「神様からの贈り物」

~扁平上皮癌との戦い~

2014年3月 愛猫「ぺい」に、突然、癌が宣告されました。
それでも、再び元気になれる奇跡を一緒に夢見て頑張った記録です。
事実を、感じた事を、ありのままに全て残すことにしました。

八月二十四日(日)

 気づくと朝を迎えていた。昨夜は一度も目が覚める事なく熟睡した。もちろん、疲れていたのかもしれない。でも、それよりも、ぺいが、やっと痛みや苦しみから解放されて安らかに眠っている事に安堵出来たように思えた。それにしても、やっぱり、夜が明けてもぺいは棺から出てこない。朝起きると同時に、やはり死んでしまったのだという現実が襲いかかってきた。いつも、ぺいは、私が起きるまで静かに待ってくれている猫だった。そして、私が起きると同時に待ってましたと行動を始める猫だった。十数年間、そんな日常だった。もう今までとは違う。そんな事、頭では良く分っている。でも、なかなか心が現実を受け入れらない。
 今日は、予定通り十二時過ぎに火葬場に出掛ける予定だ。ぺいの身体を見たり触ったり出来るのは、もう本当に僅かの時間しかない。今から数時間後には、いくら願っても叶わない事になる。本当に大切な時間が始まったのだと思った。今日も近くで少しでも多くの愛を与えたい。そうすれば、もっと幸せな気持ちで旅立てるのではないだろうか?あの世で周りの猫から羨ましがられて、鼻高々に幸せに暮らせるのではないだろうか?そんな事を思った。棺の中を覗いて見ると、ぺいは、花に囲まれて安らかに眠っている。正直、棺から取り出すのは少し気が引ける。でも、ぺいだって残された時間を私達と少しでも近くで過ごしたいはずだ。 ぺいを取り出そう!そう思った。 まずは、棺の中に入れていた生花を一つ一つ取り出してゆく。そして、ぺいを、やさしく抱えて床の上に寝かせてみた。頭が床面と接している。もしかしたら少し痛いかもしれない。自分では何も出来ないのだ。そこで、ティッシュ数枚を四つ折りにして頭の下に敷いてみた。これで大丈夫だ!「ぺい・・・」頭の中でぺいの名前を呼びながら、やさしく身体を撫でてやった。一夜明けてみても何も変わっていない。やっぱり、亡骸になってしまったのだという事、それが現実なのだという事を突きつけられる。ぺいという名前。頭の中で呼んでやるのが精一杯で、とても声にならなかった。尻尾や脚、耳や鼻、そして、舌・・・、全ての部分に触れながら、今度は、声に出して伝えた。「ぺい、良く頑張ったな・・・」「やっと楽になれたな・・・」そうして暫く撫でていて思った。もっと、ぺいの全てを受け止めたい。ぺいと同じように床に頭をつけて、ぺいの顔を上からではなくて真正面から見てみたいと思った。それは少し勇気のいる決断だった。でも、それで、もし、何か伝わってくれば、どんな事でも全て受け止める。そんな覚悟での決断だった。まず、ぺいの眼を見てみた。瞼は開いたまま。そんな眼を見ていると、長い間、苦しみに耐えてきた記憶が一つ残らず眼というレンズの奥に刻みこまれているようだった。それは、顔の眼以外の部分を見るとなおさらだった。下顎が完全に失われた口。折れて反り返った舌、床面と長い間、擦れて失われた上顎の毛。本当にボロボロになってしまった。とても安らかに眠っているようには見えない。そもそも瞼が開いたままなのだ。私は、ぺいの眼を見ながらぺいの名前を心の中で呟いてみた。もし、今、ぺいの魂が天井あたりに浮遊していて、こうして、亡骸に話し掛けている私の様子を見ていてくれたら、私の事を、どう感じているのだろうか?私は、ぺいの事が凄く好きだった。本当に本当に大好きだった。もちろん、少なからず嫌な部分もあったけど、それだからこそ愛おしいと思えた。この気持ちは、永遠に変わらない。たとえ亡骸になっても何も変わらない。もし、ぺいの魂が、まだ近くにいるのなら、今、頭の中に思っているこの気持ちが少しでも伝わってくれると良いなと思った。

 そして、そんな事を思いながら過ごしていると母がきた。昨日、火葬に出発する一時間前の十一時頃来れば良いのではと伝えていたのに、まだ、十時になったばかりだ。母も残された時間、ぺいと少しでも一緒に過ごしたいに違いない。私は、トイレに立って、ぺいとの別れを、一旦、母に譲る事にした。そして、トイレから戻ってみると、母は、ぺいの亡骸を赤ちゃんを抱くように胸元に抱いて、「ぺいちゃん、この家に来て幸せだったか?」「他の家には行ってないから分かんないよなぁ~?」と、ぺいの顔を見ながら話し掛けている。私は、その言葉を聞いて思った。ぺいが入院する時に先生宛に渡してほしいとお願いした手紙の事について、母は、あの日、先生が読んでいる時に、ちらっと見えたぐらいのニュアンスで話していたけど、実は、先生に渡す前に、きっと、しっかり読んでいたんだろうと。ただ、そもそも別に読まれても構わないと思って渡した手紙だったので何も問題ない。それにしても、母がぺいを抱いている姿が凄く羨ましく思えた。とにかく無性に抱きたい。私も、そんな気持ちでいっぱいになった。そして、次の瞬間、「ちょっと抱かして!」そう伝えて母からぺいの亡骸を受け取った。そうしてぺいの亡骸を母と同じように抱いてみた。自分も抱けた事が心から嬉しかった。それにしても、全身が死後硬直で硬くなっていて、身体を抱えても一番重い頭部でさえ固定されているようで微動だにしない。まるで固められた剥製みたいだ。そして軽い。胸元に抱いてみて、あらためて凄く軽いと思った。そして、ふと思った事があった。今日、火葬場で焼かれてしまったら骨だけになってしまう。骨だけに・・・。あっ、そうだ!剥製・・・。もしどうしても、今のままぺいを永遠に残したいなら剥製にするという方法もあるかもしれない。今まで生きてきて剥製にするという発想の起源なんて考えた事もなかった。だけど、この時、初めて、この世に剥製というものが存在する理由が分ったような気がした。心から愛したペットの死。きっと、それによって向き合うべき事、それらを、どうしても受け止めきれなくて、人間は、剥製という発想を生み出したに違いない。私は、ぺいを胸に抱えながら剥製にする人の気持ちを考えた。そして、その上で自分自身の気持ちを重ね合わせてみた。そういえば、そもそも本当にペットを剥製になんて出来るのか?そんな事、分らない。でも、ペットを剥製にしてくれる業者は、きっと、探せば存在する気がする。それにしても、もし、ペットを剥製に出来たとしても、本当に剥製にしてしまうなんて、あまりにも自分勝手な気がする。もう愛するペットは死んだのだ。それが事実なんだ。そして、その事実は変えようがない。死んだという事自体にも色々な意味がある気がする。なのに、剥製にしてしまったら、きっと、剥製にされたペットだって、死んだのに死にきれないような気がする。そして、愛するペットは生と死との狭間で彷徨って、本来、必要のなかった苦悩を、愛するペットに永遠に味わせてしまうのではないだろうか?そして、絶対に成仏なんて安らかに眠ったり出来るなんて思えない。それでも剥製にするというなら、私は、結果的に魂よりも見た目の方を愛していたという事になる。私はどうなのか?私は、違う。絶対にそんな事ない。もちろん、ぺいの見た目も好きだったけど、何より魂を心を愛していたんだ。ぺいを胸に抱いた時、一瞬、剥製というイメージに結びついた。そして、少し色々と考えた。だけど、やっぱり、そんな選択肢、あり得ないという結論に至った。

 それにしても、いつも以上に時間が早く過ぎる。もう、母が到着して一時間が過ぎた。出棺一時間前だ。そろそろ時間的余裕を考えて棺の中にぺいを戻さなければと思った。そして、その事を母に伝えた。すると、「まだ時間あるんだから、そんなに急がなくても良いんじゃないの?」という言葉が帰ってきた。私は、正直、その言葉を聞いて嬉しかった。母も、本当にぺいの事が好きになって、だからこその気持ちなんだろう。でも、母の言葉を一番嬉しく思ったのは、ぺいだと思った。そして、ぺいが嬉しいと感じているだろうと思える事が、私は、何より嬉しかった。

 ぺいと出会って十一年と数か月。数か月前、去年の年末には、家飼い猫の寿命は、平均十五年位みたいだから、まだ三~四年は、一緒に暮らせるだろうと思った。でも、そんな矢先、突然の癌宣告。そして、外科的治療をしなければ数週間という余りにも短すぎる余命宣告。もちろん、突然の別れなんて受け入れられなかった。だから殆ど躊躇なく手術という選択をした。そして、放射線治療だって何回も受けた。ネット上から情報を漁って藁をも縋る思いで冬虫夏草を与えた。口が動く間にと思って、とびっきり美味しいものを食べさせた。積年の念願だった玄関外の廊下にも出させてやった。とにかく、とびっきりの愛情を注いだ。もちろん、出来る事の一つとして、神様へお願いだって続けてきた。ぺいをどうか助けてやって下さい・・・。毎日のように奇跡を祈ってきた。それなのに、結局、神様は何もしてくれなかった。結局、神様は、助けてくれなかった。雨の日も風の日だって、いつも一分以上、手を合わせてきた。お賽銭だって、ぺいの回復を願えば安いものだと思って百円なんてざらだった・・・。なのに、なのに・・・、どうして?何で、こんなに頼んだのに、何で何もしてくれなかったんだよ!何で、こんな心優しい猫を癌なんかで奪うんだよ!何でだよ・・・、どうしてだよ・・・。神様・・・、何でだよ・・・。そんな神様なんて・・・、何もしてくれない神様なんて・・・。私は、ぺいが死んでから、一夜明け、ぺいが死んだという現実を再認識していたように思う。そうして、そうしているうちに、突然、神様に対する不満で頭の中がいっぱいになった。それで、近くにいた母に神様に対する不満を話した。でも、いい歳した大の大人が、たかが猫の為に必死にお参りしていたという事実。そのまま心境を全て包み隠さず話すなんて出来るはずなかった。だから、「実は、時々神様にお参りしてたりしてたんだけど、神様は結局何もしてくれなかったよ・・・」と口にした。不満をオブラートに包んだ表現。はっきり言って消化不良だ。毎日は、“時々”という控えめな表現になったし、神様への不満だって、実際に言葉にしてみると、“結局何もしてくれなかった“という表現が精一杯だった。

 またまた、そうしているうちに、どんどん時間は過ぎてゆく。ついに出棺予定の三十分前になった。そろそろ本当に出掛ける準備をしなければならない。「ぺい、そろそろ戻ろうか?」そう声を掛けながらぺいの顔を見た。その時、耳の汚れで少し気になる箇所があった。そこで、もう一度、拭いてみる。でも、汚れが染みついていて簡単に落ちない。綺麗好きだったぺい。天国では、綺麗な身体で周りの猫から羨ましがられると良いな・・・。そう思いながら丹念に拭くと、やっと綺麗になった。ぺいの為なら、ぺいが天国で少しでも幸せに過ごせるなら・・・、そんな感覚で綺麗にした。そして、最後の最後まで残ったのは、胃から出ている白い胃瘻チューブだった。これは、ぺいの身体にとっては全く異質なもの。だから天国に行くときには取ってやりたかった。先生からは、口から食事が出来るようになれば、私が普通にバッと抜いちゃっても何も問題ないものだと聞いていた。ただ、もし、胃から液体のようなものが腹腔内に流れ出してしまったらと想像すると、もう死んでしまっているからとはいえ、可哀そうで抜けなかった。そこで、折衷案として体外に出ているチューブを限界まで短く切った。これで、人間といえば、一通り死に化粧的な儀式は終わった事になる。「じゃあ、ぺい戻ろうか?」そう声を掛けて、棺の中にそっと寝かせた。これから火葬場までは、自転車の荷台に棺を結び付けて向かうつもりだ。そう思うと、今度は、ぺいの頭の事が気になった。ゆっくり慎重に走っても、道に段差があったら少し頭が跳ねて痛いかもしれない。私は、洗濯してあった黄色い涎掛けを四つ折りにして、ぺいの頭の下に枕替わりに敷いた。そして最後に、生花を一本ずつ棺の中に入れてゆく。天国では、綺麗な身体で沢山の花に囲まれて幸せに暮らせよ!そう思いながらぺいの身体を沢山の生花で包んだ。そして、「ぺいちゃん、じゃあ、そろそろ行くよ~」そう声を掛けて、ゆっくり棺の蓋を閉じた。住み慣れた部屋を離れて、暗い棺の中に入れられて移動するのは不安だろう。火葬場に向かう事は、分っていたとしても心積もりが必要だろうから、一声、声を掛けてやりたかった。お手製のダンボールで作った棺には、蓋の表面にも色々な動物が楽しそうに遊んでいるラッピング用紙が貼ってある。天国では、みんなと一緒に楽しく幸せに暮らせよ! そう願いながら蓋を閉じた。

 そうして、棺を両腕に抱えて部屋を出た。自転車の荷台にゴム紐で棺を結び付ける。もし、火葬場に向かう途中に棺が荷台から落ちるなんて事があったら取り返しがつかない。だから頑丈に固定した。そして、母とともに自転車で火葬場に向けて出発した。時刻は、十二時十分。ほぼ予定通りだ。そうして、ゆっくり細心の注意を払いつつ右手を後ろの棺に当てながら自転車を走らせた。

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 火葬場に到着すると、十二時四十分過ぎだった。予定よりも二十分ほど早い。でも、火葬場で本当に本当の最後のお別れをするつもりでいたので大体予定通りだ。火葬場の建物の前には、車を五台ほど駐車出来るスペースがあった。私達は、駐車場の隅に自転車をとめた。周囲は建物と同じぐらいの高さの樹で囲まれていて、周りから目立たないようになっている。そのせいか、凄くしんみりした空気が漂っている。まずは、自転車の荷台からゴム紐を慎重に解いた。そして、棺を両腕に抱えて火葬場の入口に向かう。母に入口のドアを開けてもらうと直ぐ目の前に受付があった。十三時半の予約である旨と名前を伝えると、「前の方が早めに終わったので、これから直ぐに大丈夫ですよ」との事。えっ!もしかして、予定していた最後のお別れをする時間がない!?私は、一瞬、戸惑った。「すいません、少しお別れをしたいので、予定通り一時ぐらいからでも大丈夫ですか?」すると、「はい、大丈夫ですよ!」との事。良かった!これで最後のお別れが出来る。一安心だ。そして、続けて、「それでは受付の用紙を書いて貰えますか」という説明があった。この時、猫の方はというと、体重の方を量らせて下さいと事だったので棺ごと預けた。そうして、私達は、ぺいと別れて待合室に案内された。待合室には、ソファーとテーブルがあった。受付の用紙は、住所やペットの名前を書く程度の簡単なものだった。だけど、ソファーに座って、今、起きている現実を噛みしめるように、一字一字ゆっくり書いた。そして、全て書き終わった事を受付の女性に伝えると、「それではこちらにどうぞ」という事で、私達は、火葬が執り行われる部屋に案内された。

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 部屋に入ると、鉄製と思われる腰ぐらいの高さの台の上にぺいの眠っている棺が置いてあった。体重は棺の重さも入れて二・五キロだったそうだ。棺の中には、バスタオルや生花も入っているから、ぺい自身の体重は、多分、二キロ程だったという事になる。癌になる前は、六・五キロだったから、約四・五キロ減という事だ。人間に例えてみると、体重、六十五キロの人が二十キロになったという事になる。本当にガリガリだ。そう感じていると、スタッフの女性から、「それでは最後のお別れをお願いします」という声掛けがあった。女性は部屋から出てゆく。そして、部屋の中は、ぺいと私達だけになった。私は、棺の中のぺいの頭や身体を何度も撫でた。「ぺい、ぺいちゃん・・・」ぺいの姿を見る事、この毛触り、頭を撫でたときに手に感じる頭の丸み、本当に心の底からぺいの事が大好きだった。途中、母とも交代しながら、約十分程、最後の時間を過ごした。そして、部屋の外にいたスタッフに終わった事を伝えると、「それでは、これより準備に入らさせて頂きます」「棺は、こちらの状態で宜しいですか?」という確認があった。私は、胃瘻チューブの事が気掛かりだった。チューブは、家を出る前に短く切ってきたけど、このまま身体に埋め込まれたままの状態で火葬して大丈夫だろうか?素材がゴムだから溶けたゴムが骨に纏わりつきそうなのが一番気掛かりだった。そこで、チューブを指さして、「これ、大丈夫ですか?」と聞いてみた。すると、「全部焼けてなくなってしまいますので大丈夫ですよ」との事。良かった。火葬の直前ではあるけども、もし抜いてしまったら、ぺいの身体を最後の最後に自分が傷つけてしまうようで抵抗があった。もうこれで大丈夫かな?頭の先から尻尾の先まで目で追ってみると、今度は、頭の下に枕替わりに敷いていた黄色い涎掛けが気になった。涎掛けは、棺の中にはバスタオルや生花も入っていたから、涎掛けも、それらと一緒といえば一緒だけど気になった。棺ごと一緒に燃やしてしまうか、どうしょうか?癌になってから纏っていた涎掛け。癌で腐敗して垂れてきたものを全部受け止めてきた。何だか妙に似合っていた。何度も洗濯した。首に何度も巻いた。そんな思い出が詰まっている涎掛けだ。もし、ここで一緒に燃やしてしまったらと二度と取り返しがつかない。そう思ったので、頭をそっと持ち上げて涎掛を取り出した。そして、「はい、これで大丈夫です」と伝えると、火葬用の長細い台が炉の中から引き出されて、その台の上にぺいの棺が置かれた。そして、再び、その引き出された台が棺と一緒に炉の中に戻ってゆく。ぺいの姿が見えなくなり、炉のドアが閉まって棺も完全に視界から消えた。もう後戻り出来ない。もう燃えてしまう。本当に、いよいよだと思った。すると、今度は、「それでは、こちらで、ご焼香をお願いします」と案内された。炉の前に焼香台がある。私と母、まず私が先に焼香台の前に進んだ。そして、合掌して、おりんを鳴らした。おりんは三回鳴らした。一回だと簡素過ぎるような気がしたから、結局、三回鳴らした。焼香も三度、最後に合掌した。そうして、焼香を終えて戻ろうとした時だった、いきなり涙が溢れてきた。ヤバい!母がいるのに・・・。いい歳した大人が猫に大粒の涙を流しているところを見られるなんて恥ずかし過ぎる!私は、なるべく母に顔を見られないように俯き加減で少し遠回りに元いた場所に速足で歩いた。そして、私が戻り終える頃、続けて母が焼香に向かった。母が戻ってくるまでに早く平静を取り戻さなければ・・・。母が焼香をしている間に涙を手の甲で拭ったけど片手だけだと拭いきれなかったので何度となく両手の甲や手の平で拭き取った。そして、涙も必死で止めた。これで、なんとか取り繕う事が出来た。そう思って顔を上げた時、ちょうど母も焼香を終えて俯き加減で戻ってくるところで、母も両目を隠すように少し片手を両目にあてたのが印象的だった。これで、焼香が終わった。そう思った時、今度は、「それでは待合室の方でお待ちください」という案内があった。私達は、待合室に戻る事にした。待合室に戻る途中、骨壺や位牌などメモリアルグッズがガラス棚の中に陳列されている場所が目に入った。この火葬場で立会葬をした場合、遺骨を入れる骨壺と覆いは、最初から葬儀代金にセットになっていて質素なものが無料でついてくる。ただ、骨壺と覆いなどのデザインに拘りたい場合には、別途購入したものに差し替える事が出来る。私は、あらかじめ火葬場のホームページに掲載されていた情報の確認を済ませていて、別途購入したいものまで決めていたので、「すいません、骨壺と覆いは、これと、これに変えてもらえますか?」と、お願いした。骨壺は、色々な動物が、お花畑で遊んでいる絵柄が描かれたもの、骨壺を収める覆いは、猫と犬が星模様として刺繍されているものを選んだ。そして、待合室に戻って壁掛け時計を確認してみると、十三時になる少し前だった。

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 待合室には、母と私の二人だけだ。そういえば、火葬の部屋に炉は二つあったけど、おそらく一つは予備の炉で、同時に二組の火葬は行っていないようだ。でも、そんな事はどうでも良い。とにかく、もう少しでぺいが四方八方から火を浴びせられて燃えてしまうのだ。火葬の為に来たのにも関わらず心の中では完全に踏ん切りがついていない。何とかしたいけど仕方がない。何度も心の中でそう思った。そして、居ても経ってもいられずに、母に、「動物って火葬にどれぐらい時間が掛るのかなぁ」とボソっと呟いてみた。もちろん、母だって、そんな事を尋ねられても良く分らない。私は、一旦、待合室から出てスタッフの女性に尋ねてみた。すると、三十分程との話だ。そうか、三十分か・・・。待合室に戻って母にもその事を伝えた。そして、それから何とも言えない無言の時間が流れた。そして、そう、それは、最初に待合室に戻ってきて五分程経った頃だった。突然、「ゴーッ」という音が聞こえてきた。ガスの炎の音だと思った。ぺいが眠る棺に強烈な炎が四方から噴きつけられている。そんな光景が頭の中に浮かんだ。ぺいは、ぺいは、今どうなっているのか・・・。私は、思わず太腿の間で手を合わせた。大切なぺいが、大切なぺいが燃えている。燃やされている。時計の針の進み方が酷く遅かった。もう止めてほしい。もう充分、燃えたのでは?強烈な火だ。まだか?もうやめてくれ!頭の中は、そんな気持ちで一杯だった。もう、ぺいは死んでいる。だから、火で燃やされたって痛みなど感じるはずもない。そんな事、頭では良く分っている。でも、どうしても、心の中では気持ちを整理しきれなかった。火葬を選んだ以上、もう現実として燃やしている以上、これは、仕方のない事、仕方のない事なんだ。「ゴーッ」と音のしている間、何度も必死に自分に言い聞かせた。そして、まだかまだかと何度も時計の針を見た。時間にして十数分経過した頃だった。やっと、音が鳴り止んだ。そして、正直、ホッとした。本当に、随分、長かった。やっと、ぺいも長かった火炙りが終わって楽になれた。本当にそう思えた。もうとっくに死んでいるというのに。この時、時計の針は、十三時十五分過ぎだった。やっと、ぺいも私自身も耐えて耐えぬいた時間が終わった・・・。そう思った時、目の前にあった一冊の本が目に入った。どんな本かと思って手に取ってみると、ペットを失った人が元気を取り戻せるようにという帯がついた本だった。私は思った。もちろん、火葬場のスタッフが、直接、飼い主へ慰めの言葉を掛けるのも良いのかもしれない。だけど、むしろ、何も話しかけないで、このような本を、さりげなく待合室に置いてあるというだけの方が、飼い主が深い悲しみから抜け出すためには良いように思える。そして、本当にそういう目的で置いてあるのかどうかまでは分からないけど、そんな思慮深いやさしさが凄く心に染みた。そして、その本のページを捲りながら、呼ばれるのを待った。まだか、まだか・・・。ページを捲っていても全く落ち着かない。もう少しで十三時半になる。そう思った時だった。待合室のドアが開いた。「それでは、火葬の方が終わりましたので、お骨上げをお願いします」という声。待合室と火葬部屋の間には小さい受付の部屋などがあるけど十数秒で移動出来る。そうして、私達は、再び火葬の部屋に向かった。

 部屋に入ってみると、火葬の前にお別れをした時と同じ台の上に、今度は、底の浅いトレーのようなものが置いてある。そして、その中にぺいの骨が並べてあった。そう、火葬が終われば骨だけになっている事なんて分かりきっていた。もちろん骨を見ても生前の面影など全くない。しかし、この骨がぺいだったという事実。そう思うと色々な思いが交錯した。「それでは、これからお骨上げをさせて頂きます」という声が聞えた。私と母は、トレーのようなものの前に立った。尻尾の骨、爪の奥にあるという爪の形をした骨、下顎の骨、それぞれの骨の説明を聞いた。そんな説明の途中、「下顎の骨は左側は残りませんでしたけど右側は少し残りました」という話があったので、私は、「手術で片方は骨がありませんでしたので・・・」と、その理由を伝えた。その後、喉仏は、どうして仏と言われるのかという事についても、実際の骨を見ながら話を聞いた。それは、喉仏の骨の形が、お釈迦様が座禅を組んで合掌している姿に似ていることから喉仏と言われますという内容だった。そうして、いくつかの骨の話を聞いた後、骨上げについての説明があった。頭蓋骨は最後に上に乗せるので、頭蓋骨以外で一番大きくて持ちやすい骨から順番に骨壺の中に入れていって下さいとの事。まず、私と母は、一緒に脚の骨とおぼしき骨を持って骨壺に納めた。そうして、いくつかの大きな骨を拾い上げた。そして、その後は、女性スタッフが何の骨か簡単に説明を交えながら骨壺に納めていってくれた。細かい骨も灰のようなものまで刷毛と小さな塵取りで全て残らず骨壺の中に納められた。そして、最後の最後に頭蓋骨だけが残った。今まで何度、頭を撫でてきただろう。でも、蛆虫が湧いて苦しんだりもした。そんな場所の骨。だけど、骨だけになって、癌はもちろん、嬉しかった思い出も、苦しかった記憶も全て一緒に消えた。そんな頭蓋骨は、骨壺に納められた骨の一番上に乗せられた。そして、ゆっくり骨壺の蓋を閉じた。色々な動物が、お花畑で遊んでいる絵が描かれている骨壺には蓋にも絵が書かれてある。天国では、幸せに過ごしてくれよ。蓋を閉じた時、改めてそう思った。そして、骨壺は、最後に覆いの中に納められた。これで、火葬の全てが終わった。時計を見てみると一時三十分だった。ぺいが死んだのが、前日の一時三十分だったから、ちょうど同じ時間に火葬が終わった事になる。偶然なんだろうけど、数分たりとも時間がズレていない事に何か見えない不思議な力のようなものがあるように感じられた。そうして、最後の最後に、会計を済ませて、「ありがとうございました」と、スタッフの方々に伝えて、いざ自宅に戻ろうと火葬場の建物から出たところで、「お戻りは自転車ですか?」という質問があった。火葬場の建物の出入り口から、私と母の自転車が見えたからだろう。私は、「はい、そうです」と答えた。すると、「自転車のかごに骨壺を入れて帰られますと、ご遺骨が砕けてしまうと思われます」との事。言われてみれば確かにそうだ。私は、「何か袋のようなものはありませんか?」と聞いてみた。でも、そのようなものは残念ながらないとの事。どうしょう・・・。すると、母が何か突然思い出したように手提げカバンの中をゴソゴソしている。そして出てきたのがスーパーのビニール袋。さすが母!素晴らしい!普通、空のビニール袋なんて日頃持ち歩くか?と、男の自分的には思うのだが本当に素晴らしい。もし、一人で火葬場に来ていたら本当に困ってしまっていた。そんな訳で、母が持参していたビニール袋の中に骨壺を納めて、その袋を車道と逆側の手に持って慎重に来た道を戻る事にした。そういえば、つい一時間と少し前、この道を火葬場に向けて自転車を走らせていた。そして、今、骨だけになったぺいを持ち帰っている。そう思うと、何とも言えない複雑な気持ちがした。ぺいとの出会い、そして別れ。この十数年、いつも頭の中にあったぺいの事。だから、思っていた以上に大きな存在だった。いるのが当たり前だった、いなくてはいけない存在だった。そんな存在をついに完全に失ってしまった。そんな事を頭に思いながら自転車を走らせた。すると、自転車で後を走る母から、「花でも買って帰った方が良いのでは?」「枯れない造花なんかどう?」という提案があった。私は、「うん、じゃあ、そうしようか!」と返事を返した。正直、頭がいっぱいで、火葬が終わった後の事までは考えていなかったけど、部屋に骨壺だけだと寂し過ぎる。是非、花を骨壺に添えたいと思った。そうして、帰り道の途中、某百円ショップに立ち寄った。店内の一角には、結構広いスペースに色々な造花が並べられている。どんな花が良いだろう?たかが百円の造花。どれでも良いのかもしれない。でも、ぺいのための造花。だから、結構悩んだ。十分程考えて、やっと一つに決める事が出来た。そして、ついでに写真立てとデジカメ用の光沢紙も買う事にした。ぺいの生前の写真も骨壺と一緒に部屋に飾ろうと思ったからだ。

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  帰宅して、玄関のドアを開けてみると部屋の中は相変わらずシーンとしている。でも、ぺいは骨になってしまったけど、再び住み慣れた家に戻ってきた。姿形は違うけども一緒に戻ってきた。そう思ったら少なからず骨にだって魂が宿っているように感じられた。そして、そう思うと、少しだけど寂しさや悲しみが和らいだ。どこに骨壺を置こうか・・・、部屋の中を見渡してみる。そして、置き場所を決めた時だった。母から、「そこに名前を書かないの?」との指摘。確かに骨壺の覆いに白い紙が貼られていて、名前と日付を書く欄がある。私は、マジックペンを手に取った。そして、まず、ぺいという名前を書く事にした。たかが二文字かもしれない。だけど、ゆっくり一文字一文字、ぺいの魂が、骨壺の中の骨に宿っている感覚で書いた。そして、最後に、八月二十三日という命日も記した。あとは、骨壺と一緒に飾るぺいの生前の写真だ。どれにしようか?写真立てに入れる写真。いくつかこれはと思った写真を光沢紙にプリントしてみる。写真は、少し悩んだけど直ぐに決める事が出来た。それは、毛布の上で横になって寝ていた姿を、私が写真を撮ろうとしたので、少しだけ目を開けた時の写真だ。この写真は、カメラ目線にもなってるし、私に心を完全に許して部屋の中でリラックスして過ごしてきた日常を思い出させる写真のように思えた。そして、骨壺と写真、造花を並べて置いてみた。これでOKだ!一通り形になった。私は、母と一緒に骨壺と写真に向かって手を合わせた。

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  そういえば、今年、初詣で引いたおみくじは大吉だった。でも、いきなり三賀日は風邪気味で初詣を終え帰宅してからは殆ど寝て過ごした。そして、一月の中旬には、ぺいが嘔吐したので、病院に連れて行ったり、さらに、一月の後半には、私がインフルエンザに罹ったり、母が突然の下血で入院したりもした。そして、三月になると、ぺいが癌だという事が分って、その後の対処についても上手く歯車が噛みあわず、結果的に後手後手になった。それでも心のどこかで、今年は、大吉だったから、最後良ければ全て良し、必ず奇跡が起きる、そう信じて過ごしてきた。だから、神社にだって、お参りしてきた。しかし、ぺいは、まだ十一歳、人間で言えば、大体、六十歳という若さだ。しかし、今はまだ八月。まだ一年が終わった訳ではない。でも、もう、ぺいは死んでしまった。なのに、もう、今年が大吉なんて絶対にあり得ない。何が大吉だ!そして、そのように思い始めたら、突然、神様に対して不満どころか沸々と怒りが心の中に湧き上ってきた。私は、我慢出来ず、傍にいた母に、「今年は、おみくじ大吉だったのに全然違っていたよ」と、思わず吐き捨てるように口にした。すると、母は、大吉は、ひっくり返って大凶になりやすいのだという。私は、それを聞いて、もう今年は、完全に大凶だな・・・、そう思った。ただ、そうは言っても、ぺいの死に際に立ち会えた事については、本当に良かったと思えたし、それも、休日一日目の土曜日の昼間が最期なんて、全てを計ったかのようなタイミングだった。火葬だって休日のうちに終える事が出来た。ちなみに、もし、ぺいが死ぬのが、一週間早いタイミングだったら色々な事が難儀に感じたと思う。なぜなら、かなり風邪気味で体調が悪かったからだ。ある意味、悲しみに集中するにも健康であればこそだと思う。そして、逆に、もし一週間遅いタイミングであっても、以前から予定が入っていたので都合が悪かった。そんな事も母に話した。もしかして、ぺいとの出会い、そして別れのタイミングやシナリオは、ぺいと出会う前から、最初から決まっていたのではないだろうか?全てを何かに操られていたのではないだろうか?少しそんな気がした。

 そうしているうちに時間は過ぎてゆく。母は、そろそろ帰るとの事。時計を見ると、もう十六時を回っている。そして、母は、帰るための準備をしながら、そう言えばという感じで話し始めた。それは、豚肉と鶏肉のモモ肉を軽く湯通ししたものを家から持ってきて、それを細かく千切ってぺいに与えた時の話だ。ぺいは、その時、目を丸くして肉をムシャムシャと凄く喜んで食べた。母は、ぺいが喜んで食べてくれた時の様子が凄く印象に残って忘れられないそうだ。そう、あれは、もう手の施しようがないと先生から余命の宣告され、その事を電話で伝えた数日後の出来事だった。母は、元気なうちに、ご馳走を食べさせてやりたい、その一心で肉を下準備して足を運んでくれたに違いない。あの時の事は私も忘れない。なぜなら、私も自分の事のように嬉しかったからだ。母が部屋から出てゆく。帰り支度を終えたようだ。「それじゃあ、帰るから」「本当に本が書けるぐらい色々な事があったね・・・」そんな母からの言葉。本・・・。色々な事・・・。本当に、その通りだ。本当に、色々な事があった。でもそれは、何とかしてぺいを助けたい、そして、残された時間を精一杯大切にしたいという気持ちの結果だと思える。私は、どうすべきなんだろうか?どうしたいのか?結論は直ぐに出そうにない。少し時間を掛けて考えてみる事にした。

 そうして、その後、暫くして、私自身も用事があったので外出する事にした。自転車を走らせる。そして、クリーニング店に寄った後、買い物に向かう途中だった。今まで何度となくお参りしてきた神社の前を通りかかった。あっ!と思った。それは、神様に対して不満や怒りを感じていたからだ。でも、まさか神社に参拝して神様に向かって文句をぶちまける訳にもいかない。私は、会いたくないと思っていた人に突然出会ってしまったような感覚に襲われた。どうしょう?精神的にも、このまま神社の前を素通りして、やり過ごしてしまうという選択が可もなく不可もなく精一杯の行動のように思える。でも、例え偶然だとしても、一通り火葬が落ち着いた直ぐ後に、神社の前を通りかかったという事には、何か今の自分には考え及ばない意味があるような気がする。何かの導きかもしれない。何だかそう思えたので、ひとまず自転車を降りて拝殿へ足を進めてみる事にした。しかし、何を思って手を合わせれば良いのか?今さら、お願いする事なんて何もない。ゆっくり歩きながら必死に考えた。だけど、どうしても思いつかない。そして、何かに操られるように拝殿の前に立った。駄目だ!このまま黙っている訳にはいかない。神様に何か伝えなければ・・・。もうやけくそだ!「ありがとうございました」全く心にも思っていない気持ちだった。でも、そう頭に思って手を合わせた。結局、そうして拝殿を後にした。

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 それにしても、全く心にも思っていない事を伝えてしまった。そんな釈然としない気持ちだった。だから、神社に立ち寄った後も、神様に、「ありがとうございました」と伝えた事について考え続けた。「ありがとうございました」と伝えたのは、本当に自分の意思に反する事だろうか?「ありがとうございました」という言葉は、感謝の気持ちだ。神様に感謝すべき事は本当になかったのか?そもそも感謝すべき事が易々と思い浮かぶぐらいであれば、最初から神様に対して不満や怒りなんて感じない。だから、本当に神様に感謝すべき事はなかったのかという事について冷静に考えてみる事にした。そうして、過去の色々な出来事を振り返ってみると、実は、考え方次第で、あれもこれも神様に感謝すべき事だらけのように思えてきた。例えば、あれは、三か月前の五月二十二日の事だった。「あと、どれぐらい生きれるんでしょうか?」「一か月、ただ胃瘻がついていて食事が出来るから長くても三か月でしょうか・・・」先生から告げられた余命だった。そして、ぺいが死んだのは、八月二十三日。偶然なのか必然なのか分からないけど、ちょうど丸三か月、ぺいは、この世で頑張って、その翌日、私が見守る中、天命を終えて旅立った。決して、一か月や二か月ではなく、長くてもと言われていた三か月という期間を一日も余すことなく丸々生きてくれたという事。そして、旅立った翌日も休日で、だから、悲しみに暮れる時間が存分に持てたという事。スムーズに火葬を執り行えた事。他にもある。ぺいは、旅立つ数日前から尻尾さえ振らなくなくなっていたのに、パタンパタンと大きく尻尾を振ってくれた。そう、あれは、今思えば間違いなく、お別れの合図で、きっと、渾身の力を込めて振ってくれたはずだ。そして、その合図に直ぐ気づけたという事。そして、本当に何より感謝すべきは、ぺいの最期に寄り添えたという事。一日は、二十四時間。仕事で自宅にいない時間や、寝ている時間だってある。そういった事を考えてみると、最期に立ち会えたという事は、凄く感謝すべき事に違いない。私は、ぺいの事が大好きだった。きっと、ぺいも私に気持ちを寄せてくれていた。そうであったと信じたい。そして、だからこそ、神様は、私とぺいの間に訪れる避ける事の出来ない別れに対して、神様として最大限出来うる限りの範囲で全力を尽くしてくれたに違いない。何だか、急に、そんな風に思えてきた。もし、いくら神様に永遠の命を願っても、神様は、そんな事を叶えたりする訳にはいかないだろう。そして、そう思い始めたら、神様へ、「ありがとう」という感謝の気持ちが怒涛のように溢れてきた。そして、感謝の気持ちを心の底から伝えたいと思った。もしかしたら、こんなにも神様からの特別扱い沢山を受けられた幸せこそが、年始のおみくじの大吉の意味だったのではないだろうか?そんな風にも思えた。そうして、色々な事を思い、色々な用事を済ませて、夜の八時過ぎに帰宅。玄関の扉を開けた。 

 相変わらず部屋の中は静かでさびしい。でも、例え遺骨になったとしても、ぺいの身体の一部が同じ空間にある。だから、これからも一緒に同じ時間を過ごせる。そう思うと少し嬉しかった。もしかすれば、少しぐらいなら、こちらから一方通行でも何か思いを伝えられるような気さえする。そういえば、火葬場から持ち帰った遺骨。骨壺の中に遺骨を納めた時から全く目にしていない。もう一度、ゆっくり確認したかった。でも、単純に目にしたいという理由だけだと、安らかに眠っているぺいを一方的に起こしてしまうようで申し訳ないと思った。ただ、火葬場から持ち帰ってきた時の振動で中の遺骨は大丈夫か?頭蓋骨は倒れてないだろうか?そんな事が一方で気になって仕方なかった。もし、倒れていたらぺいは早く元に戻してほしいと願っているだろう。そう思った瞬間、蓋を開ける事へ躊躇は直ぐに消えた。緊張しながら骨壺が納められている覆いの紐をゆっくり解いてゆく。そして、骨壺を取り出してみる。色々な動物がお花畑で遊んでいる骨壺。そっと、蓋を開けてみる。再び、一瞬にして、あの時の火葬場での時間が、現実に起きた事実として目の前に蘇った。気を取り直して良く見てみる。ひとまず頭蓋骨は倒れていない。良かった!その他の骨は、頭蓋骨の下に隠れているけど、その下の骨も問題なさそうだ。これで、問題ないという事が確認出来た。安心だ。そして、一番上の頭蓋骨を、もう一度良く見てみた。頭の頭頂部分を見れば、つい最近まで良く頭を撫でてやった事を思い出す。そして、脳があったと思われる空洞。そういえば、あれは、旅立つ数週間前の事だった。念願だった玄関の外に出してやった時の事だ。あの時の興奮や喜びといった感情、そういった記憶も今となれば灰になって全部綺麗さっぱりなくなってしまった。折角、楽しい思い出を作ってやったのに・・・。本当にやりきれない悲しい気持ちになってゆく。そして、涙が止まらない。蛆虫がいた上顎あたりの骨の付近も見てみる。すると、こんなにも小さいスペースの何処に、どうして、あんなにも沢山の蛆虫がいたのか?とても信じられない。もしかしたら、蛆虫は脳にまで広がっていたのかもしれない。そう考えなければ理解出来ない。「ぺい、本当に良く頑張ったな」「もう痛くないからな・・・」「本当に色々とありがとうな・・・」そう話しかけながら、頭頂部を、やさしく撫でてやった。今までと違って、ざらざらしているけど違いはそれだけ。撫でてやる時の気持ちは、以前と何一つ変わらない。