「神様からの贈り物」

~扁平上皮癌との闘い~

まだ数年は続くと思っていた、愛猫「ぺい」との平凡な日常。
しかし、その後の誤診と突然の癌宣告...。
それでも、再び元気になれる奇跡を一緒に夢見た記録です。

東日本大震災

二〇一一年三月十一日十四時四十六分。未曾有の大地震が発生した。私は、会社の会議室で業者と打ち合わせをしていた。この日は、電車が完全に止まってしまい全く復旧の見込みが立たなかったので歩いて自宅に帰った。凄く風が強くて寒い夜だった。そして、余震も幾度となく発生していた。帰路の途中、部屋の様子や、ぺいの事が気掛かりで仕方なかったから、とにかく家路を急いだ。そして、自宅に着いたのは、二十一時を少し過ぎた頃だった。私は、自宅マンションに到着して唖然とした。外壁のタイルが剥がれて落ちていたり、壁と柱の繋ぎ目に割れ目が出来ていたりで酷い状態だったからだ。私は、停止したままのエレベータを横目に階段を昇って自分の部屋のある階に辿りつき、玄関のドアを開けたのだけど、あまりの状況に唖然とした。部屋の中の倒せるものは全て一つ残らず倒れている。また、人の手で床に落とせるものも根こそぎ床に落ちている。そんなもんだから、玄関のドアを開けても簡単には部屋の中になんて入れない。とにかく想像を遥かに超えた状態だった。それはそうと、一番の気掛かりだったぺいの姿が玄関から部屋の中を覗いてみても見当たらない。私は、直ぐにぺいの名前を確認するように呼んでみた。静かだ。全く返事がない。部屋の状況から察するに、何かの下敷きになっていない方が不思議な状況で焦った。何がどれだけ壊れていようと、そんなのはどうでも良い。とにかく、ぺいだけは無事でいてほしい。心の底からそう思った。もう一度、名前を呼んでみる。やっぱり静かなままだ。何も返事がない。ぺいは、どうした?とにかく探さなければと思った。倒れかけた書棚、その下を潜って、床に落ちているものをかき分けながら部屋の中に入った。六畳程のワンルームなのに、結局、玄関のドアを開けて部屋の中に入るまでに五分近くも必要だった。そして、ベッドの上に立って周囲を眺めてみる。すると、足元付近に、ふと白い何か動くものが見えた。ぺいだ!良かった。ベッドの上にいたのだ。もちろん、ベッドの上にも服などが落ちている。だけど、そんなものが散乱する隙間にぺいがいた。地震の時、ぺいは、どのように行動をしたのか?とにかく、「おぉ、ぺい、無事だったかー、良かった、良かった」と言葉にしながら、ぺいの全身を私の身体で包んでやった。ひとまず、見た感じも無傷のようだ。生きていてくれて本当に良かった。でも、ぺいは小刻みに震えている。地震が起きてから随分時間が経っているというのに。部屋の悲惨な状況、頻発する余震、そして、いつもなら帰宅しているはずの時間になっても、ご主人様は戻ってこない。きっと、ぺいは、凄く怖くて不安だったはずだ。「怖かったなぁー、もう大丈夫だからな」と、頭をなでなでしながら声を掛けてやった。

 

 その後、大地震から、ちょうど一か月が経過した日の夕方、またしても、大きな地震、余震が発生した。本震と比較すれば少し小さい程度で相当揺れた。ちなみに、この日も仕事で外出していたので、部屋の様子とぺいの事が気掛かりで仕方がなかった。そして、帰宅する時間帯には、電車がかろうじて動いていた。私は、仕事を終え、とにかく自宅へと急いだ。そして、ぺいと部屋の様子が心配で緊張しながら玄関のドアを開けた。またしても、物が倒れたり、色々なものが床に落ちている。それでも、本震の時と比べれば、全然、大した事はなかった。ところが、ぺいの姿が見えない。ぺいの名前を呼びながらトイレのドアを開けてみる。ぺいがいた。「おぉ~ぺい~良かったよ。大丈夫だったかぁ~」と、声を掛けながらぺいの顔を見てみると、両目に溢れんばかりに涙を溜めている。猫の涙なんて初めだ。「不安だったよな、もう、大丈夫だからな」と話しかけてやる。そして、それから数分後、再び、ぺいの顔を見てみると、すっかり涙は消えている。まさか、猫も人間と同じように感情で涙を流すことがあるんだ・・・。私は、びっくりした。そして、猫だって人間と同じなんだという事に凄く心が揺さぶられた。大震災の時に経験した恐怖が相当トラウマになっていたのだろう。今回の地震も相当大きかった。だから、凄く怖かったし本当に不安だったのだと思う。私は、ぺいの涙を見た事をきっかけに、猫の気持ちを人間の気持ちと全く同じレベルで考えるようになった。大震災では、「絆」という言葉を良く耳にしたけど、まさに、私と、ぺいの絆も、まさしく大震災をきっかけに一層強まってゆくことになった。

 

大震災から約一年後。以前のぺいは、私の足元あたりで寝る事が多かったけど、私と同じ枕で寝るようになった。人と同じ枕で寝るというと不思議に思うかもしれないけど、私が使用している枕は、テンピュールという素材で出来ている凄く低い枕。だから、猫でも特に問題なく頭を乗せられるのだ。そして、私とぺいが寝る時は、ぺいが枕の短い縦側に頭を乗せているので、私とは、身体を九十度ずらして寝ていることになる。そんな訳だから、私が寝返りで横を向くと、枕の上に乗っかっているぺいの頭や耳が目の前に見えるのだ。ここまで距離が近いと、ぺいの息遣いだって感じる事が出来る。一緒の枕で一緒に寝るということ。本当に幸せに思えた。そう言えば、凄く近くで寝ていると、猫も、結構、いびきをかくのだという事が分った。でも、昼間、一緒に部屋にいる時には、いびきまで聞こえる事はないから、きっと、夜は本当に安心して寝ているのだろう。そう思うと、夜、いびきをかいて寝てくれる事も、凄く嬉しかった。でも、どうして、同じ枕で寝てくれるようになったのか?考えてみると、少なからず思い当たる節はある。あれは、確か震災後、数か月程してからの事だった。私は、昼寝をしたくなった時、ぺいがベッドの上で寝ていれば、あえて、ぺいの目の前で添い寝するようにした。それでなんだと思う。きっと、猫だって、自分に好意を抱いてくれている度合いを敏感に感じ取っているのだろう。そして、それに見合った好意を抱いて、距離感が、より近いものになってゆく。そう思うと、心を完全に許してくれている、そして、さらに、いびきまでかいてくれている目の前のぺいの寝姿が益々愛おしく思えた。

 

その夜、あの震災の日から約二年。ついに、特別な日がやってきた。そう、十回目の特別な日。「ぺい、誕生日おめでとう!」十歳の誕生日、この日の食事は、とびっきり贅沢にした。十歳。一緒に過ごしてきた十年という歳月の間には、本当に色々な事があった。もちろん地震もそうだけど、私の人生にも本当に色々な喜怒哀楽があった。どんな時にも、いつも一緒にいてくれた。とにかく、十年という大きな節目の日を迎えられて良かった。人間でいえば還暦の祝いみたいなものだ。ムシャムシャと、目の色を変えて美味しそうに食べるぺいの姿が、本当に微笑ましくて、それは、自分が美味しいものを食べた時よりも遥かに嬉しい。次のお祝いは、五年後の十五歳になった時だな。二十歳は無理でも、十五歳ぐらいまでは元気でいろよ!と思った。

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