「神様からの贈り物」

~扁平上皮癌との闘い~

まだ数年は続くと思っていた、愛猫「ぺい」との平凡な日常。
しかし、その後の誤診と突然の癌宣告...。
それでも、再び元気になれる奇跡を一緒に夢見た記録です。

三月十七日(月)

いよいよ、今日は待ちに待った入院の日。朝、起きて目を開けてみると、びっくりだった。何と、ぺいが、久しぶりに私と同じ枕で寝ていたのだ。ぺいが、枕で寝るときは、枕の横の部分に頭を乗っけているのが定位置。だけど、涎が出るようになってからは、枕で寝る事も、枕元でさえ寝る事さえもなくなっていた。もちろん、時々、涎が止まる事はあったけど、それでも全然枕元には来なくなっていたのだ。親バカかもしれないけど、ぺいは、気遣いというか、しっかり自分の状況が理解出来ていて、何かにつけて、私がどう感じるかという事を常に考えて行動してくれているように思えるのだ。でも、今日からは入院で暫くお別れ。そして、昨夜は、たまたま涎も止まっていた。そんな夜だったからこそ、久しぶりに同じ枕で寝てくれていたのでは?私は、とても偶然には思えなかった。もしかして、ぺいは、入院する事や手術する事も、全部知っていて、入院する前には、どうしても一緒に寝ておきたかったのではないだろうか?私には、ぺいの意思だとしか思えなかった。そして、そう思うと、益々、枕に頭を乗せて寝ている目の前のぺいが凄く愛しかった。

 

そして、そんな事を思いながら、身支度をしていると母が来た。ぺいを病院に連れて行ってもらうためにお願いしていたからだ。古希を超えた母。そんな母に六キロ程もあるぺいを運ぶという事をお願いするのは、本当に申し訳なかった。そうは言っても協力を得るしかない。でも、もし、ぺいの癌が、もう数か月、早かったら母にお願いする事すら出来なかった。なぜなら、二か月程前まで、母は、パートの仕事に就いていたからだ。母が仕事をしていたとしたら、癌治療(特に放射線治療)は、諦めざるを得なかったように思う。そう考えると、癌治療が不自由なく出来るのは、決して偶然ではない気がした。もしかしたら、ぺいの命は、紙一重で奇跡的に助かるのではないだろうか?神様か何かの力で、不思議と、そうなるような運命さえ感じた。

 

時計の針は八時を回り、出掛ける身支度が整った。そして、母と一緒にぺいを連れて自宅を出る事にした。せめてもと思い最寄りの駅までは、私が、ぺいを運んだ。そして、駅のホームで電車が来る直前に、「ぺい、頑張れよ!頑張ってこいよ」と、声を掛けて、ぺいと母と別れた。そして、ぺいの事は全て母に任せて、私は、普段と同じように会社に向かった。

 

 仕事を終えた私は、いつものように神社にお参りした。実は、扁平上皮癌という事を知って以降、自宅の直ぐ近くにある神社へのお参りを一日足りとも欠かしていない。お賽銭は、毎回、百円。そうすると、月に三千円にもなる。でも、ぺいの命の神頼み代と考えたら全然安いものに思えた。「どうか手術が成功して元気になりますように」「癌が良くなりますように」そうして、毎日、三分程、手を合わせて祈った。癌が奇跡的に根治してほしい。それで、あと、三、四年、せめて、平均寿命まで生かせて下さいと願った。飼い猫だし、たっぷりの愛情で包んできた訳だし、せめて、せめて、それぐらいまではと思った。こんなに愛くるしくて、凄くやさしい心を持った猫、それなのに・・・、「どうか、どうか神様、お願いします」と、雨の日も風の日も祈ってきたのだ。神社を後にして、自宅に戻ってみると、部屋の中は、不気味なぐらいシーンとしている。凄く寂しい。ベッドの上の掛け毛布には、血と涎が混じったものが大量に付着して固まっている。さすがに、洗濯をしても、クリーニングに出しても綺麗にするのは無理だろう。ぺいが退院して戻ってきたら涎は止まっているはずだ。そこで、汚れた毛布は、そのまま捨てる事にした。それから、直ぐ、母に電話した。まず、病院まで運んでくれた事へのお礼を伝えた。そして、先生とのやり取りについて聞いた。例の手紙も渡してくれたようだ。先生は、しっかり、手紙を見てくれていたそうだ。それを聞いて少し安心した。私の書いた手紙が、先生の心に少しでも届いてくれていると嬉しい。

 

 今夜、家にぺいはいない。夜寝る前には、一緒にトイレを済ましたり水を飲んだりしていたのに。今頃、ぺいはどうしているだろう。周りに知らない猫や犬がいっぱいの部屋で眠れるかな?ぺいは、純真無垢な箱入り息子の臆病者だからな。大丈夫だろうか?私は、そんな事を考えていて、いつもより就寝時間が遅くなった。だけど、ぺいの事を心配しながら眠りについた。 

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