「神様からの贈り物」

~扁平上皮癌との闘い~

まだ数年は続くと思っていた、愛猫「ぺい」との平凡な日常。
しかし、その後の誤診と突然の癌宣告...。
それでも、再び元気になれる奇跡を一緒に夢見た記録です。

八月十四日(木)

一目で、どう見ても容態が悪化してきている事が分かる。それも著しく。見るに堪えない。ぺいの名前を口に出す事さえ躊躇してしまう。なぜなら、名前を呼べば気を遣わせてしまって、負担を掛けてしまうからだ。それでも、小さい声でやさしく呼んでみる。やっぱり、尻尾すら振ってくれない。それどころではないはずだ。そんな事は長い付き合いだから手に取るように分かる。それにしても、名前を呼んだ時、尻尾すら振ってくれないなんて過去に一度もなかった。もう、尻尾を振って返事をする余裕もない。もう、どうしても助からないのか?癌になって余命を宣告されたら百パーセント死ぬしかないのか?奇跡はないのか?世の中に絶対なんてない。そんな思いで頭の中が一杯になる。もし、あの時、何も医療を施さなかったら?自然の成り行きに任せていたとしたら、三月の中頃から食事が出来なくなって四月には死んでいただろう。あの時はそんな状況だった。でも、あれから手術をするという選択をして、食事は胃瘻チューブから与えるようにしてきた。だから、今、一緒に過ごしていられるのだ。そして、何とか命だけは繋げている。でも、そうやって半ば強制的に命を繋いだことによって生じている痛みや苦しみでもある。それで、今、ぺいは、それに懸命に耐えている。俺は、生体実験をしているのか?いや、決してそんなつもりはない。でも、自然の成り行きに任せていたら、生じる事のなかった苦しみ。結果的に、それらを感じさせてしまっているという判断が、本当に正しかったのか?ぺいの見るに堪えない様子、徐々に死へと追い込まれていく姿。はっきり言って、発狂したかった。でも、もしあの時、手術をすれば確実に延命出来た命を、所詮ペットだからと、手の平を返したかのように突き放して、自然の成り行きで餓死させる事なんて絶対に出来なかった。それと、もう一つの安楽死という選択肢だって、命を強制的に絶つという選択肢は、ペットの意思を明確に理解出来ない限り、それは、人間の勝手なエゴになると思った。もし、ぺいが安楽死なんてしたくないと思っていたら、私は、二度と取り返しのつかない判断ミスを一生背負わなければいけなくなる。だからそんな選択、絶対に出来なかった。そして、色々考えに考え抜いて、ぺいと一分一秒でも一緒にいたいという自分自身の気持ちこそが、唯一の正解で、それは、共に暮らし心を通わせてきたぺいも同じ気持ちのはずだと信じたのだ。だから今までの選択と今の状況に後悔はない。でも、心から愛するぺいの今の現実を目にすると、私も死ぬほど苦しい。決して逃げられない精神的な拷問とも言える苦しみ。それでも、ぺいの苦しみに比べれば全く取るに足らない。しっかりしなければ。