「神様からの贈り物」

~扁平上皮癌との闘い~

まだ数年は続くと思っていた、愛猫「ぺい」との平凡な日常。
しかし、その後の誤診と突然の癌宣告...。
それでも、再び元気になれる奇跡を一緒に夢見た記録です。

かくれんぼ

「ぺい、いつまで隠れてんの?」「出てこいよ~、ぺい」「・・・。」「ダメだよ~、いい加減出てこないと・・・」

 

帰宅して玄関のドアを開けても部屋の中は静まりかえっている。もう、ぺいが旅立ってから半年以上が経った。どこを探しても居るはずがない。それが現実。そんな事、頭では良く分かっている。ただ、気持ち的には、未だに現実を完全には受け入れられなくて、訳の分からない事を口にしてしまっている。でも、昔、帰宅してもぺいの姿が見えない時、部屋の中を探してみると人目に付かない押入れの奥で寝ているという事が稀にあった。だから、また、あの時みたいに、ひょこっと出て来るかもしれない。いや、出てきてほしい。ぺいが居なくなったのは何かの間違いであってほしい。私の心は、必死で何かに縋りたかったのだと思う。でも、やっぱり、部屋の中は静まりかえったまま。どこを探したって見つかる訳がない。「ぺい、痛かったろ」「ぺいちゃん、痛かったよな・・・」「ぺい・・・」やっぱり、ぺいは骨になってしまったんだ。今は、骨壺の中にいるんだ。今度は、骨壺の中にいるぺいに話し掛けてみる。もちろん、何も応えてくれない。やっぱり、ぺいちゃんは、死んじゃったんだ・・・。「ぺい・・・」「もう、骨になっちゃったら何も喋れないよな」一緒に奇跡を信じてきたというのに・・・。また、胸の奥から悲しみが込み上げてきた。

 

それにしても、あの日から何も変わっていない。予定通り、去年の末には引っ越しをした。でも、引っ越しをしても悲しみの度合いは全く変わらなかった。そして、その後、迎えた新年。正月だからテレビをつけてみても、外を歩いていても、日本中が明るい気持ちでスタートしよう。そんな雰囲気に包まれていた。そして、それは、さすがに少し気持ちがほぐれるきっかけになった。これから始まる年は、気持ちを切り替えて過ごしてゆくんだ。そんな気持ちになれた。そうして迎えた新年だった。だけど、それから明るい気持ちで過ごす事が出来たのは、たったの一週間だけだった。結局のところ、表面上の気持ちは一時的に変えられても、奥底にある気持ちは何も変わらなかった。もちろん、そうなるであろう事は、最初から何となく分かっていた。でも、表面上の気持ちだけでも切り替える努力をしてゆかないと、いつになっても奥底にある気持ちなんて変化しない。そう思っていたのも事実だ。だから、新年という機会を活かして、何とか明るく過ごせるように努力してみたのだ。だけど、そんな自己暗示も長くは続かなかった。やっぱり、ぺいの事が忘れられない。いや、本心は、忘れたくないんだ。もう、無理はしないで自分に正直に生きよう。もう、どんなに悲しくたって構わない。ぺいの事が好きだ。だから、いつまでもぺいの事を思っていたいんだ。もう、どんなに悲しくても、どんなに辛くても、そんなのは構わない。全部、受け止める。そして、もう、自分の気持ちに嘘はつかない。決して無理に忘れようともしない。悲しいものは悲しいし、忘れたくないものは忘れたくない。それが、自分の正直な気持ち。それで、また、夜には、週に二日か三日は、ぺいの動画や写真を見て涙を流す日々に戻った。

 

ちなみに、動画は、もう手の施しようがないと聞かされ、その後、暫くしてから撮影を始めたのだけど、動画には、私が、名前を呼べば、私の方に顔を向けてくれているぺいの姿が残っている。それにしても、どれほど苦しんだ事だろう、どれほど辛かった事だろう。それなのに、呼べば私の方に顔を向けてくれている。あの時は、本当に死んでしまうなんて、そんな事、現実離れしていて信じられなかったし、到底受け入れられなかった。それと、ぺいに限っては、何か奇跡のようなものが起きて不思議と助かるような気すらしていた。だから、精神的に弱っているぺいに少しでも元気を出してほしくて、一緒に頑張ろうという気持ちを込めて、私は、名前を呼んでいたのだ。そして、それに応えるように、ぺいは、私の方に顔を向けてくれていた。一緒に奇跡を夢見て頑張ってきた。それなのに。それなのに・・・。ぺいは凄く頑張ってきた。そんなぺいを抱きしめてやりたい。本当に長い間、頑張ってきた。そんなぺいの頭をなでなでしてやりたい。「ぺい」「ぺいちゃん、ごめんな・・・」「ぺいは、本当に良く頑張ったよ」「本当に、苦しい思いをさせてごめんな」「強制的に大好きなぺいちゃんの命を絶つ事なんて出来なかったんだよ」「ごめんな、ぺいちゃん」「許してくれよ、ぺいちゃん」「ごめんな、本当に本当にごめんな」また、いつものように骨壺の中にいるぺいに話し掛けながら、骨壺を手や顔で何度も擦りながら泣いた。

 

そう言えば、死に際に立ち会えた事は、本当に良かったのだろうか?最期の日、悶え苦しみながら旅立った姿が頭から離れない。そもそも、苦しませない安楽死という方法だってあった。でも、そうはしなかった。だから、本当に長い間、ぺいには、辛く苦しい思いをさせてしまった。私の判断は、本当に正しかったのか?「ぺい、ごめんな」「苦しませてごめんな」「蛆虫だって、もっと早く気づいてやれば良かったよな」「ごめんな」「痛かったよな」「本当に本当にごめんな」「ぺいちゃん、俺の選択は正解だったか?」「ぺいちゃん、幸せだったか?」「最後にそれだけで良いから聞きたいよ」

 

でも、ぺいは、言葉を返せない。ただ、私の選択は、ぺいの気持ちと一緒だったと信じている。それは、最期を迎える少し前、ぺいは、数日前から全く振っていなかった尻尾を久々に大きく振ってくれたからだ。あれは、最期が近い事を知らせてくれたのだと思っている。それと、ぺいがへちゃげてる前で、私が号泣して泣き終わった後、私の方に少しだけ頭を向けてくれた。最期を迎える一時間程前の出来事だった。あれは、渾身の力を振り絞って、本当に最後の最後まで私の事を気に掛けてくれたのだと思える。それにしても、このように思えるという事自体、凄く嬉しい事である。そして、私は、凄く幸せ者だと思う。何から何まで、ぺいには感謝してもしきれない。「ぺい、本当に、ありがとうな」