「神様からの贈り物」

~扁平上皮癌との闘い~

まだ数年は続くと思っていた、愛猫「ぺい」との平凡な日常。
しかし、その後の誤診と突然の癌宣告...。
それでも、再び元気になれる奇跡を一緒に夢見た記録です。

五月二十二日(木)

今日は放射線治療の八回目。長かった治療も予定通りだと今日で最後になる。四月十日の二回目の通院から、ずっと母にお願いしてきたけど、最後は、先生が今後の治療方針について相談したいとの事なので、私が、行くことした。ちなみに、この一週間は、それなりに元気はあったけど、放射線治療の影響で、かなり倦怠感を感じているようだった。やはり、放射線治療は、今回までが限界で、これ以上の継続は無理そうに思えた。

 

 それともう一つは、三、四日ほど前から少し気になっている事があった。それは、食事の時に、下顎の前歯が食器にあたって「カチッ!カチッ!」と、音がするようになった事だ。どうして音がするのかと思って観察してみると、下顎の歯が少し手前に傾くように突き出して、その歯が食器に当たっていることが分かった。普通なら上下の前歯で食べ物を挟んで口の中に運べるはずだけど、それが困難になりつつあるようにも見えた。そういえば、先生は、手術した後、口の形は、どうしてもある程度は、崩れてしまうのは避けられないと言っていたので、私は、その範疇だろうと思った。でも、何か矯正的な処置が必要だ。とりあえず、この件についても、先生に伝えようと思った。

 

 そうして、私は病院に到着した。少し久しぶりの感覚。名前を呼ばれて診察室に入った。先生からは、まずは、最終回なので放射線治療の他にCTスキャンも実施させて下さいという相談があった。私自身も最初からそのつもりだったので、「はい、お願いします」と答えた。そして、先生に、ぺいの体調の事と、食事の量の事を伝えた。それで、「ちょっと気になることがあるんですけど」と、前置きをして、前歯が手前に傾いている事を伝えた。すると、先生からは、「ひとまずCTスキャンを撮ってから判断しましょう」との事。私は、一旦、ぺいを預けて待合室に戻った。とにかく肺への転移だけが心配だった。どうか転移していませんようにと祈った。祈るといえば、癌の宣告を受けてから自宅近くの神社への参拝も毎日欠かさず続けてきた。願い事は、「どうか肺へ転移していませんように」「どうかぺいが元気になりますように」「ぺいをせめて平均寿命まで生かせてやって下さい」そんな事を、毎日繰り返し三分ぐらい祈り続けてきたのだ。私は、何も根拠はなかったけど、不思議と肺には転移してないような気がしていた。今日は、全身麻酔を伴った検査。結構な時間が過ぎた。

 

 そして、本当に待ちくたびれた頃、やっと、名前が呼ばれた。どうか肺に転移していませんように・・・。そう心の中で連呼しながら緊張しつつ診察室に向かった。診察室のモニター画面には、ぺいのCTスキャンの結果が映し出されている。そして、いきなり先生から耳を疑うような話が始まった。「前歯の傾きの事なんですが、下顎が癌に冒されていまして、それで歯がぐらついてきているようです」私、「え、なんですか?」先生から続けて、CTスキャンの画像について説明があった。下顎には、あらゆる箇所に白い影が無数に写っている。そして、それらは、全て癌細胞だというのだ。私は、唖然とした。「え、あのう下顎って癌が再発しないように放射線を当ててたんじゃあないんですか?」先生、「はい、そうなんですが・・・」、私、「だったら大丈夫なはずじゃあないんですか?」「いったいどこに放射線を当ててたんですか!」先生、「下顎に・・・」私、「下顎のどこらへんですか?」先生、「下顎全体にです」私、「だったら大丈夫なはずじゃあないんですか?」先生、「・・・。」青天の霹靂とは、まさにこの事。これ以上、会話を続けたところで、ぺいの癌が治る訳ではない。ひとまず、話題を変えて、元々、一番気になっていた肺と背中の白い影の事について聞いてみた。すると、どちらも大きさに変化は全く見られないとの事。私は、「それであれば肺と背中については、癌ではなかったという事ですか?」と、聞いた。白黒はっきりつけたかったからだ。すると、「この約二か月間、全く変化がなくても、癌も全く変化しない時があるので、やはり、癌の可能性そのものは否定出来ません」との事。なかなか安心が一つとして得られない。私は、話を戻して、あらためて口の方の癌の詳細を聞く事にした。「口の方の癌は、放射線治療を継続すれば良いんでしょうか?」先生、「もう、これ以上、放射線をあてる訳にはいきません」私、「下顎の癌細胞は、もう取れないんですか?」先生、「もう既に下顎の半分は取ってしまったので、これ以上となると、もう下顎を全部取らないといけなくなります。でも、もし、下顎を全部取ってしまったりしたら死んでしまいます」私、「じゃあ、これから先どうするんですか?」先生、「正直申し上げて、もうこれ以上は、手の施しようがありません」先生との間に、少し沈黙の時間が流れた。あまりにもショックだった。私は、言葉を続けた。「前回のCTスキャンの時には何も問題なかったんですよね?」先生は、前回のCTスキャンを見せてくれながら問題なかった旨を説明してくれた。それにしても、私は、ついさっきまで、これからも定期的に癌が再発していないか病院に通うつもりでいた。残念だけど、もう、その必要なんてないようだ。先生の説明を聞いていても心は上の空。以降の会話は、「あっ、そうですか・・・分りました」と、言葉を口にするのが精一杯だった。それでも、最後に、ぺいの余命の事について聞いておこうと思った。「あと、どれぐらい生きれるんでしょうか?」先生、「一か月、ただ胃瘻がついていて食事が出来るから長くても三か月でしょうか」私、「半年とかの可能性はないんでしょうか?」先生、「それはないと思います」私、「一か月から三か月・・・ですか・・・」私は、呟くように少し下向き加減で復唱した。その時、視線の先に、先生が手にしている検査などの書類が挟まれているバインダーが目に入った。そして、その中には、私が、入院の時、先生宛てに書いた手紙が挟まれているのも見えた。私は、それを目にした事で思った。病院での診療や検査の結果と直接関係のない手紙を一緒に保管してくれている。そして、それを、治療に携わってくれたスタッフ全員で共有してくれている。そう思うと、正直、凄く嬉しかった。きっと、出来うる限りの治療を施してくれたに違いない。もう、こうなる事が運命だったんだ。そう自分に言い聞かせるしかなかった。暫くすると、「では、待合室でお待ち下さい」という声が耳に届いた。私は、ぺいと一緒に診察室を後にした。

 

 結局、一番気にしていた肺への癌転移については、白黒はっきりしなかった。もし、肺にも転移していたら仕方ないと思えたし、心の準備も出来ていたので諦めが尽いた。それなのに、肺の方は全然問題なさそうで、逆に安心していた口の方が手の施しようがないなんて・・・。放射線治療の費用だってバカにならない。それなのに、よりによって、その最後の日に、もうダメだなんて・・・。ぺい自身は、何も知る由もなく、待合室で周りをきょろきょろ見ている。ぺいの写真を撮っておこう。私は、ぺいに話しかけた。「ぺい、お前、もうダメだってよ。長生きしたかったのにな」「なぁ、ぺい」そんな言葉を話し掛けながら写真を撮っていると、助手の先生が診察料金の清算書を持ってきた。私は、安楽死の費用を聞いてみる事にした。もちろん安楽死させるなんて全く考えてない。でも、これから先、どういう経過を辿るか全く想像出来ない。そんな現時点において、今後、もしかしたら、何らかの理由で安楽死を決断せざる得ない場面があるかもしれない。そう思ったからだ。すると、先生は、少し複雑な表情で答えてくれた。まさか、事細かく手紙を書いていた私の口から、そんな事を言い出すとは思いもしなかったのかもしれない。そして、「大体四万円ぐらいになると思います」との返答。私は、「あっそうですか、分りました」と伝えた。ぺいは、この会話の時にも相変わらず何も知る由もなさそうに周りをきょろきょろ見ていた。この日は、帰路のついでであっても、とても神社へ参拝する気持ちになんてなれなかった。そして、重い足取りのまま、真っすぐ自宅に戻った。

 

病院へ通院の日には、朝、食事を与えてはならないという決まりがある。私は、自宅に戻ると直ぐに食事を準備した。ぺいは、待ってましたの如く美味しそうに食べている。随分お腹が空いていたようだ。あと何日、あと何回、口から普通に食事が出来るのだろう?そう思うと、何とも言えない複雑な気持ちになる。夕方、全身を数か月ぶりに綺麗に洗ってやることにした。退院して暫くして、少しの間は、毛繕い出来ていたけど、最近は、全く出来なくなっていた。私のエゴかもしれないけど、綺麗好きなぺいのために、これから始まる新たな余生を綺麗な身体で気持ち良くスタートさせてやりたい。そう思ったのだ。ちなみに、身体を洗う時には、胃瘻チューブが出ている場所に、直接ぬるま湯をあてないように最大限注意しながら洗った。そうして、身体を洗っていると、毛が肌に張り付くので、想像以上に痩せていることが分かった。癌になる前には、六・五キロもあったのに、退院の時には、約四キロになっていた。

 

 その後、夜、母に電話して、今日先生から告げられた事を全て伝えた。癌が下顎全体に広がっている事、告げられた余命の事、肺への癌転移は白黒はっきりしなかった事、安楽死の費用の事・・・。母も困惑している。それもそうだ。私と同じように元気になってくれるものと思っていたからだ。今まで、良くなってくれるという希望を胸に病院に何度も連れて行ってくれていたのだ。だから、私からの報告を聞いて、母なりに色々思うところがあったのだと思う。そして、そんな母から、「これから先、癌に冒されて、ぺい自身が苦しい状況になるのであれば、先に安楽死させてあげるという選択もぺいにとって幸せかもしれないよ」という提案があった。私は、言葉を返した。「ここまで散々お金を掛けて頑張ってきたのに、どうして、わざわざ四万とか掛けて命を奪わなきゃダメなんだっけ?そんなのあり得ないから!」と。すると、母からは、「まぁ、あなたの思ったようにすればいいけど」そんなやり取りをした。そして、電話を切った。ふと、ぺいの事が気になった。それで、部屋の中を見渡してみると、ベッドの上から私の方を見ている。目が合った。私は、ぺいが私の事を、いつもと違う感じで見ているように思えた。思い過ごしで気のせいなのかもしれない。でも、「ありがとう」という気持ちで見られていたような気がしたのだ。猫は人間の感情の変化を敏感に感じ取るらしい。だから、ネガティブな感情は、悟られてしまうので隠した方が良いらしい。以前、そんな事が書かれていたのを、本か何かで見た記憶がある。もしかしたら、今、母と話していた内容は、言葉は分からなくても私の雰囲気などで、ぺいは、察しているのかもしれない。そんな気がした。

 

 それにしても、余りにも短い余命宣告。本当に信じられない。もしかしたら、ぺいは、奇跡的な運命を辿るのではないだろうか?そんな事を真面目に考えてしまう。それでも、多分、一緒に過ごせるのは、おそらく二か月から三か月ぐらいになるのだろう。それが現実なのだと自分に言い聞かせる。しかし、短い。短すぎる。どうしても、素直に受け入れられない。ほんの少しでも現実を受け止めようとすると、悲しくて涙が溢れそうになる。でも、そんな事を思いもしなかった昨日までと同じように、今日もぺいと接していかなければと必死で堪え続けた。そうして時間は過ぎてゆき、寝る時間になった。布団に入って、ぺいの様子を見てみると、今は、私の方を見ていない。そう思った瞬間、堰をきったように一日中我慢していた悲しみが溢れてきた。ぺいとの別れが、近い将来、現実になってしまう。現実を真正面から受け止めた瞬間だった。それで、私は、直ぐに布団を被って部屋の明かりを消した。その後は、三十分ほど涙が止まらなかった。私は、それをぺいに気づかれないように必死に我慢した。そして、我慢するあまり、体が、布団の中で小刻みに震えて止まらなかった。それほど泣いた。そうして、長くて短い一日が終わった。

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