「神様からの贈り物」

~扁平上皮癌との闘い~

まだ数年は続くと思っていた、愛猫「ぺい」との平凡な日常。
しかし、その後の誤診と突然の癌宣告...。
それでも、再び元気になれる奇跡を一緒に夢見た記録です。

八月二十二日(金)

起床と同時にぺいの姿を探した。良かった。まだ生きている。ただ、フローリングの上には、血溜まりが三か所もあった。まだ昨晩から始まった酷い出血が止まっていない。まずは、血溜まりを拭き取って水場の水を取り替えた。それと、朝食の注入については、昨日の夜を最後に暫く中止する事にした。それは、とても食事の消化どころではないように思えたからだ。今日は金曜日。今日さえ仕事に行けば、明日からは、土曜、日曜と、二日間ずっと一緒にいられる。本当なら今日も家に居たいところだけど仕方ない。それにしても、良く生きて、あと二~三日、もしかしたら、今日、死んでしまうかもしれない。そこで、外出前、母に電話した。そして、いよいよ危なそうだから、今日は、日中、こっちに来てぺいの様子を見ていてほしいと伝えた。母からは、直ぐ、「うん、分った」という言葉が返ってきた。母は、ぺいの容態が悪ければ、いつでも駆けつけてくれるという感じだった。さぁ、これで心配だけど出掛ける事が出来る。私は、「じゃあ、ぺいちゃん、仕事に行ってくるからな」「ぺいちゃん、頑張れよ」と、声を掛けながら玄関に歩いた。すると、ぺいは、いつものように歩いて見送りにきてくれた。それにしても、きっと、今、歩けているのは半分奇跡のようなものだろう。身体は痩せこけて、紙切れのようにぺらぺらだし、連日のように出血だってしている。そして、癌の痛みだって凄く辛いはずだ。それなのに、それなのに歩いて見送りに来てくれている。私は、少し誤解していた。昔は、出掛ける前に、もっと何か美味しい餌がほしいという理由で、出掛ける私の足を必死で噛んできていたのだとばっかり思っていた。でも、こんな状況になってまでも見送りに来てくれているのだ。という事は、純粋に、いつも一緒にいてほしかったという事になる。永遠の別れが本当に身近に迫るまで、本当に本当のところは分らなかった。出掛けてほしくないんだよな?本当に一緒にいてほしいんだよな?そんな事を思っていると、これから仕事だというのに、朝から涙が溢れそうになった。それにしても、あと何回見送ってくれるのだろう?この光景を、あと何回体験出来るのだろう?一回一回の見送りが、本当にかけがえのない大切な思い出になる。どんなに平凡な日常であっても、それが、同じ事の繰り返しであっても、永遠に続く事など決して何一つもない。元気であればこその平凡な日々。平凡な日々が、どれほど幸せな事だったのか・・・。そう心の底から思った。「ぺい、ありがとう!」「今日は、おかぁちゃんが来てくれるからな~」「じゃあ、ぺいちゃん、行ってくるよ」「ぺい~」そんな言葉をぺいに届けながら、そして、見送ってくれるぺいの姿を最後の最後まで目で追いながら玄関のドアを、そっと閉めた。あぁ~、ぺい。電車に揺られて会社に向かっている最中にも、見送ってくれたぺいの姿が、ずっと頭に残っていた。けど、そうしているうちに会社についた。そして、いつものように、ぺいの事を忘れるためにも頭を切り替えて仕事に没頭しようと思った。でも、さすがに、今日は、ぺいの事が気になって仕事が殆ど手につかない。もし、死んでしまったら母から携帯電話に連絡が入る。まだ、連絡がないという事は、とりあえず大丈夫だと、仕事中に何度も思った。それでも、今にも電話が鳴るのではと考えると、気持ちは常に落ち着かなかった。そうして、午前が過ぎ、昼の休憩時間になったので、居ても経ってもいられず母に電話してみた。そして、ぺいの様子を聞いた。すると、「うん、今のところ何とか大丈夫だよ」という言葉。良かった。まだ大丈夫だと自分に言い聞かせた。そもそも連絡がなかったので大丈夫だろうという事は分っていた。だけど、まだ生きているという事を確認出来たので、ほんの少しだけど気持ちは楽になった。

 

そうして、定時に仕事を終わらせると家路を急いだ。ちなみに、母に家に居てもらえるのは日中だけだ。だから、祈る思いで凄く緊張しながら玄関のドアを開けた。「ぺい、大丈夫か?」部屋の雰囲気はシーンと静まりかえっている。このところ、ぺいは迎えに来てくれない。そして、そんな静かな部屋のフローリングの上にぺいの姿を見つける事が出来た。その場所は、昔から一番良く過ごしていたお気に入りの場所だ。でも、姿自体は見つけたけど、正直、あまりにも異様な恰好に目を疑った。それは、前脚も後脚も垂直に完全にへちゃげていて、うつ伏せ状態で全身が床面に張り付いた状態だったからだ。例えると、ムササビが四肢を思いっきり広げて空中を飛んでいる姿で、床面に張り付いたのと同じ状態だ。はたして、そもそも猫が骨格的に考えて、そんな恰好出来るのか?それは、絶対に関節が外れないと無理に思えた。私は、信じがたい姿に言葉を失いつつもぺいの顔を見てみた。えっ!明らかに今朝とは違う。瞼は開きっぱなしで瞬き一つすらしない。瞳孔も全く動いていない。私は、「おい、ぺい」と、思わず声を掛けた。それでも、目も顔も尻尾も身体も、何もかも全て動かない。でも、お腹を見てみると、呼吸で、お腹は動いている。良かった。生きている。でも、これは本当に危ない。そう直感的に思った。そういえば、日中の様子は、どうだったのか?私は、母に電話して、まず、今日、来てくれたお礼を伝えた後、ぺいの今の状態を伝えた。母は、いつもより長い夕方頃まで居てくれたそうだ。それで、夕方、帰る時のぺいの状態を聞いてみると、四肢ではなく、後脚だけが、へちゃげていたとの事。今朝の状況と日中の状況、そして、今の状況。母の話を聞いていると、時間の経過とともに、どんどん状態が悪くなっていった事が理解出来た。つい今朝までは、歩いて見送りしてくれたというのに・・・。もう本当に、いよいよ短いな。土曜か日曜。多分、どちらか・・・。そう思った。

 

ぺいの最期の準備を本当にしなければ。まずは、保冷剤の準備。夏場なので遺体を安置している間に必要だと思って事前に購入していた。でも、冷蔵庫内の製氷室で霜にまみれていたので、一旦取り出して直ぐに使えるように製氷室に納め直した。それと、棺の準備。少し前にインターネットで棺の購入を検討した事があった。でも、棺は、燃えてなくなってしまう。どうせ燃えてしまうなら、その分のお金を生花の方に回して、身体を少しでも多くの花で包んであげたいと思った。それで、棺は、ちょうど一週間程前、近所のスーパーから手頃な大きさのダンボールを棺代わりに頂いてきていて、ずっと部屋の片隅に置いていた。ただ、商品名の書かれたダンボールを目にしていたら、ちょっと何か、やっぱり違うな、本当にこのままで良いのか?そんな思いが少しずつ膨らんでいた。それで、日中に閃いた。それは、棺に似合いそうなラッピング用紙をダンボールに貼れば、商品名は隠れるし、お手製の棺を作れるということだ。そこで、早速、家を出て直ぐ近くの店にラッピング用紙を探しに出掛けた。売り場に着いてみると、数十種類のラッピング用紙が置いてある。ぺいが、この世で最後に過ごす場所に一番相応しいデザイン。どれが良いか?当然、棺用のラッピング用紙なんてない。だから、色々な商品を手に取って考えた。折角なので出来るだけ拘りたかった。結局、十数分程、時間を要したと思う。結構迷ったけど、最終的に、色々な動物が遊んでいるデザインのものに決めた。偶然なのか神様の導きか分からないけど、動物の棺に相応しいデザインのものを見つけられて良かった。それと、ぺいの遺影を飾るための写真立てを買っておこうと思った。今のところ、遺骨は骨壺に入れて、ずっと自宅に安置しておくつもりだ。それであれば、なおさら骨壺と一緒に置いておく写真立てがほしかった。そうして、私は、ラッピング用紙と、写真立てを買って急いで自宅に戻った。今日は、もう外出の必要はない。これで、全ての用事が終わったことになる。そして、明日からは二連休。これから二日間、ずっと、ぺいの傍で一緒に過ごせる。ぺいと同じ空間で同じ空気を感じながら過ごせる。そんな一分一秒は、この世で考えられるどのような時間の過ごし方よりも心底嬉しかった。

それにしても、やっぱり、再び自宅に戻ってきても、ぺいは異様な恰好のままだ。上顎の状態が気になったので見てみると、少し乾燥しているように見えた。もう、自分では動けないから顎を水に浸ける事すら出来ない。私は、シリンジに水を入れて上顎が湿る程度に、そっと、上顎の手前側に軽く水を吹きつけみた。

 

ぺいは、こんな時、びっくりして頭を少しぐらいは動かしても良いはずだった。でも、微動だにしない。これは、どういう状況なのか?でも、もし、喉に渇きを感じていたとすれば、これで、少しは楽になっただろう。その時だった。またもや白く動くものが見えた。「えっ!まだいるの?」それは、紛れもない。その正体は蛆虫だ。「昨日、十二匹も取ったのに」私は、発狂した。「どんだけいるんだよ!」「まだ生きてんだぞ!」「いい加減にしてくれ!」気が狂いそうだ。そして、半分正気を失いつつも、昨日と同じようにピンセットで一匹一匹、また、蛆虫を上顎の穴から引っ張り出した。ただ、昨日、結構な量を捕まえた。さすがに蛆虫も残り少ないようだ。だから、なかなか引きずり出すことの出来る穴の開いたところに白い物体が見えてこない。これは、時間の掛る根気のいる作業だと思った。それから、三十分ほど格闘した。それで、結局、また、五匹も捕まえた。「こんちきしょう!」「いい加減にしてくれ!」そう言い放ちながら全部纏めて勢いよくトイレに流した。昨日捕まえたのと合わせると、十七匹も引きずり出した事になる。それも全て一センチほどの長さで丸々と太っていた。それらが全て、上顎の上に開いた穴の中にいたという事になる。穴の先には、どんな空間があるのか?上顎の骨の中は、どういう構造になっているのか?そんな事、分からない。しかし、本当に良くも十七匹もいたものだ。ぺいは、十七匹もの蛆虫が上顎の中に居て、どんな気持ちだったのか?どれ程、気持ちが悪かった事だろうか?ぺいの気持ちを、ほんの少し想像しただけで本当に申し訳なかったという気持ちで、怒涛のように、くやしさが込み上げてくる。本当にあり得ない。ふざけるな!という感情で、また、頭の中がおかしくなりそうだった。でも、そんな事を、どれだけ思ってみたとしても取り返しはつかない。それにしても、まさか上顎の中に蛆虫の巣窟が出来ているなんて思いもしなかった。そもそも上顎という場所は、ある意味、一番、目にしていた場所だった。なのに、それなのに、どうして気づけなかったのか?もっと、早く、もっと、どうして、そう何度も思った。そして、そんな事を思う度に何度も、くやしさが込み上げてきた。

 

そうして時間は過ぎ、夜になったので、夜の食事を注入するかについて考えた。猫は人間と違い数日間食事をしないと臓器に障害が発生して命に危険が生じる。前回の食事は、昨日の夜が最後だったから、ちょうど丸一日経過したことになる。とはいえ、まだ丸一日。色々、情報を収集してみると三日が限界のようだったので、ひとまず、食事の注入は、この危篤ともいえる状態を見極めながらにしようと思った。今のぺいは、トイレに行きたくても砂場になんて辿り着けない。上顎を濡らしたくても水場にも行けない。そんな状態の時に、もし、食事を強引に注入されたら困るだろう。だから、注入という選択肢は絶対になかった。

 

ふと、時計を見ると、二十三時になろうとしている。帰宅後にラッピング用紙などを買いに出掛けたり、蛆虫を取っていたりしていたら、あっという間に時間が経っている。とにかく、買ってきたラッピング用紙で早めにお手製の棺を作っておかなければ・・・。ぺいは、いつ死んでしまうか分からない。当然、糊が乾く時間も必要だ。だから、早め早めで、今夜中に完成させておく事にした。ラッピング用紙には、色々な動物が遊んでいる様子が描かれている。まずは、それらを、ダンボール一つ一つのパーツの大きさに合わせて切る。そして、それらを貼り合わせてゆく。ぺいがこの世で最後に過ごす場所。この世からの旅立ちに相応しい棺。手作りであれば、ぺいがどれだけ愛されていたのか、その思いが表現出来る棺になる。だから、少しでも綺麗に、そして、丁寧に気持ちを込めて作った。でも、想像以上に時間が必要だった。「やっと出来た~」時計を見ると、深夜の一時半。なんだかんだで、二時間半近くも掛った。でも、ぺいのために丹精込めて作った棺でもあり作品でもある。ついに、お手製のオリジナルの棺が出来上がったのだ。ちなみに、材料費は、たったの二百円。でも、値段なんて関係ない。世の中に売られているどんな棺よりも、どんなに値段の高い棺よりも唯一無二の素晴らしいものが完成したと思えた。それにしても、もう夜も遅い。さぁ、寝よう。そう思い、ぺいの様子を見てみると、やはり、へちゃげた状態のままで瞼も開いたままだ。ぺいは、これから先、どうなるのか?いつまで生きていてくれるのか?それにしても、今日は本当に疲れた。部屋の明かりを消して、色々な事を思いながら眠りに落ちた。 

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