しだけ離れたところに、ちょこんと座っていて、神様から発せられようとしている言葉を聞こうと、礼儀正しく、神様の方を向いている。私が、お邪魔したのは、ちょうど、まさに猫の神様がぺいに言葉を発しようとする少し前だった。暫くすると神様が喋りはじめた。「お前は、あんなに人間に悲しんでもらえているのか」「それほどまでに人間から愛されていたのか」「本当に凄く大切に思われていたんだな」「お前は、本当に凄いな!」神様はとても驚いた様子で何度も同じような事を口にしている。もちろん、先輩猫たちも、「そんなに人間に思われていたなんて」と、神様と同じように驚きつつも、「そんなに人間に悲しまれるなんて」と、心底羨ましがっている。ぺいは、神様曰く、凄く頑張り屋さんだったようだ。だから、この世で、癌になって凄く苦しくても、耐えに耐え抜いて、余命宣告された日まで必死に頑張った。普通の猫だったら、普通の精神力だったら、とても余命宣告された日までなんて絶対に耐えられなかった。それで、他の誰も真似出来ないほど、色々なことを長い間、頑張ってきたからこそ、一緒に生活を共にしてきた人間から、前例のないレベルで、この上なく悲しまれているのだという事が明らかにされた。猫と人間との長い歴史をどれだけ振り返っても、これほど人間に悲しまれるというのは、神様も全く記憶にないそうだ。そして、暫くすると神様がまた口を開いた。「お前は、使命を本当に立派に果たしたな」そう言って、ぺいの事を褒めている。使命?そう、猫が、人間に飼われるようになったのは、実は、偶然なんかではない。人間という生き物は、この世に神様によって創造されて間もない頃から、自分たち人間のことだけでなく、他の全ての生き物に対しても、色々と配慮出来る資質があるのだと、実は、神様から期待されているようだ。それで、それ以降、そんな神様が抱いた理想郷に一歩一歩ずつでも近づける為に、人間の神様と猫の神様が、天界で手を取り合って、猫の神様は、猫という生き物を創造して、人間界に送り込んでいるようなのだ。そして、ぺいの魂は、あの世で、十数年前、そんな神様に選ばれて、この世に生を受けた。それから数ヵ月後、ぺいは、ペットショップのゲージの中にいた。ぺいはゲージの外から眺める私を見て、この人なら、神様から授かった使命を果たせると思ったようで、猛烈に自分の存在をアピールしたみたいだ。そして、その後は、私と一緒に十数年、同じ時間や出来事を沢山共有してきた。そんなぺいは、今、あの世で猫の神様から凄く賞賛されている。これで、ぺいは、あの世でも今まで以上に心地良く、新生活をスタート出来そうだ。幸せそうなぺい。私も本当に嬉しい。いや、ぺい自身よりも、私の方が嬉しい。なぜなら、ぺいの事なら何でも負けない自信がある。「良かったな、ぺい」とにかく、これで少しは安心だ。本当に良かった。

 

 それにしても、ぺいの事は、もちろん一緒に暮らしていた時にも、良く考えてはいたけど、むしろ、この世からいなくなってからの方が考えている。四六時中とまではいかなくても、ほぼ、そんな感じだ。姿が目に見えるのか、見えないのか違いはあっても、ぺいの事を頭で思っている時間で言えば、ぺいの存在は、あの世に行ってからの方が大きくなっている。最近、そんな事を思うようになった。そして、もし、頭の中で思っている時間こそが存在だと考えるなら、私が、この世で生きている限り、ぺいは、私の心の中で生き続けているということになる。それは、この世、あの世という存在する場所に違いはあっても、意識の中の世界では、ある意味、何も変わっていないという事になる。こうして、色々と存在という概念について考えてゆくと、ぺいがいなくなって、結局、変化したものは、この世に身体が存在しているのか、存在していないのか、その違いだけのように思えてくる。でも、身体そのものの作りは、どの猫だって同じだ。そうすると、その猫の身体そのもの自体には、特別な感情は生まれないはずだ。そう考えると、結局、この世に身体が存在しているかなんてことも、悲しみとは、直接関係ないという事になってくる。そうすると、一体、この悲しみの正体とは何なのか?それは、その正体とは、感情なのだと思う。感情という心の動きに全く同じものは存在しない。そして、その心の動きという感情こそが唯一無二の価値であって個性。だからこそ、それを失ったら代替するものが存在しないからこそ、悲しいという感情が生まれるのだろう。

 

しかし、諸行無常、全ては常に変化する。それを、逆説的に表現するなら、変化するという事が変化しない唯一の事とも言える。変化する事に逆らえないという事は、それは、新陳代謝のようなもので、宇宙レベルの視点で考えると、その方が良いという事になるのだろう。もっと言うならば、そうでなければならない、という事なのかもしれない。だから死とは、そうした過程の一部を、全うしたのだと捉えるようにすれば、少しは悲しみも癒えるような気がする。

 

それと、もう一つ。感情という心の動きを魂と表現するなら、死んだあと、魂の入れ物である身体がなくなったとしても、魂は、どこかに存在するのだろうか?身体以外の場所に、魂が存在しているような場所があるのだろうか?そんな事は分からない。でも、分からないということは、可能性はあるということだ。でも、もし、そんな領域が本当に存在するのなら、そこでは、ぺいには、今まで以上に幸せに満ち足りた状態で過ごしていてほしいなと思う。そして、あの世からの一方通行でも全然構わないから、今も、私が、こんなに悲しんでいるという事と、ぺいの幸せを心から願っているという事が、ほんの少しでも良いから伝わってくれていると、本当に嬉しい。

かくれんぼ

「ぺい、いつまで隠れてんの?」「出てこいよ~、ぺい」「・・・。」「ダメだよ~、いい加減出てこないと・・・」

 

帰宅して玄関のドアを開けても部屋の中は静まりかえっている。もう、ぺいが旅立ってから半年以上が経った。どこを探しても居るはずがない。それが現実。そんな事、頭では良く分かっている。ただ、気持ち的には、未だに現実を完全には受け入れられなくて、訳の分からない事を口にしてしまっている。でも、昔、帰宅してもぺいの姿が見えない時、部屋の中を探してみると人目に付かない押入れの奥で寝ているという事が稀にあった。だから、また、あの時みたいに、ひょこっと出て来るかもしれない。いや、出てきてほしい。ぺいが居なくなったのは何かの間違いであってほしい。私の心は、必死で何かに縋りたかったのだと思う。でも、やっぱり、部屋の中は静まりかえったまま。どこを探したって見つかる訳がない。「ぺい、痛かったろ」「ぺいちゃん、痛かったよな・・・」「ぺい・・・」やっぱり、ぺいは骨になってしまったんだ。今は、骨壺の中にいるんだ。今度は、骨壺の中にいるぺいに話し掛けてみる。もちろん、何も応えてくれない。やっぱり、ぺいちゃんは、死んじゃったんだ・・・。「ぺい・・・」「もう、骨になっちゃったら何も喋れないよな」一緒に奇跡を信じてきたというのに・・・。また、胸の奥から悲しみが込み上げてきた。

 

それにしても、あの日から何も変わっていない。予定通り、去年の末には引っ越しをした。でも、引っ越しをしても悲しみの度合いは全く変わらなかった。そして、その後、迎えた新年。正月だからテレビをつけてみても、外を歩いていても、日本中が明るい気持ちでスタートしよう。そんな雰囲気に包まれていた。そして、それは、さすがに少し気持ちがほぐれるきっかけになった。これから始まる年は、気持ちを切り替えて過ごしてゆくんだ。そんな気持ちになれた。そうして迎えた新年だった。だけど、それから明るい気持ちで過ごす事が出来たのは、たったの一週間だけだった。結局のところ、表面上の気持ちは一時的に変えられても、奥底にある気持ちは何も変わらなかった。もちろん、そうなるであろう事は、最初から何となく分かっていた。でも、表面上の気持ちだけでも切り替える努力をしてゆかないと、いつになっても奥底にある気持ちなんて変化しない。そう思っていたのも事実だ。だから、新年という機会を活かして、何とか明るく過ごせるように努力してみたのだ。だけど、そんな自己暗示も長くは続かなかった。やっぱり、ぺいの事が忘れられない。いや、本心は、忘れたくないんだ。もう、無理はしないで自分に正直に生きよう。もう、どんなに悲しくたって構わない。ぺいの事が好きだ。だから、いつまでもぺいの事を思っていたいんだ。もう、どんなに悲しくても、どんなに辛くても、そんなのは構わない。全部、受け止める。そして、もう、自分の気持ちに嘘はつかない。決して無理に忘れようともしない。悲しいものは悲しいし、忘れたくないものは忘れたくない。それが、自分の正直な気持ち。それで、また、夜には、週に二日か三日は、ぺいの動画や写真を見て涙を流す日々に戻った。

 

ちなみに、動画は、もう手の施しようがないと聞かされ、その後、暫くしてから撮影を始めたのだけど、動画には、私が、名前を呼べば、私の方に顔を向けてくれているぺいの姿が残っている。それにしても、どれほど苦しんだ事だろう、どれほど辛かった事だろう。それなのに、呼べば私の方に顔を向けてくれている。あの時は、本当に死んでしまうなんて、そんな事、現実離れしていて信じられなかったし、到底受け入れられなかった。それと、ぺいに限っては、何か奇跡のようなものが起きて不思議と助かるような気すらしていた。だから、精神的に弱っているぺいに少しでも元気を出してほしくて、一緒に頑張ろうという気持ちを込めて、私は、名前を呼んでいたのだ。そして、それに応えるように、ぺいは、私の方に顔を向けてくれていた。一緒に奇跡を夢見て頑張ってきた。それなのに。それなのに・・・。ぺいは凄く頑張ってきた。そんなぺいを抱きしめてやりたい。本当に長い間、頑張ってきた。そんなぺいの頭をなでなでしてやりたい。「ぺい」「ぺいちゃん、ごめんな・・・」「ぺいは、本当に良く頑張ったよ」「本当に、苦しい思いをさせてごめんな」「強制的に大好きなぺいちゃんの命を絶つ事なんて出来なかったんだよ」「ごめんな、ぺいちゃん」「許してくれよ、ぺいちゃん」「ごめんな、本当に本当にごめんな」また、いつものように骨壺の中にいるぺいに話し掛けながら、骨壺を手や顔で何度も擦りながら泣いた。

 

そう言えば、死に際に立ち会えた事は、本当に良かったのだろうか?最期の日、悶え苦しみながら旅立った姿が頭から離れない。そもそも、苦しませない安楽死という方法だってあった。でも、そうはしなかった。だから、本当に長い間、ぺいには、辛く苦しい思いをさせてしまった。私の判断は、本当に正しかったのか?「ぺい、ごめんな」「苦しませてごめんな」「蛆虫だって、もっと早く気づいてやれば良かったよな」「ごめんな」「痛かったよな」「本当に本当にごめんな」「ぺいちゃん、俺の選択は正解だったか?」「ぺいちゃん、幸せだったか?」「最後にそれだけで良いから聞きたいよ」

 

でも、ぺいは、言葉を返せない。ただ、私の選択は、ぺいの気持ちと一緒だったと信じている。それは、最期を迎える少し前、ぺいは、数日前から全く振っていなかった尻尾を久々に大きく振ってくれたからだ。あれは、最期が近い事を知らせてくれたのだと思っている。それと、ぺいがへちゃげてる前で、私が号泣して泣き終わった後、私の方に少しだけ頭を向けてくれた。最期を迎える一時間程前の出来事だった。あれは、渾身の力を振り絞って、本当に最後の最後まで私の事を気に掛けてくれたのだと思える。それにしても、このように思えるという事自体、凄く嬉しい事である。そして、私は、凄く幸せ者だと思う。何から何まで、ぺいには感謝してもしきれない。「ぺい、本当に、ありがとうな」