「神様からの贈り物」

~扁平上皮癌との闘い~

まだ数年は続くと思っていた、愛猫「ぺい」との平凡な日常。
しかし、その後の誤診と突然の癌宣告...。
それでも、再び元気になれる奇跡を一緒に夢見た記録です。

楽しい思い出の意味

月命日の翌日、いつものように仏壇に供えてある水を取り替えた。そう、仏具が届いてから、朝晩、生前と同じように毎日欠かさず新鮮な水に取り替えている。それにしても、今日は仕事だというのに、まだ、前日の余韻が残っている。それも思いっきり。ただ、気持ちを切り替えていかなければならない。しかし、そうは言ってみても、ぺいだって、私が、悲しんでいる事自体は、どちらかと言えば喜んでくれているように感じられる。でもそれが、仕事にまで影響してしまうと絶対に悲しむはずだ。まさか、ぺいを悲しませる事なんて出来ない。そんな事を思っていたら会社に着いた。とにかく、気持ちを切り替えていかないと・・・。一心不乱、仕事以外の事は、一切考えないように、いつものように、いや、いつも以上に仕事に集中するようにした。そして、時間は過ぎ、退社時刻になった。やっと家に帰れる。これで、やっと、ぺいと一緒に過ごせる。また、明日の朝まで、ぺいの事で頭を一杯に出来る。帰りの電車の中、そう思うと嬉しくて仕方がなかった。

 

 そして、自宅に到着。「ぺいちゃん、帰ったよー」玄関を開けて、昔と同じように帰ってきた事を声に出して伝えてみた。もちろん、もう、返事はないし、お出迎えがある訳でもないけど、仏壇の中で尻尾を振ってくれているように思えた。そして、いつものように、水を取り替えて、ロウソクと線香に火を点けて、おりんを鳴らして手を合わせた。ちなみに、おりんは、いつも三回鳴らすようにしている。それは、火葬の最後のお別れの時に鳴らした回数が三回だったからだ。あの時から、ぺいの事を思う気持ちは何一つ変わっていない。その事を、ぺいに伝えたくて、また、伝わると良いなと思いながら、それで、いつも三回、鳴らしている。そして、焼香を済ませると、いつもの生活パターンで再び外出。そして、再び、夜、九時過ぎに帰宅。今日は、もう外出の予定はない。これで、落ち着いて過ごせる。そう思いながら部屋に入った。もちろん、直ぐに、仏壇にいるぺいの事が気になる。骨壺の覆いに書いたぺいという文字。今となっては、骨というものにつけた名前になる。ぺいという名前は、もう、骨の事、骨の名前なのか・・・。つい、そんな事を思った。そして、そう思ったら、胸の中に抑え込んでいたものが、また、止めどもなく溢れてきた。それは、日中、ずっと、胸の中に押し込んでいたものだった。ぺいの事を抱きしめたい。抱きしめてやりたい。そう思ったら、いても立ってもいられなくて、仏壇の中の骨壺を取り出して、ぺいが旅立った場所に骨壺を置いてみた。ぺい、お前は、ここで苦しんで旅立ったんだよな。そう思ったら、さらに悲しくて悲しくて涙が溢れてきた。「ぺい、ごめんな」「ごめん、ぺい、なんで死んじゃうんだよ」「ぺい、行くなよ」「なぁ、ぺい?」「どうしてこんな姿になっちゃたんだよ」「助けてあげれなくてごめんな」骨壺を身体全体で包み込むように抱きしめたり、骨壺に顔を押し当ててみたり、骨壺を擦ったり、とにかく骨壺の中のぺいに色々な事を話しかけた。もちろん、私が抱きしめたのは、ぺいの骨なんかじゃない。ぺいの魂だ。

 

 もう、あの旅立った日から一か月が過ぎたというのに、全く悲しみは色褪せない。ぺいは、私にとって、唯一無二の存在だった。もし、これから先、どれだけ宇宙の歴史が続いたとしても、どれだけ強く願っても、ぺいと同じ猫には、絶対に二度と出会えない。過去にも未来にも果てしなく続く宇宙の時間。そんな時間の中で、同じ時代に出会い、同じ場所で過ごしてきた。でも、もう、いくら願っても二度と同じ出会いはない。それが現実。そして、そんな現実が容赦なく波のように何度も心に打ちつける。でも、ここまで思うという事、ここまで思えるという事は、ぺいという存在が、どれほど大切な存在だったのかという事でもある。そして、そんな事を、何度も思い知らされる。そして、そんな事を思うと、さらに悲しみが込み上げてくる。もう一度、もう一度だけでいい、最後に、もう一度だけ抱きしめてやりたい。もう一度だけでいい、もう一度だけでいいから、とびっきり、やさしい声を掛けてあげながら、ゆっくり頭をなでなでしてやりたい。最後の最後に、もう一度、もう一度だけでいいから・・・。

 

 でも、それは、どんなに望んでも叶わない。どうして?どうしてなんだよ。折角、念願だった廊下に出してやったというのに。折角、忘れられない思い出を作ってあげたというのに。そんな思い出を刻んだ脳は、思い出の詰まった脳は、もう全部焼けてしまった。脳も、思い出も、全部燃えて綺麗さっぱり何もかもなくなってしまったのだ。この世に生まれ、私という人間に出会い、ずっと、一緒に暮らしてきた。その中で感じてきた沢山の事。興奮した事、楽しかった事、嬉しかった事、本当に大切な沢山の思い出。それなのに、そんなものは、全部綺麗さっぱりなくなってしまった。灰になってしまった。どうして?どうせ最後には、全部なくなってしまう。それだったら、どうして生きている間に、楽しい思い出を少しでも沢山作ろうとするのか?どうせ、死んだら全部なくなってしまうくせに。だったら、楽しい思い出を作る事に、作った事に、どんな意味があるんだよ?自問自答しても分らない。それで、「ぺい、死にとうなかったなぁ」「折角、いい思い出作ってやったのに、死んだら元もこうもないじゃないか?」「なんで死んじゃうんだよ」そんな事を骨壺の中のぺいに何度も尋ねてみる。もちろん、ぺいは何も答えてくれない。骨壺を移動させてから三十分ほど経っただろうか?我に返って目を開けてみると、骨壺の周囲には、涙の粒が無数に見えた。

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