「神様からの贈り物」

~扁平上皮癌との闘い~

まだ数年は続くと思っていた、愛猫「ぺい」との平凡な日常。
しかし、その後の誤診と突然の癌宣告...。
それでも、再び元気になれる奇跡を一緒に夢見た記録です。

一周忌

あの日から一年。今日までの一年という日々は、ぺいと別れることになった最後の一年を、再び辿るかのようで、とても辛い一年だった。そうして迎えた命日という特別な日。大きな節目に思えた。だから、とびっきり立派で、世界一、人間から愛されていた猫に相応しい命日に絶対にしてやる。そんな事を思いながら過ごしてきた。それにしても、一周忌が日曜日という巡り合わせが本当に嬉しかった。それは、一日中、頭の中の全てを、ぺいの事だけで埋め尽くせるからだ。でも、この巡り合わせは、偶然ではないのかもしれない。実は、ぺいと神様が、最初からセッティングしてくれていた筋書きのかもしれない。私には、何故かそう思えた。

 

ぺいが旅立ったのは、十三時半だった。でも、十三時頃から凄く苦しみ始めた。だから、今日という日は、十三時から仏壇の前でぺいの事を偲ぶ予定でいる。今日は準備で何かと忙しい。もちろん、母も、昼頃、来てくれる事になっている。まず、とにかく命日は、真っ先に神社にお参りをしようと決めていた。そこで、朝、九時半頃には家を出て、いつもと同じように拝殿の前に立ってみた。本当に神様には感謝の気持ちでいっぱいだ。今日は、命日という日、あらためて神様に何を伝えるべきか考えてみた。だけど、やはり、とにかく伝えたいことは一つだけだった。それは、「神様、ぺいと本当に会わせてくれてありがとうございます」と、いう事だけ。もちろん、ぺいが旅立ったことは悲しかった。でも、一度きりの人生。もし、人生の目的が、喜怒哀楽による思い出を少しでも多く綴る事なのだとしたら、こんなにも色々と感じることが出来たということ自体、本当に恵まれていたと捉える事が出来る。そして、そのように考えてみると、逆に全てが凄く感謝すべきことだらけのように思えてくるから不思議だ。もちろん、今日という日は、ぺいにも、あらためて心の中で思っていたことを一つ一つ伝えたかった。「ぺい、色々なものを残してくれてありがとう」「ぺい、楽しい時間を本当にありがとうな」「ぺいと出会えて良かったよ」「いつまでも忘れないよ」「天国で幸せになれよ」「幸せに過ごせよ」もちろん、天国でぺいの近くには神様もいるように思えた。だから、今、ぺいに伝えた気持ちは、そのまま隣にいる神様にも届くと良いなと思った。なぜなら、あらためて一周忌という特別な日に、ぺいに感謝の気持ちを伝えたことで、もっと、もっと、ぺいが、神様や周りの猫から羨ましがられて幸せに暮らせればと思ったからだ。そうして、まずは、朝一番、この一年で整理する事の出来た正直な気持ちを神様とぺいに伝えた。そして、拝殿を背にして神社を出るときには、節目という日に、しっかり気持ちを整理出来た気がして、少し気持ちが楽になった。

 

そうして、今度は、そのままの足で花屋へ向かった。花といえば、ぺいが旅立って間がない頃から、仏壇には生花を一日たりとも欠かさないようにしてきたし、特に、毎月の月命日には、必ず新しい生花に取り替えてきた。それは、生花を絶やさず、月命日に活き活きとした生花を活ければ、ぺいに変わらぬ気持ちを毎月伝えられるように思えたからだ。「ぺいは花より団子だったけどな~」なんて事を口にしながら枯れてきた葉や花が目に付いたら手入れを続けてきた。もし、花が途絶えたり枯れてしまったら、ぺいに申し訳ない。そんな感覚が心の中にあった。もちろん面倒だなんて微塵も感じなかった。むしろ、新しい生花に取り替えたり、花の手入れをしていると、ぺいが喜んでくれているような気がして嬉しかった。それは、糞尿の世話をしている時の心境と似ているのかもしれない。それにしても、花といえば手術が無事に終わって桜の季節を迎えることが出来た日、桜の花を見た時のぺいは、きょとんとしていたけど、花の手入れをしていると、あの時、心に抱いていた希望が頭の中に蘇って涙が溢れてくる事が何度もあった。話が少し脱線した。元に戻そう。

 

それで、私は、花屋に到着した。開店直後だ。店頭には活き活きとした花が所狭しと並んでいる。とにかく今日はぺいが旅立った日。特別な日だ。だから、目には見えない私のぺいに対する思いを、特に一周忌という日は、目に見える花で思いっきり表現出来ると思いながら過ごしてきた。花の購入予算については、何となく三千円から四千円程度かなと思っている。とにかく、まずは、百合の花を真っ先に探した。火葬の時もそうだったけど百合の花は必ず用意したいと思っていた。あとは、夏という季節柄、ひまわりが目に留まった。ひまわりは、明るい黄色で四方八方に大きく花が開いていて、本当に活き活きしている。それは、伸び伸びと、理想的な生き方を表現しているように思えて、ひまわりの花も加えた。あとは、例え高価であっても南国の花やバラの花も大切なぺいには相応しいと思えたので、それらも迷わず買った。そして、菊の花も色々な色のものを揃えて、とにかく、たくさんの花を買って自宅に戻った。ただ、仏壇の周囲は狭くて上手く花を飾れそうにない。そこで、仏壇を部屋の隅に移動して、花は、その周囲に豪華に飾ることにした。それと、命日のお供え物は、生前に使っていた食器も使用して豪勢にしたいと思っていたので、引越しの時に遺品を纏めたダンボールの中から食器を取り出した。それにしても、どの遺品を手に取ってみても、その一つ一つに本当に色々な思い出が詰まっているから、遺品の全てがぺいの分身のように思えてくる。取り出した食器は、もう一度、綺麗に洗って仏壇の前にセッティングした。

 

 そして、着々と準備を進めていると予定通り母が到着した。母は、ぺいが生前に目の色を変えて食べた豚肉を湯通ししたものを持参してくれていて、それを、お供えして手を合わせてくれた。私は、豚肉を持参してくれたことが凄く嬉しかった。そして、この感情は、ぺいの喜びではないかとさえ思えた。その後、母は、正午頃、用事があるという事で、一時間程、部屋で過ごして帰った。私は、ぺいが旅立った時刻には、母と一緒に過ごす事になると思っていたけど、こればっかりは、色々と用事があるようなので仕方がない。とにかく、私は、母が暑い中、線香をあげる為だけに、遠路を自転車で来てくれた事が嬉しかった。

 

さぁ、私もぺいのために豚肉と鶏のもも肉を買ってきている。でも、豚肉は、母が、お供えしてくれたので、私は、たっぷり鶏のもも肉の方を湯通しして、お供えの食器に入れた。ぺいには、最後に、もう一度、本当にお腹いっぱいに美味しいものを食べてほしかった。それと、生前は癌で水が飲めなくて、喉が凄く渇いただろうから、飲み物の食器には、たっぷり水を入れた。今日は、好きなだけ思う存分に食べて飲んでほしいと思った。ちなみに、今日、使用するロウソクは、毎月、月命日だけに使用してきた燃焼時間が長くて少し値段の高いロウソクだ。そうして準備をして、予定の一時になった。私は、ロウソクと線香に火を点けた。燃えるロウソクの炎を眺めていたら、一年前の出来事が鮮明に蘇ってきた。辛い。そして、ロウソクの炎が消えた。時間は、一時十五分過ぎ。まだ、ぺいが旅立った時刻までは少し時間がある。もう一度、新しいロウソクと線香に火を点けた。これから、この二本目のロウソクが消えるまでの間は、ぺいが最後の最後に凄く苦しんでいた時間になる。そして、この炎が消えると、それは、計算上、ぺいが息を引き取って間のないタイミングということになる。私は、目を閉じて、ロウソクの炎が消えるまでの間、黙祷して、ぺいの事だけを一心に過ごす事にした。それは、ちょうど一年前、ぺいが感じた苦しみを、あらためて感じ、それを受け止める事で、ぺいの苦しみが少しでも和らげば良いなと思ったからだ。それにしても、目を閉じていると時間の進み方が凄く長く感じられた。そして、ついに煙の臭いが漂ってきた。目を開けてみるとロウソクの炎が消えている。永遠には続かない炎。そんな炎の灯火と、命の灯火が重ってしまう。時計を見ると、一時三十五分になっている。

 

ついに終わった。あれから、ちょうど一年。再び、同じ日の同じ時刻が過ぎた。さぁ、片付けよう。仏壇は、部屋の隅といっても生活に支障をきたす場所に移動していたので、このままにしてはおけない。だけど、片付ける前に、一周忌の様子を写真や動画に納めておこうと思った。写真については、仏具を取り揃えたインターネット上のショップにペット供養のコーナーがある事を知っていたので、そこに投稿する事で供養の一部にしたかったし、ぺいと一緒に癌と闘った日々の出来事や思いを本にしたいと思っていたので、写真を撮っておけば、本の中で紹介出来ると思っていたからだ。それと、動画の方はというと、特に目的はなかったけど、命日の様子が音も含めて全て記録出来るので、ついでに撮影しておく事にした。それにしても、昨年末、引っ越してきたこの場所は、神社に近くて、窓を開けていると神社の木々からぺいの大好きだった蝉の鳴く声が大合唱のごとく聞こえてくる。その蝉の声を聴いていて思った。今こうやって鳴いている蝉たちは、この夏限りの命。決して来年を向かえることはない。生と死。生に永遠はない。ぺいは、自らの死を悟ったとき、どんな気持ちで残された時間を過ごしたのだろう?そういった事も思いながらの動画撮影になった。こうして、一周忌という大きな区切りが終わった。あらためて丸一年という時間が経過した。最後に仏壇は、元の場所に戻した。生花は、仏壇の横に何とかスペースを確保出来たので、そこに飾った。

 

今日は、あの日と同じ夏の日。夜になり、ぺいと出会ってからの思い出を、あらためて振り返っておきたいと思った。それで、出会ってから間がない頃に、使い捨てカメラで撮影した写真や、パソコンの中に保存してある写真や動画を見ていた。そして、ふと思った。ぺいの生涯を綴ったアルバムを作ろう。もちろん、作ったアルバムを、ぺいに贈ることは出来ない。だけど、私が、ぺいの事を思いながらアルバムを作れば、きっとぺいは喜んでくれる。物は贈れなくても思いは贈れる。そう思えた。そこで、インターネットで、「猫 アルバム」というワードで、何か良いものがないか探してみると、幾つかの猫のアルバムが出てきた。それにしてもインターネットは本当に便利だ。ただ、アルバムは、ずっと形として残る大切なもの。そこで、一晩だけ注文は見送って、翌日、何も心境に変化がなければ注文しようと思った。こうして、一周忌という大切な日は、ぺいが喜んでくれたであろう事を想像しながら、また一周忌を、無事、終えられた事も嬉しくて満足感に浸りながら眠りについた。

 

そして、翌日、朝、いつものように真っ先に仏壇に目を向けてみた。すると、なんとなく、なんとなくだけど、ぺいが、もう、この世から本当に、そして、完全に旅立ってしまったような気がした。それは、ぺいが旅立って以降、初めて感じた感覚で凄く寂しいものだった。でも、この世に未練などなく、最後に、「ありがとう」という言葉を残して、旅立ってくれたような、そんな感覚もあった。もしかすると、魂は、一周忌を迎えるまで、この世に少し残っているものなのかもしれない。だけど、あれから一年が経ち、あの息を引き取った時刻に、もう一度、ぺいの事を見送ったことで、きっと、気持ち良く微笑みながら、この世から完全に離れることが出来たのではと思えた。そして、私は、その事が何より嬉しかった。

 

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