「神様からの贈り物」

~扁平上皮癌との闘い~

まだ数年は続くと思っていた、愛猫「ぺい」との平凡な日常。
しかし、その後の誤診と突然の癌宣告...。
それでも、再び元気になれる奇跡を一緒に夢見た記録です。

八月二十日(水)

 今日も朝起きると真っ先にぺいの姿を緊張しながら探した。日に日に容態が悪くなっているから凄く緊張する。そして、直ぐにフローリングの床面に姿を見つける事が出来た。でも、死んだように横になっている。もしかして・・・。少し焦った。ただ、良く見てみると、お腹が弱々しいながらも呼吸で動いている。まだ大丈夫だ!良かった。また一緒に新しい一日を迎えられたと思った。とりあえず姿は見つけられたけど、深夜の間に何か変わった事がなかったかを確認する為に部屋の中を見渡してみる。また糞が一つ落ちている。以前と同じ一センチほどの固形の糞。いつものようにティシュで摘んで捨てる。でも、糞だけであれば数日前からの事。想定内の事なので特に驚きはなかった。ただ、この日は、いつもと違うものが目に飛び込んできた。それは、血溜まり。直径一~三センチ程の血溜まりが床面に四か所もある。深夜、出血したようだ。ぺいは、私が寝ていた間も、ずっと苦しんでいたに違いない。私は、その間、悠々という訳ではないけど横になって寝ていたのだ。ぺいが苦しんでいるのに何もしていない、してやれない自分。そんな事を思いながら血溜まりの一つ一つを拭き取った。とにかく今日も仕事だから、あまり感傷に浸っている暇もない。ひとまず、いつものように流れ作業で身支度を済ませた。そして、「ぺいちゃん、行ってくるからな~」と声を掛けながら玄関へ歩いた。すると、ぺいが私の後を追って歩いてきた。昔であれば、日常的だった見送り。いつも足を噛んできたので逃げるように部屋から出る事も多かった。あの頃は悩まされたけど、今は、本当に良い思い出。ただ、それだって、つい最近までは、ごくあたり前だったのだ。あと何日、あと何回、見送って貰えるのだろうか?見送りしてくれるという事が、どれだけ嬉しくて思い出に残る事か・・・。そう言えば、一晩経って、また何とか歩けるようになってくれたようだ。でも、凄く大変なはずだ。それなのに、今日も見送りをしてくれるぺいちゃん。ありがとう。本当は、ずっと、一緒に部屋にいてほしいんだよな。俺だって、一分一秒でも一緒に過ごしたいよ。でも、仕事だから仕方ないんだよ。「ぺいちゃんごめんな.・・・」本当に辛い。泣けてくる。私は、部屋を出る時、「ぺい、行ってくるよ~ぺいちゃん」と声を掛けた。そして、後ろ髪を引かれる思いでドアを閉めた。

 

 それから、日中は、仕事をして、日も暮れた頃、ぺいに早く会いたい、そんな衝動を抑えつつ、半分走るほどの駆け足で自宅に戻って、緊張しながら玄関のドアを開けた。ぺいはどこにいる?大丈夫か?すると、直ぐ、ベッドの上に姿を確認出来た。さらに、部屋の中に入ってベッドに近づいてみると、何と、ベッドの上に敷いていたタオルが血で真っ赤になっている。それも、今までとは明らかに違う色。鮮血だった。過去に見たことのない大量の出血。ぺいは、うつ伏せになっている。私は、それを見て発狂した。「ぺい、もう頑張んなくて良いよ」「ぺいは充分頑張った」「皆、頑張ったけど、ぺいが本当に一番頑張った」「他の誰よりも一番頑張った」「世界で一番頑張った」「もう大丈夫だよ!ありがとうぺいちゃん」そんな言葉を何度も何度も繰り返した。もう、こんなに苦しくて辛い思いをするぐらいなら、一分一秒でも早く楽になってほしい。そんな思いだけだった。私は、ずっと、ぺいに「頑張れ!頑張れ!」と、声を掛けてきた。でも、ぺいは、今まで本当に一生懸命頑張ってきた。もう充分だから!もう本当に大丈夫だから・・・、もう本当に・・・。心からそう思った。とにかく、ベッドの上のタオルを取り替えなければならない。タオルは二枚重ねにしていた。なのに、鮮血は、その二枚のタオルも、シーツカバーも通り抜けてシーツにまで達している。あまりの出血だ。そういえば、今日は水曜日だから、日中、母が来てくれていたはず。そこで、出血の連絡も兼ねて日中の様子を聞いてみた。私は、まず大量出血の事を伝えた。続けて、日中の様子も聞いてみると、日中は、特に出血なんてしていなかったそうだ。ただ、兼ねてからぺいの舌が黒ずんでいたり膿が付着しているのが気になっていたので、手で舌を洗ってくれたそうだ。もしかしたら、舌を洗った影響で出血したのかもしれない。話を聞いていて、そんな事を少し思った。でも、いずれにしろ遅かれ早かれ出血は避けられなかったに違いない。そもそも、母だって、ぺいの事を思って舌を洗ってくれたのだ。だから、私は、舌を洗ってくれた事に対しては、「あっ、そう・・・」という言葉だけを母に返した。そうして、ひとしきり話しをして、最後にお願いを伝えた。「明日、もしかしたら死んでしまうかもしれないから、日中、こちらにいてほしいんだけど・・・」母からは、「分った」という言葉が直ぐに返ってきた。私は、ぺいが最期を迎える時、傍に誰もいなくて、帰宅してみたら冷たくなっていたという事だけは、とにかく出来る限り避けたかったのだ。ぺいと一緒に頑張ってきた私と母。最期は、そのどちらかが、傍にいて看取ってやりたい。きっと、母だって同じ気持ちだったのだと思う。