「神様からの贈り物」

~扁平上皮癌との戦い~

2014年3月 愛猫「ぺい」に、突然、癌が宣告されました。
それでも、再び元気になれる奇跡を一緒に夢見て頑張った記録です。
ありのままの事実を、感じた事を全て残しておくことにしました。

八月十四日(木)

  一目で、どう見ても容態が著しく悪化してきている事が分かる。見るに堪えない。ぺいの名前を普通に口に出す事さえ躊躇してしまう。なぜなら、名前を呼ぶと気を遣わせてしまう事は確実だし、気を遣わせてしまうと負担を掛けてしまうからだ。それでも、小さい声でやさしく呼んでみる。やっぱり、尻尾を振ってくれない。それどころではないのだろう。そんな事は長い付き合いだから分かる。それにしても、名前を呼んでも尻尾を振ってくれない事なんて過去に一度もなかった。もう、尻尾を振って返事をする余裕なんて微塵もない。どうしても助からないのか?癌になって余命を宣告されたら百パーセント死ぬのか?奇跡は起きないのか?世の中に絶対なんてない!そんな思いが頭の中を駆け巡る。もし、あの時、何も医療を施さなかったら?自然の成り行きに任せていたら?もし、そうしていたら三月の中頃から食事が出来なくなって四月には死んだだろう。あの時はそんな状況だった。でも、あれから手術をするという選択をして、胃瘻チューブから食事を与えるようにした。だから、今、一緒にいられる。何とか命だけは繋げている。でも、そうやって半ば強制的に命を繋いだからこそ味わせている痛みや苦しみ。今、ぺいは、それに耐えている。俺は、生体実験をしているのか?いや、決してそんなつもりはない。自然の成り行きに任せていれば決して味わう事のなかった今の苦しみ。結果的に、それらを感じさせてしまったという判断が本当に正しかったのか?ぺいの見るに堪えない様子、徐々に死へと追い込まれていく姿。私は、心の底から発狂したかった。でも、もしあの時、手術をすれば確実に延命出来る命を、所詮ペットだからと手の平を返したかのように突き放して、自然の成り行き任せで餓死させる事なんて絶対に出来なかった。そして、もう一つの選択肢だった安楽死だって、命を強制的に絶つという選択は、ペットの声を明確に理解出来ない以上、それは、人間が勝手にペットの気持ちを推測したエゴになると思った。もし、ぺいが安楽死したくないと考えていたとしたら、二度と取り返しのつかない判断ミスを一生背負わなければいけなくなる。だからそんな選択なんて絶対に出来なかった。そうして、色々考えに考え抜いて、ぺいと一分一秒でも一緒にいたいという自分自身の気持ちこそが、唯一の正解だと、そして、それは、共に暮らし心を通わせてきたぺいも同じ気持ちのはずだと思ったのだ。そういう選択をしたつもりだ。だから今の選択に後悔はない。でも、心の底から愛するぺいの今の様子を見ると、私も死ぬほど苦しくて胸が締め付けられる。決して逃げる事の出来ない精神的な拷問とも言える苦しみ。それでも、ぺいの苦しみに比べれば全く取るに足らない。