「神様からの贈り物」

~扁平上皮癌との戦い~

2014年3月 愛猫「ぺい」に、突然、癌が宣告されました。
それでも、再び元気になれる奇跡を一緒に夢見て頑張った記録です。
事実を、感じた事を、ありのままに全て残すことにしました。

雨降り地区

 心の中でぺいのことを思ってさえいれば、今も変らず生きている。最近は、そう自分に言い聞かせながら過ごしている。でも、本当に一緒に暮らしていた時には、ペットフードを与えれば、もっと美味しいものをよこせと催促してきたり、外出しようとすると、それを阻止しようとスボンの裾を噛もうとしてきたり、はたまた、やさしく撫でてやっていて気持ち良さそうにしていると思ったら急に逆上して手を噛んでくるということもあった。そこには、もちろん我侭だって含まれていたのだと思う。でも、そんなぺいが好きだった。生きていれば、色々な感情が生まれる。でも、そんな感情の一つ一つを受け止めながら一緒に暮らせるということが嬉しかった。なのに、今となっては、何一つ自己主張をしてこない。また、昔みたいに、たくさんの我侭で困らせてほしい。そもそも、魂とは何なのか?ああしたい、こうしたい、そんな感情があってこそ本当の魂ではないのか?

 そういえば、ぺいが旅立って暫くした頃、虹の橋という話と、時を同じくして知った話がある。それは、長い間、ペットが旅立った後も悲しみを引きずっていると、愛するペットが、虹の橋の入口にある雨降り地区と呼ばれる場所から出て行くことが出来なくて、寒さに耐えながら悲しみに打ちひしがれてしまうという話だ。確かに、ずっと悲しみを引きずっていたら自分自身の身体にも決してプラスにはならないと思う。それと、旅立ったペットだって飼い主が体調を崩したら悲しむに違いない。そもそも、永遠の命なんてありえないし、悲しいと思う気持ちは、何よりも一緒に過ごしてきた時間が楽しかったからこそだ。だからこそ、自分自身の為にも、愛するペットの為にも、少しでも早く立ち直るべきなんだろうと思う。こういった考え方は凄く共感出来るし、頭では良く理解出来る。でも、やっぱり、悲しいものは悲しい。心に思う悲しい気持ちは、なかなか簡単には薄まらない。 

 それにしても、まもなく一年。そろそろ一周忌を迎える。それなのに、夜、動画を見ていると、また、いつものように大粒の涙が出てきた。「ごめんな、ぺい」「本当に本当にごめんな」「なかなか虹の橋に行けないかもしれないけど、ごめんな」「ぺいの事が、本当に本当に大好きだったんだよ」「だから許してくれよ」今日は、パソコンの前で顔を伏せながら思いっきり泣いた。雨降り地区といっても、ぺいのいる場所は、いつも大雨ばかりだ。そして、今日も雨降り地区から出て行けなかった。「ごめんな、ぺい」「本当に悲しくて悲しくて仕方ないんだよ」「本当に、ごめんな・・・」泣きながら、ぺいの様子を頭に思い浮かべた。ぺいは、「全然、無理しなくて良いよ」「ゆっくり時間を掛けて」と、雨を嫌がらないで、逆に快く受け入れてくれている。そんな気がした。「ありがとう、ぺい」「本当に本当にありがとう」「ぺい、ありがとうな・・・」