「神様からの贈り物」

~扁平上皮癌との戦い~

2014年3月 愛猫「ぺい」に、突然、癌が宣告されました。
それでも、再び元気になれる奇跡を一緒に夢見て頑張った記録です。
事実を、感じた事を、ありのままに全て包み隠さず残します。

変らないもの

 間もなく、ぺいが旅立った日から二年半が経とうとしている。そして、もし、今も生きていてくれていたなら、今日は、十四歳の誕生日。きっと、どんなスペシャルメニューでお祝いしようか、一週間ほど前から色々と頭に思い描いていたはずだ。そして、そんな食事を目を丸くしながらガツガツと喜んで食べてくれる様子が嬉しくて、「長生きしろよ!」なんてことを思っていたに違いない。ちなみに、今、この文章を書いているのは、ぺいの月命日である二〇一七年一月二十三日だ。このところ、なかなか筆が進まなくて、いつもの神社で、「良い文章が書けるように頑張るので、どうか力をお貸し下さい」と、神様に手を合わせてきたばかりだ。そうしたら、不思議なもので急に筆が勢い良く進み始めたのだけど、同時に涙が凄く溢れてきた。そう、もうあれから随分年月が経った。それなのに、時折、未だに悲しみが胸の奥から込み上げてきてしまう。

  昨日は、月命日という日を迎えるにあたって、まず、仏壇や仏具などを全部綺麗に拭いた。綺麗に拭くというのは、ぺいは、いつも綺麗好きだったからということもある。それと、鳥肉を茹でたものをほぐして仏壇に供えた。なぜ、肉をほぐすのかというと、口の癌のせいで食べ物を食べにくかったからだ。そう、今も、ぺいは、私の心の中で変わらず生きている。もちろん、昔と比べれば姿は変わったし「ニャー」という声だって聞こえてこない。だけど、私の心の中では確実に生きている。だから、仏壇を綺麗に拭けば喜んでくれるように思えるし、生前、目の色を変えて食べてくれていたものを供えたら、凄く喜んで食べてくれるように思えるのだ。

  そういえば、生と死について思うことがある。それは、生きていても心の中に全く存在していなければ、死んでいるのと同じことだと思うし、逆に、死んでいても心の中に生きていれば、それは、生きているのではないかと思えるということだ。だから、肉体的な存在がなくなったからといってイコール死とはならないような気がしている。そうした理由もあって、仏壇の生花は、一周忌まで一日たりとも絶やさないようにしてきた。また、短い命を謳歌している元気な花に常に取り替え続けることで、ぺいの魂に生のエネルギーのようなものを送れる気がした。ぺいのことを心の中に少しでも変わらずに思っていたい。そんな気持ちで一杯なのだ。だから、いつも持ち歩いているスマートフォンには、毎月、月命日の十三時半にはアラームが鳴るようにセットしてある。もちろん、仕事中でなければ黙祷しながら手を合わせて、仕事中であれば心の中で手を合わせるようにしている。それは、月命日の旅立った時刻には、ぺいの事を必ず頭の中に思っていたいからに他ならない。でも、そんな時、いつも思い出してしまうのは、やはり、あの絶命した最期の瞬間だ。

  それと、最後に話を少し変えて、毎日続けている事について書いておきたい。まず、一つ目は、お供えの水交換だ。水は、生前と全く同じように朝晩の二回、必ず新鮮なものに取り換えるようにしている。もちろん、水を注ぐ容器は毎回綺麗に洗っている。それと、長い間、水が飲めずに辛かったと思うので、新鮮で美味しい水を好きなだけ飲んでほしくて、水は溢れんばかりに注ぐようにしている。そして、「ぺいちゃん、水、いっばい飲めな~」といった言葉を添えて仏壇に供えるようにしている。このようにして取り替えている水は、旅行で家を空けた数日だけは取り替えることが出来なかったけど、それ以外は、一日たりとも欠かさず続けている。新鮮な水を供えれば喜んでくれているように思える。だから、手間に感じたことなんて一度たりともない。むしろ新鮮な水を供えるということが喜びでもある。もちろん、夜、水を交換する時には、ろうそくと線香にも火を着けて手を合わせるようにもしている。それと、もう一つ毎日続けていること。それは、仕事で外出する時には、ぺいの頭を擦ってやるイメージで骨壺の覆いを擦って、「ぺいちゃん、仕事頑張ってくるからな~」と伝えて、逆に、仕事から戻った時には、「ぺいちゃん、帰ったよ~」と、声を掛けるようにしているということだ。そんな時、もし、一日を順調に気分良く終えられた時には、「ぺいちゃん、ありがとうな!」「ぺいちゃんのおかげだよ!」といった事を伝えるようにしている。もし、逆に、辛いことがあった時には、「ぺいちゃん、どうしたら良い?」「ぺいちゃん、助けてくれよ~」といった言葉を、ついつい投げかけてしまう。もちろん、別に何かアドバイスをくれたりする訳ではないのだけど、でも、それは、何も生前と変わっていないこと。もちろん、姿は変わったし、「ニャー」という鳴き声だって聞こえてこないけど、心の中にいるぺいという存在は、何も変わっていない。逆に存在が大きくなっている一面さえある。だから、もし、日常の生活で良い事があれば、ぺいが見守ってくれていたからのように思えるし、逆に、悪いことがあれば、未だに励ましてくれたり慰めてくれる。それを心で感じている。結局、生きているかどうかは、姿形が存在しているかではなくて、心で何を感じているかの方が大切に思える。なぜなら、心や感情というものこそが、生きている証に他ならないからだ。ぺいは、もう骨になってしまった。すっかり、生前の姿とは変わった。でも、未だに励ましてくれたり慰めてくれている。そんな事実。本当にありがたい。ぺいという存在に本当に出会えて良かった。一緒に暮らせて本当に良かった。日々、そんなことも思いながら手を合わせている。

(Dear.ぺいちゃん ...ブログ内のみ期間限定公開)