「神様からの贈り物」

~扁平上皮癌との闘い~

まだ数年は続くと思っていた、愛猫「ぺい」との平凡な日常。
しかし、その後の誤診と突然の癌宣告...。
それでも、再び元気になれる奇跡を一緒に夢見た記録です。

八月二十四日(日)

気づくと朝を迎えていた。昨夜は一度も目が覚めなかった。熟睡した。もちろん、疲れていたのかもしれない。でも、それよりも、ぺいが、やっと痛みや苦しみから解放されて安らかに眠っている事に安堵出来たという感覚の方が強かった。それにしても、やっぱり、夜が明けてもぺいは棺からは出てきてくれない。朝起きたと同時に、やはり死んでしまったのだという現実に襲われた。いつも、ぺいは、私が起きるまで静かに待ってくれている猫だった。そして、私が起きると同時に待ってましたの如く行動を始める猫だった。十数年間、そんな日常を繰り返してきた。でも、もう今までとは違うのだ。そんな事、良く分っている。でも、頭では良く分かっていても、なかなか心は現実を受け入れられにいる。

 

今日は、予定通り十二時過ぎに火葬場に出掛ける予定だ。ぺいの姿を見たり身体を触ったり出来るのは、もう本当に僅か。今から数時間後には、いくら願っても叶わない事になる。本当に貴重で大切な時間の始まり。今日もぺいの近くで少しでも多くの愛を与えたい。そうすれば、もっと幸せな気持ちで、ぺいは旅立てるのではないだろうか?あの世で周りの猫から羨ましがられて、鼻高々に幸せに暮らせるのではないだろうか?棺の中を覗いて見ると、ぺいは、花に囲まれて安らかに眠っている。正直、棺から取り出すのは少し気が引けた。でも、ぺいだって残された時間を私達と少しでも近くで過ごしたいはずだ。 やっぱり、取り出そう。そう決意した。まずは、棺の中に入れていた生花を一つ一つ取り出してゆく。そして、眠っているぺいを、やさしく抱えて床の上に寝かせてみた。癌で骨と皮だけになった頭は、直接、床面と接すると痛いかもしれない。自分では何も出来ないのだ。そこで、ティッシュ数枚を四つ折りにして頭の下に敷いてみた。これで大丈夫だろう。そして、「ぺい・・・」頭の中でぺいの名前を呼びながら、やさしく身体を撫でてみる。やっぱり、一夜明けてみても何も変わっていない。やっぱり、ぺいは亡骸になってしまったのだ。それが、現実だという事を容赦なく突きつけられる。ぺいという名前。このところは、頭の中で呼んでやるのが精一杯で、とても声にならなかった。でも、今は、声に出す事が出来る。尻尾や脚、耳や鼻、そして、舌、全ての部分に触れながら、「ぺい、良く頑張ったな」「やっと楽になれたな」そうして暫く撫でていた。でも、もっと、ぺいの全てを受け止めたい。そう思った。そこで、ぺいと同じように床に頭をつけて、ぺいの顔を上からではなくて目線を合わせるように真正面から見てみることにした。でも、それは、少し勇気のいる決断だった。ただ、それで、もし、何か伝わってくるものがあれば、どんな事でも全て受け止める。そこまで覚悟しての事だった。まず、ぺいの眼を見てみる。瞼は開いたまま。そんな眼を見ていると、長い間、苦しみに耐えてきた記憶が一つ残らず眼というレンズの奥にホログラムのように刻みこまれているように思えた。そして、下顎が完全に失われた口。折れて反り返った舌、長い間、床面と擦れて失われた上顎の毛。本当に顔はボロボロになってしまっている。そもそも瞼だって開いたままで、とても安らかに眠っているようには見えない。私は、ぺいの眼を見ながらぺいの名前を心の中で呟いた。もし、今、ぺいの魂が天井あたりに浮遊していて、こうして、亡骸に話し掛けている私の様子を見ていたら、私の事を、どう感じているのだろう?私は、ぺいの事が凄く好きだった。本当に本当に大好きだった。もちろん、少なからず嫌な部分もあったけど、それだからこそ愛おしかった。この気持ちは、絶対に永遠に変わらない。たとえ亡骸になったとしても何も変わらない。もし、ぺいの魂が、まだこの近くにいるのなら、今、私が頭の中に思っている事が少しでも伝わってくれたらと思った。そして、そんな事を思っていると母がやってきた。昨日、火葬に出発する一時間前の十一時頃来ればと伝えていたのに、まだ、十時になったばかりだ。母も残された時間、ぺいと少しでも一緒に過ごしたいのだろう。私は、トイレに立って、ぺいとの別れを、一旦、母に譲った。トイレから戻ってみると、母は、ぺいの亡骸を赤ちゃんを抱くように胸元に抱いている。それで、「ぺいちゃん、この家に来て幸せだったか?」「他の家には行ってないから分かんないよなぁ?」といったような事を、ぺいの顔を見ながら話し掛けている。私は、その言葉を聞いて思った。ぺいが入院する時に先生宛に渡してほしいとお願いしていた手紙の事だ。母は、あの日、手紙を先生が読んでいる時、ちらっと見えたぐらいのニュアンスで話していたけど、実は、先生に渡す前に、きっと、しっかり読んでいたのだろう。まぁ、別に読まれても良いと思って渡した手紙だったので何も問題はない。それにしても、母がぺいを抱いている姿が凄く羨ましく見えた。とにかく最後に無性に抱きたい。私も、そんな気持ちでいっぱいになった。それで、「ちょっと抱かして」と、母に伝えて、ぺいの亡骸を受け取った。ぺいの亡骸を母と同じように抱いてみる。自分も母と同じように抱けた事が心の底から嬉しかった。それにしても、身体を抱えた時、全身が死後硬直で硬くなっているから、一番重い頭部でさえ微動だにしない。まるで固められた剥製みたいだ。そして軽い。闘病中はぺいの負担になると思って抱けなかった。胸元に抱いてみて、あらためて凄く軽いことを実感した。その時、ふと思った。今日、火葬場で焼かれてしまったら骨だけになってしまう。骨だけに・・・。あっ、そうだ。剥製・・・。もしどうしても、このままぺいを永遠に残したいなら剥製にするという方法があるのかもしれない。当然、今まで剥製にするなんて発想の起源なんて考えた事もなかった。だけど、この時、初めて、この世に剥製というものが存在する理由が分ったような気がした。心から愛した動物の死。きっと、それによって向き合わなければならない事、そういった事を、どうしても受け止めきれなくて、剥製にするという発想が生まれたに違いない。私は、ぺいを胸に抱えながら剥製にする人の気持ちを考えていた。そして、自分自身の気持ちを、そこに重ね合わせてみた。でも、その前に、そもそも本当にペットを剥製になんて出来るのか?ただ、ペットを剥製にしてくれる業者は、探せば存在するような気がする。でも、もし仮にペットを剥製に出来たとして、本当に剥製にしてしまうなんて、あまりにも自分本位ではないだろうか・・・。もう愛するペットは死んだのだ。それが事実。そして、その事実は変えようがないのだ。死んだという事実そのものにも色々な意味があるような気がする。それなのに、もし剥製にしてしまったら、きっと、剥製にされたペットだって、死んだというのに死にきれないような気がする。さらに、そんな行為は、愛するペットを生と死との狭間で彷徨わせてしまって、本来、必要のなかった苦悩を、愛するペットに、それも永遠に感じさせてしまうのではないだろうか?もし、そんな事になったら、絶対に成仏も安らかに眠ることも出来ないだろう。でも、やっぱり、それでも剥製にするのなら、それは、結果的であっても魂よりも見た目の方を愛していた事になるように思える。私はどうなのか?私は違う。絶対にそんな事ない。もちろん、ぺいの見た目も好きだったけど、何より心を魂を愛していた。ぺいを胸に抱いた時、一瞬、剥製というイメージに結びついて少し考えてしまったけど、やっぱり、剥製なんて、あり得ないという結論に落ち着いた。

 

それにしても、いつも以上に時間が早く過ぎてゆく。もう、母が到着して一時間が過ぎた。出棺一時間前だ。そろそろ時間的にも少し余裕を考えて棺の中にぺいを戻さなければならない。そして、その事を母に伝える。すると、「まだ時間あるんだから、そんなに急がなくても良いんじゃないの?」という言葉が帰ってきた。私は、正直、その言葉が嬉しかった。母も、本当にぺいの事が好きになって、それでこその気持ちなんだろう。でも、母の言葉が一番嬉しかったのは、ぺいに違いない。そして、ぺいが嬉しく感じているだろうと思える事が、私は、何よりも嬉しかった。振り返ってみれば、ぺいと出会って十一年と数か月。数か月前の去年の年末には、家飼い猫の寿命は、平均十五年位みたいで、まだ三~四年は、一緒に暮らせるだろうと思っていた。でも、そんな矢先に突然の癌宣告。そして、外科的治療をしなければ数週間という余りにも短すぎる余命宣告。もちろん、突然の別れなんて受け入れられなかった。だから殆ど躊躇なく手術という選択をした。その後、放射線治療にも何度も通った。そして、ネット上の情報から藁をも縋る思いで見つけた冬虫夏草を与えたりもした。それと、口が動く間にと思って、とびっきり美味しいものを食べさせた。積年の念願だった玄関側の廊下にも出させてやった。とにかく、とびっきり愛情を注いだ。そして、神様へのお願いだって、ぺいをどうか助けてやって下さいと、毎日のように奇跡を祈り続けてきた。だけど、結局、神様は何もしてくれなかった。結局、助けてくれなかった。雨の日も風の日だって、いつも一分以上、手を合わせてきた。お賽銭だって、ぺいの回復を願えば安いものだと思って百円なんてざらだった。なのに、なのに・・・、どうして?何で?こんなにも頼んだというのに、何で何もしてくれなかったんだよ。何で、こんな心優しい猫を癌なんかで奪うんだよ。何でだよ・・・、どうしてだよ・・・。神様・・・、何でだよ・・・。そんな神様なんて・・・、何もしてくれない神様なんて。私は、ぺいが死んで、一夜が明け、ぺいが死んだという現実を再認識していた。そうしているうちに、突然、神様に対する不満で頭の中がいっぱいになった。そして、近くにいた母に神様に対する不満を耐え切れず口に出した。ただ、いい歳した大人が、たかが猫の為に必死にお参りしていたという事実とか、そのまま心境を包み隠さず話すなんて出来るはずがない。そこで、「実は、時々神様にお参りしてたりしてたんだけど、神様は結局何もしてくれなかったよ・・・」という表現になった。それは、不満を思いっきりオブラートに包んだ表現だった。毎日は、“時々”という控えめな表現になったし、神様への不満だって、実際に言葉にしてみると、“結局何もしてくれなかった”という表現が精一杯だった。

 

それにしても、どんどん時間は過ぎてゆく。ついに出棺予定の三十分前になった。そろそろ本当に出掛ける準備だ。「ぺい、そろそろ戻ろうか?」そう声を掛けながらぺいの顔を見てみる。すると、耳の汚れで少し気になるところがあった。でも、汚れが染みついていて簡単には落ちない。綺麗好きだったぺい。天国では、綺麗な身体で周りの猫から羨ましがられると良いな。そう思いながら丹念に拭いた。ぺいの為なら、ぺいが天国で少しでも幸せに過ごせるなら・・・、そんな思いで綺麗にした。そして、最後の最後まで残ったのは、胃から出ている胃瘻チューブだった。これは、ぺいの身体にとっては全く異質なもの。だから天国に行くときには取ってやりたかった。先生からは、口から食事が出来るようになれば、私が普通にバッと抜いちゃっても何も問題ないものだと聞いていた。ただ、もし、胃から液体のようなものが腹腔内に流れ出してしまったらなんて事を想像すると可哀そうで抜けなかった。そこで、折衷案として体外に出ているチューブを短く限界まで切った。これで、人間でいえば、一通り死に化粧的な儀式は終わった事になる。「じゃあ、ぺい戻ろうか?」そう声を掛けて、棺の中にそっと寝かせた。これから火葬場までは、自転車の荷台に棺を結び付けて向かう予定だ。そう思うと、ぺいの頭の事が気になった。ゆっくり慎重に走っても、道に段差があったら、その時、少し頭が跳ねて痛いかもしれない。そこで、私は、洗濯してあった黄色い涎掛けを四つ折りにして、ぺいの頭の下に枕替わりに敷いた。そして、生花を一本ずつ棺の中に戻した。天国では、綺麗な身体で沢山の花に囲まれて幸せに暮らせよ。そんな事を思いながらぺいの身体を沢山の生花で包んでやった。そして、「ぺいちゃん、じゃあ、そろそろ行くよ」と、声を掛けて、ゆっくり棺の蓋を閉じた。住み慣れた部屋を離れ、暗い棺の中に入れられて移動するのは不安だろう。火葬場に向かう事は、理解出来ていたとしても心積もりが必要だろうから、一声掛けてから出発したかったのだ。お手製のダンボールで作った棺には、蓋の表面にも色々な動物が楽しそうに遊んでいるラッピングを貼っている。天国では、みんなと一緒に楽しく幸せに暮らせよ。 そう思いながら蓋を閉じた。そして、棺を両腕に抱えた。棺は、自転車の荷台にゴム紐で結び付けなければならない。万が一でも、火葬場に向かう途中に棺が荷台から落ちるなんて事はあり得ない。だから、頑丈に固定して、母と一緒に自転車で火葬場に向けて出発。時刻は、十二時十分。ほぼ予定通りだ。右手を後ろの棺に当てて、ゆっくり細心の注意を払いながら自転車を走らせた。

 

そうして、火葬場に到着したのは、十二時四十分過ぎだった。予定よりも二十分ほど早い。でも、火葬場で本当に本当の最後のお別れをするつもりでいたので、概ね予定通りだ。火葬場の建物の前には、車を五台ほど駐車出来るスペースがあったので、私達は、その駐車場の入り口側の隅に自転車をとめた。周囲は火葬場の建物と同じぐらいの高さの樹で覆われていて、周囲から建物が見えないようになっている。気のせいか、凄くしんみりした空気が漂っている。まずは、自転車の荷台からゴム紐を慎重に解く。そして、棺を両腕に抱えて火葬場の入口に向かった。母に入口のドアを開けてもらうと、直ぐ目の前に受付があった。それで、十三時半の予約である旨と名前を伝えた。すると、「前の方が早めに終わったので、これから直ぐに大丈夫ですよ」との言葉。えっ!もしかして、予定していた最後のお別れをする時間がない?私は、一瞬、戸惑った。そこで、「すいません、少しお別れをしたいので、予定通り一時ぐらいからでも大丈夫ですか?」と尋ねると、「はい、大丈夫ですよ」との事。良かった。これで最後のお別れが出来る。そして、「それでは、受付の用紙を書いて貰えますか」という話があり、それと、猫の方は、体重を量りたいとの事で棺ごと預ける事になった。そうして、一旦、ぺいと別れて私達は、待合室に案内された。待合室には、ソファーとテーブルがあった。受付の用紙は、住所やペットの名前を書く程度の簡単なものだったけど、今、起きている現実を噛みしめるように、一字一字をゆっくり書いた。そして、全て書き終わり、その事を受付の女性に伝えると、「それではこちらにどうぞ」という事で、私達は、火葬が執り行われる部屋に案内された。

 

部屋に入ってみると、ステンレス製と思われる腰ぐらいの高さの台の上にぺいの棺が置いてある。ぺいの体重は棺の重さも入れて二・五キロだったそうだ。棺の中には、バスタオルや生花も入っているから、ぺい自身の体重は、多分、二キロ程度だろう。ちなみに、癌になる前は、六・五キロだったから、約四・五キロも減ったという事になる。これは、人間をイメージしてみると分かり易い。体重、六十五キロの人が二十キロになったという事になる。本当にガリガリの状態だ。そんな事を思っていたら、スタッフの女性から、「それでは最後のお別れをお願いします」との案内があって、スタッフの女性は部屋から出て行った。部屋の中は、ぺいと私達だけだ。私は、棺の中のぺいの頭や身体を何度も撫でた。「ぺい、ぺいちゃん・・・」ぺいの姿を見るという事、この毛触り、頭を撫でたときに手に感じる頭の丸み、本当に心の底からぺいの事が大好きだった。最後のお別れは、途中、母とも交代しながら、十分程、お別れの時を過ごした。そうして、部屋の外にいたスタッフに終わった事を伝える。すると、「それでは、これより準備に入らせて頂きます」「棺は、こちらの状態で宜しいですか?」という確認があった。私は、胃瘻チューブの事が最後まで気掛かりで、チューブは、家を出る前に短く切ってきたけど、このまま身体に埋め込まれたままの状態で火葬したら、どうなってしまうのだろう?素材がゴムだから溶けたゴムが骨に纏わりつきそうで、それが、気掛かりだった。そこで、私は、チューブを指差して、「これ、大丈夫ですか?」と聞いてみた。すると、「全部焼けてなくなってしまいますので大丈夫ですよ」との事。良かった。火葬の直前であっても、抜いてしまったら、自分がぺいの身体を最後の最後に傷つけてしまうようで、それには、抵抗があったからだ。もうこれで大丈夫かな?頭の先から尻尾の先まで確認してみると、今度は、頭の下に枕替わりに敷いていた黄色い涎掛けの事が気になった。棺の中にはバスタオルや生花も入っていたから、涎掛けも、それらと一緒といえば一緒だけど気になったのだ。棺ごと一緒に燃やしてしまうか、どうするか?癌になってから、長い間、纏っていた涎掛け。癌で腐敗して垂れてきたものを全部受け止めてきた涎掛けだ。何だか妙に似合ってもいた。何度も洗濯したし、首に何度も巻いた。そんな記憶が詰まっている涎掛け。もし、ここで一緒に燃やしてしまったら二度と取り返しがつかない。私は、頭をそっと持ち上げて涎掛けを取り出した。そして、「はい、これで大丈夫です」と伝えた。すると、火葬用の長細い台が炉の中から引き出された。そして、ぺいの棺は、その台の上に置かれた。それで、今度は、その引き出された台が棺と一緒に炉の中に戻ってゆく。ぺいの姿が見えなって、炉のドアも閉まった。棺が完全に視界から消えた。もう後戻りは出来ない。もう燃えてしまう。本当に、いよいよだと思った。そして、そう思った時、「それでは、こちらで、ご焼香をお願いします」との案内があった。炉の前に焼香台がある。私と母、まず私の方が先に焼香台の前に進んだ。そして、合掌して、おりんを三回鳴らした。一回だと簡素過ぎるような気がして三回鳴らした。焼香も三回、それで、最後に合掌した。そして、焼香を終えて戻ろうとした時だった、いきなり涙が凄い勢いで溢れてきた。ヤバい。母がいるのに・・・。いい歳した大人が猫の火葬で大粒の涙を流しているなんてところを見られたら恥ずかし過ぎる。私は、なるべく母に顔を見られないように俯き加減で少し遠回りに元々の場所に速足に歩いた。そして、私が戻り終えようとする時、今度は、母が焼香に向かった。母が焼香から戻ってくるまでに早く涙を止めなければ。そして、平静を取り戻さなければと焦った。母が焼香をしている間に手の甲で涙を拭ったけど片手だけだと拭いきれなかったので何度も両手の甲や手の平で拭き取った。そして、涙を必死で止めた。これで、なんとか取り繕う事が出来る。そう思って顔を上げた時、ちょうど母も焼香を終えて俯き加減で戻ってくるところだった。母も両目を隠すように少し片手を両目にあてたのが印象的だった。そして、これで、焼香が終わったと思った時だった。「それでは待合室の方でお待ちください」という案内が聞こえてきた。私達は、待合室に戻る事にした。待合室に戻る途中、骨壺や位牌などメモリアルグッズがガラス棚の中に陳列されている場所があった。この火葬場の立会葬では、遺骨を入れる質素な骨壺と覆いが、最初から葬儀代金にセットになっている。ただ、骨壺と覆いのデザインなどに拘りたい場合には、別途購入出来るものがあって、そちらの方に差し替える事も出来るのだ。私は、あらかじめ火葬場のホームページに掲載されていた内容を確認していたので、「すいません、骨壺と覆いは、これと、これに変えてもらえますか?」と、スタッフの方に確認した。骨壺は、色々な動物が、お花畑で遊んでいる絵柄が描かれたもので、骨壺を収める覆いは、猫と犬が星模様と一緒に刺繍されているものを選んだ。待合室に戻って部屋にある壁掛け時計を見てみると、十三時になるかならないか位だった。

 

待合室には、来た時も、部屋に戻ってみても母と私の二人だけだ。そういえば、火葬の部屋には炉が二つあったけど、おそらく一つは予備の炉で、同時に二組の火葬は行っていないようだ。でも、そんな事よりも、とにかく、もう少しでぺいが四方八方から火を浴びせられて燃やされてしまうという事の方が気になった。今日は、火葬の為に来たのに心の中では、まだ、気持ちの整理がついていない。ただ、何とかしたいけど仕方がない。そう何度も自分に言い聞かせた。でも、居ても経ってもいられずに、母に、「動物って火葬にどれぐらい時間が掛るのかなぁ?」と、呟いてみた。もちろん、母だって、そんな事を尋ねられても分らないだろう。私は、待合室から出てスタッフの女性に尋ねてみた。すると、三十分程との事。そうか、三十分か・・・。待合室に戻って母にも伝えた。そして、それから何とも言えない無言の時間が流れた。そして、それは、待合室に戻ってきてから五分程経った時だった。突然、「ゴーッ」という音が聞こえてきた。ガスの炎の音だと思った。ぺいが眠る棺に強烈な炎が四方から噴きつけられている。そんな様子が頭に浮かんだ。ぺいは、ぺいは、今どうなっているのか・・・。私は、思わず太腿の間で手を合わせていた。大切なぺいが、大切なぺいが燃えている。燃やされている。時計の針の進み具合が酷く遅く感じられた。もう止めてほしい。強烈な火。もう充分、燃えているのでは?まだか?もうやめてくれ!とにかく頭の中で考えるのは、そんな事ばかり。気が狂いそうだった。もう、ぺいは死んでいる。だから、火で燃やされたって熱さや苦しみなんて感じる訳がない。そんな事、頭では良く分っている。でも、どうしても、完全に気持ちを整理出来なかった。火葬を選んだ以上、もう現実として燃やしている以上、これは、仕方のない事、仕方のない事。「ゴーッ」と音のしている間、そう何度も必死に自分に言い聞かせた。そして、まだかまだかと何度も時計の針を見た。それで、時間にして十数分経過した頃だった。やっと、「ゴーッ」という音が鳴り止んだ。正直、ホッとした。本当に、本当に、随分、長く感じた。やっと、ぺいも長かった火炙りが終わって楽になれた。心底そう思えた。もうとっくに死んでいるのに・・・。この時、時計を見てみると、十三時十五分過ぎだった。やっと、ぺいも私自身も耐えて耐えぬいて解放された・・・。そう思った時、目の前に一冊の本があるのが気に止まった。どんな本かと思って手に取ってみると、それは、ペットを失った人が元気を取り戻せるようにという帯のついた本だった。私は思った。火葬場のスタッフが、直接、飼い主へ慰めの言葉を掛けるのも良いのかもしれない。だけど、それよりも、何も話しかけないで、このような本を、さりげなく待合室に置いてあるというだけの方が、飼い主の心境に配慮しつつ飼い主が深い悲しみから抜け出すには良いように思えた。そして、そんな思慮深さが凄く心に染みた。そして、手に取った本のページを捲りながら、呼ばれるのを待った。まだか、まだか・・・。ページを捲っていても本に書いてある内容は全く頭に入ってこない。もう少しで十三時半。そう思った時だった。待合室のドアが開いた。「それでは、火葬の方が終わりましたので、お骨上げをお願いします」という案内だった。待合室と火葬部屋の間には小さい受付の部屋があるけど十数秒程で移動出来る。私達は、再び火葬の部屋の方に移動した。

 

部屋に入ってみると、火葬の前にお別れをした台の上に、今度は、底の浅いトレーのようなものが置いてある。そして、その中にぺいの骨が整然と並べてある。そう、火葬が終われば骨だけになるなんてことは分かりきっていた。もちろん骨を見ても生前の面影なんて感じられない。でも、この骨がぺいだったという事実。そう思うと色々な思いで胸が一杯になる。そんな事を思っていると、「それでは、これからお骨上げをさせて頂きます」というスタッフの声が耳に届いた。私と母は、トレーのようなものの前に立った。尻尾の骨、爪の奥にあるという爪の形をした骨、下顎の骨、一つ一つ、骨の説明を聞いた。そんな説明の途中には、「下顎の骨は左側は残りませんでしたけど右側は少し残りました」という説明があった。私は、「手術で片方は骨がありませんでしたので・・・」と、その理由を話した。その後、喉仏は、どうして仏と言われるのか、ぺいの実際の骨を見ながら、その説明を聞いた。それは、喉仏の骨の形が、お釈迦様が座禅を組んで合掌している姿に似ていることから喉仏と言われますという内容で、そうして、いくつか骨についての話を聞いた後、骨上げについての説明があった。頭蓋骨は最後に上に乗せるので、頭蓋骨以外で一番大きくて持ちやすい骨から順番に骨壺の中に入れていって下さいとの事であったので、まず、私と母は、一緒に脚の骨とおぼしき骨を持って骨壺に納めた。そして、続けて、いくつかの大きな骨を拾い上げた。そうして、その後は、女性スタッフが何の骨か簡単に説明を交えながら骨壺に納めてくれた。細かい骨も灰のようなものまで刷毛と小さな塵取りで全て残らず骨壺の中に納めてくれたのが嬉しかった。そうして、最後の最後に頭蓋骨だけが残った。今まで何度、この頭を撫でてきたことだろう。そんな事が頭に浮かんだ。でも、蛆虫が湧いて苦しんだりもした。そんな色々な思いの詰まった場所。だけど、骨だけになった事で、癌はもちろん、嬉しかった思い出も、苦しかった記憶も全て一緒に消えた。そんな頭蓋骨は、骨壺の一番上に乗せられた。そして、ゆっくり骨壺の蓋が閉じられた。色々な動物が、お花畑で遊んでいる絵が描かれている骨壺には蓋にも絵が書かれてある。天国では、幸せに過ごしてくれよ。蓋が閉じられた時、改めてそんな事を思った。そして、骨壺は、最後に覆いの中に納められた。これで、火葬の全てが終わったことになる。時計を見てみると一時三十分だった。ぺいが死んだのが、前日の一時三十分だったから、ちょうど同じ時刻に火葬が終わったのだ。偶然だろうけど、数分たりとも時間がズレていない事に何か見えない不思議な力のようなものを感じずにはいられなかった。そうして、最後に会計を済ませた。「ありがとうございました」と、スタッフの方々に伝えて、いざ自宅に戻ろうと火葬場の建物から出たところで、「お戻りは自転車ですか?」と聞かれた。私と母が乗ってきた自転車が駐車場の片隅に見えての確認だろう。私は、「はい、そうです」と答えた。すると、「自転車のかごに骨壺を入れて帰られますと、ご遺骨が砕けてしまうと思われます」との事。言われてみれば確かにそうだ。私は、その話を聞き、手に持って帰ろうと思ったので、「何か袋のようなものはありませんか?」と聞いてみた。だけど、そのようなものは残念ながらないとの事。どうしょう・・・。すると、母が何かを思い出したように手提げカバンの中をゴソゴソ探っている。そして出てきたのがスーパーのビニール袋。さすが母。素晴らしい。普通、空のビニール袋なんて日頃持ち歩くか?と、男の自分としては思ったのだが、とにかく本当に素晴らしい。もし、一人で火葬場に来ていたら困り果てていたところだ。そんな訳で、母が持参していたビニール袋の中に覆いに収められた骨壺を入れて、その袋を車道とは逆側の手に持って慎重に来た道を戻る事にした。そういえば、つい一時間と少し前、この道を火葬場に向けて自転車を走らせていたのだ。そして、今は、骨だけになったぺいを持ち帰っている。複雑で何とも言えない気持ちだ。ぺいとの出会い。別れ。この十数年間という時間、いつも頭の中に思ってきたぺいの事。だから、想像以上に大きな存在だった。いつも居るのが当たり前だった。居て貰わなくてはならない大切な存在だった。私は、そんな存在をついに完全に失ってしまった。そんな事を思いながら家に向かって母と自転車を走らせていた。すると、母から、「花でも買って帰った方が良いんじゃあないの?」「枯れない造花なんかどう?」という提案があった。私は、「うん、じゃあ、そうしようか」と、返事をした。正直、火葬が終わった後の事までなんて考えていなかったけど、確かに部屋に骨壺だけだと余りにも寂し過ぎる。そうして、帰り道の途中、某百円ショップに立ち寄った。店内の一角には、結構広いスペースに色々な造花が並べられている。どんな花が良いだろう?たかが百円の造花。だから、どれでも良いのかもしれない。でも、ぺいのための造花。悩んだ。結局、十分程考えて、やっと一つのものに決めた。それと、ついでに写真立てとデジカメ用の光沢紙も買った。ぺいの生前の写真も骨壺と一緒に部屋に飾ろうと思ったからだ。

 

帰宅して、玄関のドアを開けてみる。部屋の中は相変わらずシーンとしている。でも、ぺいは骨になってしまったけど、また、住み慣れた家に戻ってきたのだ。姿形は違うけど一緒に戻ってきたのだ。そう思った途端、少なからず骨にだって魂が宿っているように感じた。そして、そう思うと寂しさや悲しみも少しは和らいだ。どこに骨壺を置こうか・・・、部屋の中を見渡してみる。置き場所を決めた時だった。母から、「そこに名前を書かないの?」との言葉。確かに骨壺の覆いには白い紙が貼られていて、名前と日付を書く欄がある。私は、マジックペンを手に取った。そして、まず、ぺいという名前を書く事にした。たかが二文字かもしれないけど、ゆっくり一文字一文字、ぺいの魂が、骨壺の中の骨の一つ一つに宿っている感覚を大切にしながら書いた。そして、最後に、八月二十三日という命日を記した。あとは、骨壺と一緒に飾るぺいの生前の写真をどれにするかだ。どれにしようか?写真立てに入れる写真。いくつかこれはと思った写真を光沢紙にプリントしてみた。写真は、少し悩んだけど直ぐ一枚に決める事が出来た。毛布の上で横になって寝ていた姿を、私が写真を撮ろうとして少しだけ目を開けた時の写真だ。この写真は、カメラ目線にもなってるし、私に心を完全に許して部屋の中でリラックスして過ごしてきた日常を最も表している写真のように思えたからだ。そして、骨壺と写真、造花を並べて置いてみる。これでOKだ。一通り形になった。そして、母と一緒に骨壺と写真に向かって手を合わせた。

 

そういえば、今年の初詣で引いたおみくじは大吉だった。それなのに、いきなり三賀日は風邪気味で元旦の午前中に初詣を終えてからは殆ど寝て過ごした。その後、一月中旬には、ぺいが嘔吐したので、病院に連れて行ったり、一月の後半には、私がインフルエンザに罹ったり、母が突然の下血で入院したりもした。そして、三月には、ぺいの癌が判明して、その後の対処も上手く噛みあわず、結果的に後手後手になった。それでも心のどこかで、今年は、大吉だったから、終わり良ければ全て良し、必ず奇跡が起きると信じてきた。だから、神社にだって、ずっと、お参りをしてきたのだ。それにしても、ぺいは、まだ十一歳。人間で言えば、大体、六十歳という若さだった。それなのに、結局、もう、ぺいは死んでしまった。もう、今年が大吉だなんて絶対にあり得ない。何が大吉だ。そう思い始めた途端、突然、神様に対して沸々と怒りが込み上げてきた。私は、直ぐ傍にいた母に、「今年は、おみくじ大吉だったのに全然違っていたよ」と、思わず吐き捨てるように口にした。すると、母からは、大吉は、ひっくり返って大凶になりやすいとの話があった。私は、それを聞いて、もう今年は、完全に大凶だな・・・、そう強く心に思った。ただ、そうは言っても、ぺいの死に際に立ち会えた事は、本当に良かったし、それも、休日一日目の土曜日の昼間という時間帯が最期なんて、全てを計ったかのようなタイミングだったし、火葬だって休日のうちに終えられた。ちなみに、もし、ぺいが死ぬのが、もう一週間、早いタイミングだったら色々な事が難儀に感じていた。それは、風邪で体調が悪かったからに他ならない。ある意味、悲しみに集中するにも健康であればこそだと思える。それから、今度は、逆に一週遅いタイミングであっても、前々から変更しづらい予定が入っていたので都合が悪かった。私は、そんな事も母に話した。もしかして、ぺいとの出会い、そして別れのタイミングや全ての成り行きはシナリオとして、ぺいと出会う前から、最初から決まっていたのではないだろうか?全ては何かに操られていたのではないだろうか?不思議と少しそんな気がした。

 

そうしているうちに、時間は刻々と過ぎてゆく。母は、そろそろ帰るとの事。時計を見ると、もう十六時を回っている。母は、帰る準備をしながら、そう言えばという感じで話してくれた。それは、豚肉と鶏肉のモモ肉を軽く湯通ししたものを持ってきてくれたものを細かく千切ってぺいに与えてくれた時のことだ。ぺいは、目を丸くして肉をムシャムシャと凄く喜んで食べたのだけど、母は、その時、ぺいが凄く喜んで食べてくれた様子が、強く印象に残っていて忘れられないそうだ。そう、あれは、もう手の施しようがないと先生から余命を宣告されて、それを電話で伝えてから数日後の出来事だった。母は、ぺいが元気であるうちに、ご馳走を食べさせてやりたいという一心で肉を下準備して足を運んでくれたのだろう。あの時のぺいの様子は私も凄く記憶に残っている。なぜなら、私も自分自身の事のように嬉しかったからだ。母は帰り支度が整ったようだ。「それじゃあ、帰るから」「本当に本が書けるぐらい色々な事があったね」そんな母の言葉。本・・・。色々な事・・・。本当に、その通りだ。本当に色々な事があった。でもそれは、何とかしてぺいを助けたいという思いの強さと、残された時間を精一杯大切にしたいという思いの結果なのだろう。私は、どうすべきなんだろうか?どうしたいのか?結論は直ぐに出そうにない。本を書く事につては、少し時間を掛けて考えてみようと思った。

 

そうして、母は帰り、その後、私自身も用事があったので外出する事にした。そして、自転車を走らせてクリーニング店に寄って、それは、買い物に向かう途中だった。今まで何度となくお参りしてきた神社の前を通りかかった時だった。「あっ!」と思った。なぜなら、神様に対して不満や怒りを感じていたからだ。でも、まさか、ここで自転車を降りて神社の神様に向かって文句をぶちまける訳にもいかない。その時、私は、一番会いたくないと思っていた人に突然出会ってしまったような感覚に襲われた。どうしょう?精神的にも、とりあえず、このまま神社の前を素通りして、やり過ごしてしまうという選択が、可も不可もなく最も良い行動のように思えた。でも、例え偶然であったとしても、一通り火葬が落ち着いた直ぐ後に、神社の前を通りかかったという事には、何か今の自分には考えの及ばない意味があるのではないだろうか?これは、何かの導きかもしれない。何だかそう思えた。そこで、ひとまず自転車を降りて、とにかく、拝殿に向かって足を進めてみた。しかし、何を思って手を合わせれば良いのか?今さら、お願いする事なんて何もない。ゆっくり歩きながら必死に考えた。だけど、どうしても思いつかない。そして、何かに操られるかのように拝殿の前に立った。駄目だ。このまま黙っている訳にはいかない。神様に何か伝えなければ・・・。もうやけくそだ!「ありがとうございました」それは、全く心にも思っていない気持ちだった。でも、そう心に思って手を合わせた。結局、それで拝殿を後にした。

 

それにしても、全く心にも思っていない事を神様に伝えてしまった。神社を後にして、そんな釈然としない気持ちが残った。それで、「ありがとうございました」と、伝えてしまった事について考えた。「ありがとうございました」と、伝えたのは、本当に自分の意思に反する事だったのか?「ありがとうございました」というのは、感謝の気持ちを表す言葉だ。神様に感謝すべき事は本当になかったのか?そもそも感謝すべき事が易々と思い浮かぶぐらいだったら、最初から神様に対して不満や怒りなんて感じていない。だからこそ、本当に神様に感謝すべき事はなかったのか?そんな事を、冷静に客観的に考えてみる事にした。そして、過去の色々な出来事を振り返った。すると、実は、考え方次第で、あれもこれも逆に神様に感謝すべき事だらけのように思えてきた。例えば、あれは、三か月前の五月二十二日の出来事だった。「あと、どれぐらい生きれるんでしょうか?」「一か月、ただ胃瘻がついていて食事が出来るから長くても三か月でしょうか・・・」それは、先生から告げられた余命だった。そして、ぺいが死んだのは、八月二十三日。偶然なのかは分からないけど、ちょうど丸三か月、ぺいは、この世で頑張って、その翌日、天命を終えて旅立っていった。決して、一か月や二か月ではなく、長くてもと言われていた三か月という期間を一日も余すことなく丸々生きてくれたのだ。そして、旅立った翌日も休日だったから、最期を看取ることも出来たし、悲しみに暮れる時間も存分に持てた。そして、スムーズに火葬も執り行えた。そういった事は、まだ他にもある。ぺいは、旅立つ数日前から尻尾を振る事すらなくなくなっていたのに、旅立つ数時間前にパタンパタンと大きく尻尾を振ってくれたのだ。そう、あれは、今思えば間違いなく、お別れの合図で、きっと、渾身の力を込めて振ってくれたはずだ。そして、私は、その合図に直ぐに気づけた。それと、本当に何より感謝すべきは、ぺいの最期に寄り添えたという事だ。一日は、二十四時間。仕事で自宅にいない時間、寝ている時間だってある。だから、最期に立ち会えた事は、凄く感謝すべき事だろう。私は、ぺいの事が大好きだった。そして、きっと、ぺいも私に気持ちを寄せてくれていた。そうであったと信じたい。そして、だからこそ、神様は、私とぺいの間に訪れる別れに対して、神様として最大限出来うる限りの範囲で、全力を尽くしてくれたのではないだろうか?何だか考え方を変えてみると、急に物事の見方が変わってくる。もし、神様に永遠の命を願ったところで、神様は、そんな事を叶える訳にはいかないだろう。そして、そのように考え始めたら、神様に向けて、「ありがとう」という感謝の気持ちが、逆に堰を切ったかのように溢れてきた。それで、あらためて感謝の気持ちを心の底から伝えたいと思った。もしかしたら、こんなにも沢山の特別扱いを神様から受けられた幸せこそが、年始のおみくじの大吉の意味だったのではないだろうか?そのようにさえ思えた。そうして、色々な用事を済ませながら色々な事を思い、夜の八時過ぎに家に戻った。部屋の中は相変わらず静かでさびしい。でも、ぺいが例え遺骨になったとしても、ぺいの身体を構成していた一部は同じ空間にあるから、これからも、一緒に同じ空間で同じ時間を過ごせるのだ。そう思うと少し嬉しかった。そして、そう思うと、少しぐらいなら、こちらから、ぺいの魂に一方通行でも何か思いを伝えられるような気さえしてくる。

 

そういえば、火葬場から持ち帰った遺骨は、骨壺の中に遺骨を納めて以降、全く目にしていない。もう一度、ゆっくり確認しておきたいと思った。でも、単純に目にしたいという理由だけでは、安らかに眠っているぺいを一方的に起こしてしまうような気がして申し訳ない。でも、火葬場から持ち帰ってきた時、振動で骨壺の中の遺骨は大丈夫か?頭蓋骨は倒れてないか?そんな事も少なからず気になっていた。もし、倒れてしまっていたらぺいは骨壺の中で早く元に戻してほしいと思っているはずだ。そう思い始めると、蓋を開ける事へ躊躇は直ぐに消えた。早速、緊張しながら骨壺が納められている覆いの紐をゆっくりと解いて骨壺を取り出してみた。色々な動物がお花畑で遊んでいる骨壺。そっと、蓋を開けてみる。再び、一瞬にして火葬場での出来事が、現実として目の前に蘇った。しかし、現実から目を背ける事は出来ない。気を取り直して骨壺の中を見てみる。ひとまず頭蓋骨は倒れていない。良かった。その他の骨は、頭蓋骨の下に隠れて良く見えないけど、特に問題なさそうだ。これで一先ず安心だ。最後に一番上の頭蓋骨の部分を良く確認しておきたかった。頭の頭頂部分に目を向ければ、つい最近まで良く頭を撫でてやった事を思い出す。そして、脳が収められていた空間。そう、あれは、旅立つ事になる数週間前の出来事だった。念願だった玄関の外に出してやったけど、あの時の興奮や喜びといった感情、でも、今となれば、そういった記憶も灰になって全部綺麗さっぱりなくなってしまった。折角、楽しい思い出を作ってやったのに・・・。そう思うと、本当にやりきれない。また、涙が溢れてきた。最後に蛆虫がいた上顎の骨の辺りを見てみる。それにしても、こんなに小さいスペースの何処に、あんなに沢山の蛆虫がいたのか?本当に信じられない。もしかしたら、蛆虫は脳にまで広がっていたのか?そう考えなければ、なかなか理解が出来ない。「ぺい、本当に良く頑張ったな」「もう痛くないからな・・・」「本当に色々とありがとうな・・・」そう話しかけながら、頭蓋骨の頭頂部分を、やさしく撫でてやった。今までと違って、骨だから、ざらざらしているけど、違いはそれだけ。撫でてやる時の気持ちは、何一つとして以前と変わりない。

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