「神様からの贈り物」

~扁平上皮癌との戦い~

2014年3月 愛猫「ぺい」に、突然、癌が宣告されました。
それでも、再び元気になれる奇跡を一緒に夢見て頑張った記録です。
事実を、感じた事を、ありのままに全て残すことにしました。

十一年と百十八日

 ぺいが旅立って二日目。とてつもなく悲しい。悲しくて悲しくて仕方がない。ぺいが生まれたのは、二〇〇三年の二月十日。どれだけの日数を生きていたのだろうか?インターネットで日数計算というキーワードで検索してみると、計算の出来るサイトがあったので計算してみた。すると、十一年と百九十四日。我が家に来てからだと、十一年と百十八日という事が分った。十一年と百十八日。私が、今まで歩んできた人生の時間から考えても結構な割合になる。ましてや、そもそも、人生は一度しかない。そんな一度しかない人生で、これほどまでの気持ちになるなんて早々ない。そのように思うと、なおさら、ぺいと一緒に過ごしてきた十一年という歳月が、どれほど大切なものであったのかと感じさせられる。それにしても悲しい。どうして、こんなにも悲しいのか?それは、やっぱり、一緒に過ごしてきた時間が幸せだったからに違いない。幸せってなんだろうか?それは、多くの喜怒哀楽を共有してきた事のように思える。ぺい、ありがとうな!一緒に過ごしてきた記憶は、今までの人生の中で一番大切にしたい思い出になったよ!ゆっくりだけど、時間が経過するにつれて少しずつ頭の中が整理出来てきた。それにしても、日中は、頭の整理が出来ないまま仕事をしなければならなかった。身体はデスクで仕事をしていても頭の中は混乱して心は異空間を彷徨っているようだった。ただ、そうした中でも、一つ心に決めた事があった。それは、あらためて神社にお参りするという事だ。なぜなら、ほんの少しの間であったとはいえ、神様に対して不満を抱いていたという事を正直に詫びて、逆に、感謝したい、そう心の底から思えたからだ。神様への感謝。不思議なもので、考え方を変えてみると、全ての出来事が感謝すべき事のように思えてくる。例えば、先生から宣告されていた余命の期間。余命の期間には、一か月から三か月という幅があった。でも、ぺいは、その最も長い期間を一日も余す事なく生きてくれて、その翌日に旅立った。また、最期にも立ち会う事が出来た。そして、最期は、休日一日目の土曜というタイミングだったし、翌日に粛々と火葬を終える事も出来た。また、その火葬を終えた時に目にした時計の針は、ぺいが旅立った前日の時計の針と全く場所を指していた。パッと思いつく事だけでも、偶然にしては何かの力が働いているような気がしてならない。もしかして、神様の何か見えない力のようなものが働いているのではないだろうか?もし、そうだとすれば、神様には感謝すべき事だらけだ。そもそも、ぺいと出会った事、癌になって旅立っていった事には、最初から何か目的があったのではないだろうか?もしかすると、ぺいは、何かの使命があって、その使命を終えて神様の元に戻っただけではないだろうか?だとすれば、ぺいは、神様からの贈り物だったのではないだろうか?不思議と、そのように思えてきた。

  そして、もう一つ、昨夜から考えている事がある。それは、神様にぺいの癌が良くなりますように!と、お願いしてきた事についてだ。私は、癌が良くなって、三~四年ほど寿命が延びてほしい、せめて平均寿命ぐらいまでは生かせてやってほしいとお願いしてきた。でも、考えてみれば、今の医学では、どうしょうもない事を神様にお願いしてきたとも言える。ただ、それは、今の医学ではどうしょうもないからこそ神様にお願いしてきたのだとも言えるけど、ある意味、好き勝手な事を一方的にお願いしてきた事になる。それなのに、私は、それが叶わなかった、叶えられなかったという理由で、神様を責めたり神様に不満を抱いた。それは、冷静に考えてみると、あまりにも自分勝手であったように思えてくる。極端な例を挙げてみると分かり易い。例えば、永遠の寿命を幾ら願っても、そんな事、絶対に叶わないはずだ。そう考えてみたら、いくら神様だって、出来る事と出来ない事があるのではと思えてくる。そこで、あらためて、出来そうな事と、出来ない事という見方で考え直してみた。すると、神様は、私の願い事を、可能な限り受け止めてくれて、最大限の力で叶えてくれたように思えてならない。神様は、それほどに願うのなら、せめて余命宣告された最も長い期間ならばと、出来る限りを尽くしてくれたりしたのではないだろうか?そして、ぺいだって、私の気持ちを察してくれて、癌で身体がボロボロになっても、一日一日を、一生懸命頑張って生きてくれたのだと思える。一日一日という時間が、どれほど辛く長かった事だろう?本当に感謝してもしきれない。きっと、神様とぺいは、私の願いに懸命に応えてくれたに違いない。目には見えないけど、どこか奥深くに感じる不思議な力。今までは、飼い主である私が、てっきり、ぺいを見守っているとばかり思っていた。だけど、本当は、ずっと、私の方が、神様とぺいから見守られていたのかもしれない。そして、そうだとしたら神様とぺいには感謝してもしきれない。神様とぺいにお礼をしなければ。そもそも、私だからこそ出来る事というものがあって、何か期待されているような気もする。そういえば、火葬を終えた後、「本当に本が書けるぐらい色々な事があったね・・・」という母からの言葉。ぺいが旅立った後に感じるぺいとの出会いの意味。もしかすると、十数年前に出会った事は、偶然ではなかったのかもしれない。そして、平均寿命と比べたなら、少し短かったかもしれないけど、一緒に過ごしてきた十一年という年月。それは、私の人生にとって凄く大切な宝物のように思える。もしかして、神様とぺいは、二人三脚で、この宝物を授けてくれたのではないだろうか?

  猫は人間と姿容が違う。言葉だって話せない。だけど、それは、逆に言えば、姿容が違う事と言葉が話せないだけの違いだ。そう考えると、人間も猫も、魂という本質的な部分では、微塵たりとも差がない。人間も猫も全く対等の命という事だ。もちろん、これは人間と猫に限った事ではないと思う。だから、私は、人間と全く同じ尊い命を、魂を大切にするという気持ちを、最も望ましい方法で人間社会に伝えてゆく必要があるように思える。やはり、まさに、これこそが、私が、人間として生を受けた一つ理由ではないだろうか?ぺいと出会った理由、神様とぺいから期待されている事ではないだろうか?では、どうすれば、最も未来永劫、人間社会に伝える事が出来るのか?それは、やはり、この世に永遠の命などないから、文字にして残す事が一番のように思える。本にしておけば我々人類が存在し続ける限り、記憶を永遠に残すことが出来る。ぺいが、この世に生を受け、その後、人間から愛され旅立っていったという記憶を・・・。