「神様からの贈り物」

~扁平上皮癌との闘い~

まだ数年は続くと思っていた、愛猫「ぺい」との平凡な日常。
しかし、その後の誤診と突然の癌宣告...。
それでも、再び元気になれる奇跡を一緒に夢見た記録です。

■エピローグ

どれだけ涙を流した事だろう・・・。もう、これ以上書くのは無理。過去を、記憶を、振り返ることが、あまりにも辛くて筆の進まない時期が何度もあった。特に後半の第四章以降は、本当に辛かった。再び、あの悲しみの記憶を思い出すということ。それは、最初は、全く同じ経験を繰り返すのと同じだと思っていた。でも、どうしてあの時、もっと気づいてやれなかったのか?その時々で、最善を尽くしたはずだった。それなのに、「ぺいちゃん、ごめんな、ぺいちゃん、痛かったよな、ごめんな、ごめんな」と、文字を入力する手は何度も止まって、何度も、本当に何度もパソコンの前でうつ伏せになって泣いた。それは、最初に想像していた単純に同じ経験を繰り返すより遥かに辛かった。そして、そんなことを何度も繰り返していた時、ふと、一つだけ確信した事があった。それは、これほどの悲しみは、溺愛の我が子を十一歳で失った時の悲しみと絶対に同じだという事だった。今の私に、人としての我が子はいないから、これは、想像上でしかないのだけど絶対に同じ。そう断言出来た。

変らないもの

間もなく、ぺいが旅立った日から二年半になろうとしている。そして、もし、今も生きてくれていたなら、今日は、十四歳の誕生日という事になる。きっと、どんなスペシャルメニューでお祝いしようか、一週間ほど前から色々と考えていたはずだ。そして、そんな食事を目を丸くしながらガツガツと喜んで食べてくれる様子が、自分の事以上に嬉しくて、「長生きしろよ」なんてことを思っていたに違いない。ちなみに、今、この文章を書いているのは、偶然にも、ぺいの月命日である二〇一七年一月二十三日である。このところ、なかなか筆が進まなくて、いつもの神社で、「良い文章が書けるように頑張るので、どうか力をお貸し下さい」と、手を合わせてきたばかりだ。そうしたら、不思議なもので急に筆が勢い良く進み始めた。それはそれで、良かったのだけど、同時に涙が凄く溢れてきた。そう、もうあれから随分年月が経った。それなのに、時折、未だに悲しみが胸の奥から込み上げてくる。

 

昨日は、月命日という日を迎えるにあたって、仏壇や仏具などを全部綺麗に拭いた。月命日という日に綺麗に拭くというのは、ぺいは、いつも綺麗好きだったからということもある。それと、鳥肉を茹でたものをほぐして仏壇に供えた。なぜ、肉をほぐすのかというと、口の癌のせいで食べ物を食べにくかったからだ。そう、今も、ぺいは、私の心の中で変わらず生きている。もちろん、昔と比べれば姿は変わったし「ニャー」という声も聞こえてはこない。だけど、私の心の中では確実に生きている。だから、仏壇を綺麗に拭けば喜んでくれるような気がするし、生前、目の色を変えて食べてくれていたものを供えれば、凄く喜んで食べてくれるように思えるのだ。

 

そういえば、最近、あらためて生と死について思ったことがある。それは、生きていても心の中に全く思っていなければ、死んでいるのと同じことだと思うし、逆に、死んでいても心の中に生きていれば、それは、生きているのと同じではないかという事だ。だから、肉体的な存在がなくなったからといってイコール死とはならないような気がしている。そうした理由もあって、仏壇の生花は、特に一周忌までは、とにかく一日たりとも絶やさないようにしてきた。それは、短い命を謳歌している元気な花に取り替え続けることで、ぺいの魂に生花の生のエネルギーのようなものを送れるような気がしたからだ。それと、ぺいのことを心の中に変わらず思っていたいという気持ちから、いつも持ち歩いているスマートフォンには、毎月、月命日の十三時半にアラームが鳴るようにセットしてある。もちろん、仕事中でなければ黙祷しながら手を合わせているし、仕事中であれば心の中で手を合わせるようにしている。それは、月命日の旅立った時刻には、ぺいの事を必ず頭の中に思っていたいからだ。でも、そんな時、どうしても思い出してしまうのは、やっぱり、あの絶命した時の最期の瞬間だ。今でも毎日続けている事は、花の事以外にもある。まず、一つ目は、お供えの水の交換だ。水は、生前の時と同じように朝晩の二回、必ず新鮮なものに取り替えている。もちろん、水を注ぐ容器は毎回綺麗に洗う。それと、長い間、水が飲めずに辛かったと思うので、天国では新鮮で美味しい水を好きなだけ飲んでほしいので、いつも水は溢れんばかりに注いでいる。そして、「ぺいちゃん、水、いっばい飲めな~」という言葉を添えている。水の取り替えは、旅行で家を空けた数日間だけは取り替えられなかったけど、それ以外の日は、一日たりとも欠かさず続けている。もちろん、新鮮な水に取り替えれば喜んでくれているように思えるから、一度たりとも面倒に思ったこともないし、むしろ新鮮な水に取り替えることは喜びになっている。そして、夜には、水の取り替えと同時に、ろうそくと線香にも火を着けて手を合わせている。それと、もう一つ続けていること、それは、仕事で外出する時には、ぺいの頭を擦るイメージで骨壺の覆いを擦って、「ぺいちゃん、仕事頑張ってくるからな~」と伝えて、仕事から戻った時には、「ぺいちゃん、帰ったよ~」と、声を掛けている。それで、もし、一日を順調に気分良く終えられた日であれば、「ぺいちゃん、ありがとうな」「ぺいちゃんのおかげだよ」といった事も伝えて、逆に、辛いことがあった場合には、「ぺいちゃん、どうしたら良い?」「ぺいちゃん、助けてくれよ~」といった事を、ついつい話し掛けている。もちろん、骨壺の中のぺいは何かアドバイスをくれたりはしないけど、でも、それは、生前と何も変わらない。もちろん、姿は変わっているし、「ニャー」という鳴き声も聞こえてこないけど、心の中に生きているぺいは、何一つ変わっていない。逆に、心の中では、存在が大きくなっている事すらある。だから、もし、日常生活で良い事があれば、ぺいが見守ってくれていたからだと思えるし、逆に、悪いことであれば、励ましてくれたり慰めてくれている。結局、生きているかどうかは、姿形が存在しているかという単純な事ではなくて、心が何を感じるか、感じられるかの方が、遥かに大切なんだと思う。なぜなら、心や感情こそが、生きている証に他ならないからだ。ぺいは、もう骨になってしまった。すっかり、生前の姿とは変わった。でも、今も変わらず励ましてくれたり慰めてくれている。それが、今も変わらない事実なのだ。本当にありがたい。ぺいという存在に本当に出会えて良かった。一緒に暮らせて本当に良かった。日々、そんな感謝を心に抱きながら手を合わせている。

祈りの場便り

 仏具を取り揃えたインターネット上の某ショップには、「祈りの場便り」というコーナーが設けられている。そのコーナーには、ショップで仏具などを購入した人が、旅立ったペットへの思いを投稿していて、そこには、ペットの元気な頃の写真や供養している写真が添えられている。私は、それらを見て思った。自分だけじゃないんだ。みんな悲しかったんだ。みんなペットのことが大好きだったんだ。そう思うと、ほんの少し元気を貰えたような気がした。そうだ!いつか自分もここに投稿しよう。ここに、掲載すれば、ぺいが最後の最後まで頑張った事を、他の人にも知ってもらえる。そうすれば、きっと、ぺいだって喜んでくれる。もう、旅立ったぺいには餌はあげられないから、ぺいに喜んでもらえることは限られている。だから、ぺいが喜んでくれそうな事、そんなことを見つけられた事が、なおさら嬉しかった。それで、投稿のタイミングを考える事にした。

 

 それから、月日は流れ、数か月が経ったある日、一周忌の様子を写真に撮って投稿しようと思った。そして、その時には、ぺいとの闘病の記憶を本にしようと思って執筆を進めていたので、そのことについても、投稿の際には、折角なので触れようと思った。そうして、再び月日は流れて、無事、一周忌を終えた。あの日、投稿することを決めてから、どんな文章を投稿しようか少し考えながら、日々を過ごしてきた。例えば、ぺいに癌が見つかってから、一周忌までの間に感じてきた事や、ぺいとの闘病の記憶を本として残す事が出来たら、「ぺい、ありがとう」という言葉を添えて神棚に供えたいと思っていたので、そういった内容を文章にした。ちなみに、一周忌を終えた時点では、まだブログも立ち上げていなかったし、投稿はぺいという猫が存在していた事を世間に初めて紹介するものになるので、文章の作成は、慎重に五日程の期間を掛けて作成した。それと、文章に添える事の出来る写真の枚数は、掲載スペースの関係で二枚程のようなので、元々、一枚は、一周忌の時の写真にしようと決めていたけど、もう一枚は、生前の元気だった頃の写真か、闘病中の写真にするべきか少し悩んだ。だけど、やっぱり、元気だった頃の写真の方にした。それは、元気だった頃の方が圧倒的に長かったという事もあるし、そもそも、悲しい時の写真だけというのは、生涯の一部分しか切り取っていないと思ったからだ。そうして、色々と考えて完成した文章と二枚の写真を掲載受付先のメールアドレスに送った。

 

 そうして、翌日、仕事を終えて帰宅後に、受信メールを確認してみると、早速、ショップからの返信を見つけた。そして、その返信を読み始めた途端に凄く嬉しくなった。なぜなら、私は、てっきり、事務的に受付けましたという返事が返ってくるものだと思っていたのに、短い文章ではあるものの、私の心情を本当に良く察してくれているように思えたからだ。もちろん、メールには、送信した文章と写真の掲載予定日も記載されている。掲載は、明日の日中と書かれていた。

 

 翌日は、もちろん、朝から、凄くワクワクしていた。これで、また、一つ、ぺいに喜んでもらえる。そう思うだけで嬉しかった。そして、昼の休憩時間になったので、スマートフォンから掲載状況について確認してみると、メールで送っていた文章と写真が本当に掲載されている。感無量。そんな感覚だ。感無量なんて本当に大げさだと思うかもしれない。でも、本当に嬉しくて、私は、心の中で直ぐにぺいに報告した。「ぺい、これで、みんなに知ってもらえるからな」「これで、お前が一生懸命、頑張ったことを知ってもらえるからな」私は、これで、ぺいの苦しみが少しは報われる。きっと、ぺいは喜んでくれている。そんな事を思いながら、暫し至福に満ちた時間を過ごした。

 

 その後、今度は帰宅して、あらためて自宅のパソコンから掲載を確認してみた。やっぱり、パソコンで見た方が見やすいし、あらためて嬉しさが込み上げてくる。早速、掲載されている箇所を印刷してみた。それは、母に見せようと思ったからだ。正直、母に文章を見せるのは、かなり小っ恥ずかしい。でも、ぺいから見れば、母は間違いなく恩人のような存在であるはずだ。だから、母に公の場に掲載したことを知らせておくことは、ぺいの意思でもあり、願いのようにも思えた。それで、私は、その感覚の方を大切にする事にした。

アルバム

一周忌の日に思ったアルバムの購入について、丸一日、時間をおいてみた。だけど、特に心境に変化はなかったので、帰宅して直ぐに注文を済ませた。それは、一周忌にしておくべき事として、少しでも早くアルバムを完成させたかったからだ。そうして、一周忌から四日目、やっと手元にアルバムが届いた。もう少しでアルバムが出来る。そう思うと本当に嬉しかった。早速、梱包を解いてアルバムを確認してみると、想像していた通りの商品だ。このアルバムには、百枚の写真を挟める。そこで、生前に撮影していた写真の中からアルバムに残しておきたいものを選りすぐってプリントすることにした。そして、そのプリントしたものと、元々、写真として存在していたものを合わせてみると、全部で七十八枚になった。これらを挟んでゆく順番は、年月の古いものから並べてゆく事にした。そうしておけば、出会ってからの思い出を順番に辿れるからだ。それで、そうして作ったアルバムを一枚一枚捲ってみる。すると、直ぐに最後のページになってしまう。思い返してみると、ぺいと暮らした年月も、本当にあっという間だった。いまさらだけど、もっと、一日一日を大切に、もっと、最大限の愛情を注いでやれば良かった。少し後悔のようなものが湧き出てくる。もちろん、一緒に暮らしていた時は、その時々で、それなりに愛情を注いできたつもりだ。猫の一生が、十数年ということも分かっていた。でも、それは、今思えば、所詮、漠然とした感覚だった。それと、そもそも、もし、別れが悲しいものだとしても、まさか、これほどまでに悲しい思いをするなんて想像もしなかった。完成したアルバムのページを捲るたび、本当に色々な事を思う。それにしても、やっと、ぺいとの思い出がアルバムという形になった。もちろん、このアルバムは、母とも共有したいと思って作ったものだ。ぺいを病院に何度も連れて行ってくれたり、色々と面倒を見てくれた母。そんな母にアルバムを見てもらえる事が凄く嬉しかった。そして、翌々日、アルバムを持って母の家に出向いた。もしかしたら、ぺいが、母に会いたいと思っていて、ぺいからの以心伝心で、私は、なおさら嬉しかったのかもしれない。 

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一周忌

あの日から一年。今日までの一年という日々は、ぺいと別れることになった最後の一年を、再び辿るかのようで、とても辛い一年だった。そうして迎えた命日という特別な日。大きな節目に思えた。だから、とびっきり立派で、世界一、人間から愛されていた猫に相応しい命日に絶対にしてやる。そんな事を思いながら過ごしてきた。それにしても、一周忌が日曜日という巡り合わせが本当に嬉しかった。それは、一日中、頭の中の全てを、ぺいの事だけで埋め尽くせるからだ。でも、この巡り合わせは、偶然ではないのかもしれない。実は、ぺいと神様が、最初からセッティングしてくれていた筋書きのかもしれない。私には、何故かそう思えた。

 

ぺいが旅立ったのは、十三時半だった。でも、十三時頃から凄く苦しみ始めた。だから、今日という日は、十三時から仏壇の前でぺいの事を偲ぶ予定でいる。今日は準備で何かと忙しい。もちろん、母も、昼頃、来てくれる事になっている。まず、とにかく命日は、真っ先に神社にお参りをしようと決めていた。そこで、朝、九時半頃には家を出て、いつもと同じように拝殿の前に立ってみた。本当に神様には感謝の気持ちでいっぱいだ。今日は、命日という日、あらためて神様に何を伝えるべきか考えてみた。だけど、やはり、とにかく伝えたいことは一つだけだった。それは、「神様、ぺいと本当に会わせてくれてありがとうございます」と、いう事だけ。もちろん、ぺいが旅立ったことは悲しかった。でも、一度きりの人生。もし、人生の目的が、喜怒哀楽による思い出を少しでも多く綴る事なのだとしたら、こんなにも色々と感じることが出来たということ自体、本当に恵まれていたと捉える事が出来る。そして、そのように考えてみると、逆に全てが凄く感謝すべきことだらけのように思えてくるから不思議だ。もちろん、今日という日は、ぺいにも、あらためて心の中で思っていたことを一つ一つ伝えたかった。「ぺい、色々なものを残してくれてありがとう」「ぺい、楽しい時間を本当にありがとうな」「ぺいと出会えて良かったよ」「いつまでも忘れないよ」「天国で幸せになれよ」「幸せに過ごせよ」もちろん、天国でぺいの近くには神様もいるように思えた。だから、今、ぺいに伝えた気持ちは、そのまま隣にいる神様にも届くと良いなと思った。なぜなら、あらためて一周忌という特別な日に、ぺいに感謝の気持ちを伝えたことで、もっと、もっと、ぺいが、神様や周りの猫から羨ましがられて幸せに暮らせればと思ったからだ。そうして、まずは、朝一番、この一年で整理する事の出来た正直な気持ちを神様とぺいに伝えた。そして、拝殿を背にして神社を出るときには、節目という日に、しっかり気持ちを整理出来た気がして、少し気持ちが楽になった。

 

そうして、今度は、そのままの足で花屋へ向かった。花といえば、ぺいが旅立って間がない頃から、仏壇には生花を一日たりとも欠かさないようにしてきたし、特に、毎月の月命日には、必ず新しい生花に取り替えてきた。それは、生花を絶やさず、月命日に活き活きとした生花を活ければ、ぺいに変わらぬ気持ちを毎月伝えられるように思えたからだ。「ぺいは花より団子だったけどな~」なんて事を口にしながら枯れてきた葉や花が目に付いたら手入れを続けてきた。もし、花が途絶えたり枯れてしまったら、ぺいに申し訳ない。そんな感覚が心の中にあった。もちろん面倒だなんて微塵も感じなかった。むしろ、新しい生花に取り替えたり、花の手入れをしていると、ぺいが喜んでくれているような気がして嬉しかった。それは、糞尿の世話をしている時の心境と似ているのかもしれない。それにしても、花といえば手術が無事に終わって桜の季節を迎えることが出来た日、桜の花を見た時のぺいは、きょとんとしていたけど、花の手入れをしていると、あの時、心に抱いていた希望が頭の中に蘇って涙が溢れてくる事が何度もあった。話が少し脱線した。元に戻そう。

 

それで、私は、花屋に到着した。開店直後だ。店頭には活き活きとした花が所狭しと並んでいる。とにかく今日はぺいが旅立った日。特別な日だ。だから、目には見えない私のぺいに対する思いを、特に一周忌という日は、目に見える花で思いっきり表現出来ると思いながら過ごしてきた。花の購入予算については、何となく三千円から四千円程度かなと思っている。とにかく、まずは、百合の花を真っ先に探した。火葬の時もそうだったけど百合の花は必ず用意したいと思っていた。あとは、夏という季節柄、ひまわりが目に留まった。ひまわりは、明るい黄色で四方八方に大きく花が開いていて、本当に活き活きしている。それは、伸び伸びと、理想的な生き方を表現しているように思えて、ひまわりの花も加えた。あとは、例え高価であっても南国の花やバラの花も大切なぺいには相応しいと思えたので、それらも迷わず買った。そして、菊の花も色々な色のものを揃えて、とにかく、たくさんの花を買って自宅に戻った。ただ、仏壇の周囲は狭くて上手く花を飾れそうにない。そこで、仏壇を部屋の隅に移動して、花は、その周囲に豪華に飾ることにした。それと、命日のお供え物は、生前に使っていた食器も使用して豪勢にしたいと思っていたので、引越しの時に遺品を纏めたダンボールの中から食器を取り出した。それにしても、どの遺品を手に取ってみても、その一つ一つに本当に色々な思い出が詰まっているから、遺品の全てがぺいの分身のように思えてくる。取り出した食器は、もう一度、綺麗に洗って仏壇の前にセッティングした。

 

 そして、着々と準備を進めていると予定通り母が到着した。母は、ぺいが生前に目の色を変えて食べた豚肉を湯通ししたものを持参してくれていて、それを、お供えして手を合わせてくれた。私は、豚肉を持参してくれたことが凄く嬉しかった。そして、この感情は、ぺいの喜びではないかとさえ思えた。その後、母は、正午頃、用事があるという事で、一時間程、部屋で過ごして帰った。私は、ぺいが旅立った時刻には、母と一緒に過ごす事になると思っていたけど、こればっかりは、色々と用事があるようなので仕方がない。とにかく、私は、母が暑い中、線香をあげる為だけに、遠路を自転車で来てくれた事が嬉しかった。

 

さぁ、私もぺいのために豚肉と鶏のもも肉を買ってきている。でも、豚肉は、母が、お供えしてくれたので、私は、たっぷり鶏のもも肉の方を湯通しして、お供えの食器に入れた。ぺいには、最後に、もう一度、本当にお腹いっぱいに美味しいものを食べてほしかった。それと、生前は癌で水が飲めなくて、喉が凄く渇いただろうから、飲み物の食器には、たっぷり水を入れた。今日は、好きなだけ思う存分に食べて飲んでほしいと思った。ちなみに、今日、使用するロウソクは、毎月、月命日だけに使用してきた燃焼時間が長くて少し値段の高いロウソクだ。そうして準備をして、予定の一時になった。私は、ロウソクと線香に火を点けた。燃えるロウソクの炎を眺めていたら、一年前の出来事が鮮明に蘇ってきた。辛い。そして、ロウソクの炎が消えた。時間は、一時十五分過ぎ。まだ、ぺいが旅立った時刻までは少し時間がある。もう一度、新しいロウソクと線香に火を点けた。これから、この二本目のロウソクが消えるまでの間は、ぺいが最後の最後に凄く苦しんでいた時間になる。そして、この炎が消えると、それは、計算上、ぺいが息を引き取って間のないタイミングということになる。私は、目を閉じて、ロウソクの炎が消えるまでの間、黙祷して、ぺいの事だけを一心に過ごす事にした。それは、ちょうど一年前、ぺいが感じた苦しみを、あらためて感じ、それを受け止める事で、ぺいの苦しみが少しでも和らげば良いなと思ったからだ。それにしても、目を閉じていると時間の進み方が凄く長く感じられた。そして、ついに煙の臭いが漂ってきた。目を開けてみるとロウソクの炎が消えている。永遠には続かない炎。そんな炎の灯火と、命の灯火が重ってしまう。時計を見ると、一時三十五分になっている。

 

ついに終わった。あれから、ちょうど一年。再び、同じ日の同じ時刻が過ぎた。さぁ、片付けよう。仏壇は、部屋の隅といっても生活に支障をきたす場所に移動していたので、このままにしてはおけない。だけど、片付ける前に、一周忌の様子を写真や動画に納めておこうと思った。写真については、仏具を取り揃えたインターネット上のショップにペット供養のコーナーがある事を知っていたので、そこに投稿する事で供養の一部にしたかったし、ぺいと一緒に癌と闘った日々の出来事や思いを本にしたいと思っていたので、写真を撮っておけば、本の中で紹介出来ると思っていたからだ。それと、動画の方はというと、特に目的はなかったけど、命日の様子が音も含めて全て記録出来るので、ついでに撮影しておく事にした。それにしても、昨年末、引っ越してきたこの場所は、神社に近くて、窓を開けていると神社の木々からぺいの大好きだった蝉の鳴く声が大合唱のごとく聞こえてくる。その蝉の声を聴いていて思った。今こうやって鳴いている蝉たちは、この夏限りの命。決して来年を向かえることはない。生と死。生に永遠はない。ぺいは、自らの死を悟ったとき、どんな気持ちで残された時間を過ごしたのだろう?そういった事も思いながらの動画撮影になった。こうして、一周忌という大きな区切りが終わった。あらためて丸一年という時間が経過した。最後に仏壇は、元の場所に戻した。生花は、仏壇の横に何とかスペースを確保出来たので、そこに飾った。

 

今日は、あの日と同じ夏の日。夜になり、ぺいと出会ってからの思い出を、あらためて振り返っておきたいと思った。それで、出会ってから間がない頃に、使い捨てカメラで撮影した写真や、パソコンの中に保存してある写真や動画を見ていた。そして、ふと思った。ぺいの生涯を綴ったアルバムを作ろう。もちろん、作ったアルバムを、ぺいに贈ることは出来ない。だけど、私が、ぺいの事を思いながらアルバムを作れば、きっとぺいは喜んでくれる。物は贈れなくても思いは贈れる。そう思えた。そこで、インターネットで、「猫 アルバム」というワードで、何か良いものがないか探してみると、幾つかの猫のアルバムが出てきた。それにしてもインターネットは本当に便利だ。ただ、アルバムは、ずっと形として残る大切なもの。そこで、一晩だけ注文は見送って、翌日、何も心境に変化がなければ注文しようと思った。こうして、一周忌という大切な日は、ぺいが喜んでくれたであろう事を想像しながら、また一周忌を、無事、終えられた事も嬉しくて満足感に浸りながら眠りについた。

 

そして、翌日、朝、いつものように真っ先に仏壇に目を向けてみた。すると、なんとなく、なんとなくだけど、ぺいが、もう、この世から本当に、そして、完全に旅立ってしまったような気がした。それは、ぺいが旅立って以降、初めて感じた感覚で凄く寂しいものだった。でも、この世に未練などなく、最後に、「ありがとう」という言葉を残して、旅立ってくれたような、そんな感覚もあった。もしかすると、魂は、一周忌を迎えるまで、この世に少し残っているものなのかもしれない。だけど、あれから一年が経ち、あの息を引き取った時刻に、もう一度、ぺいの事を見送ったことで、きっと、気持ち良く微笑みながら、この世から完全に離れることが出来たのではと思えた。そして、私は、その事が何より嬉しかった。

 

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