「神様からの贈り物」

~扁平上皮癌との戦い~

2014年3月 愛猫「ぺい」に、突然、癌が宣告されました。
それでも、再び元気になれる奇跡を一緒に夢見て頑張った記録です。
ありのままの事実を、感じた事を全て残しておくことにしました。

八月二十三日(土)

 昨晩は寝るのが遅かった。だから、いつもより少し遅めに起きた。そして、真っ先にぺいの姿を探した。良かった!まだ生きてる。ただ、異様な恰好は、昨晩と何も変わっていない。でも、まだ、ぺいの命は、自分と同じ、この世にある。だからこそ、今日も、一秒一秒というかけがえのない大切な時間を、一緒に刻む事が出来ている。本当に心の底から嬉しく思えた。ただ、気になるのは、おそらく今日明日の命という事。癌という事が分ってから半年か...。そんな事を思いながらキッチンに立っていた。キッチンは、ぺいがへちゃげて、うつ伏せになっている場所から二メートルほどしか離れていない。そんな時だった。時間は、午前十時半頃、ふと動くものを横目に感じた。ぺいが尻尾をパタンパタンと大きく振っている。あれ!?どうした?尻尾なんて、このところ全然振らなくなっていたのに・・・。もしかして、もしかすると、少し元気が出てきたかな?元の普通の状態に戻りたいのかな?そんな意思表示に思えた。そして、思いがけない展開に少し希望が持てて嬉しさが込み上げてきた。もし、そうなら、あともう一週間、次の休日まで、なんとか生きていてほしい。食事の注入だって少し再開しないといけないな。そんな期待を抱く事が出来た。そこで、ぺいの横に座ってみた。もう、こんな状態のまま丸一日が経過している。もしかしたら、随分前から普通の状態に戻りたかったのかもしれない。でも、こんなにへちゃげた状態になってしまったら、絶対に自力で元の状態に戻れるはずもない。だから、私に、その事を何とか伝えたくて、尻尾で意思表示をしているのだろうと思えた。そこで、ぺいの前脚の両脇の下に私の手を入れて、自力で立てるぐらいの高さにまでぺいの身体を持ち上げてみた。状態が少しでも回復していて、本当に立ちたいという意思があれば自力で立つだろうと思った。よっ!あれ?いざ持ち上げてみても、なぜか全く立とうとしない。それであれば、このまま持ち上げていても仕方がない。再び、持ち上げた身体をゆっくりそのまま床に下ろす事にした。すると、また、下ろすにしたがって、ぺいの両脚は直角に曲がって、結局、元のへちゃげた状態に戻ってしまった。やっぱり駄目なのか?立ちたいという意思はあっても、まだ、実際に立てるほど回復してなかったのか?

 それにしても、朝、起きた時には、ぺいと、この世で一緒に過ごせるのは、今日明日ぐらいまでかと思っていた。でも、もしかしてと期待を抱く事が出来た。だから、その分、最終的に立てなかったという事実は、精神的に受けるダメージが大きかった。もう、やっぱり、今日明日の命なのか?やっぱりダメなのか?本当に死んじゃうのか?まだ、一緒にいたい!別れたくない!そんな思いが頭の中を過ぎる。なんだか、急に怒涛のように悲しみが込み上げてきた。「ぺいちゃん、なんでこんなになっちゃったんだよ~」「なんで癌なんかになっちゃたんだよ~」今まで、やっぱり心のどこかで我慢しながら溜め込んできた感情が、また、堰を切ったように溢れてきた。でも、そんなもの今まで何度も散々涙で洗いざらい流してきたはずだった。それなのに・・・。それなのに・・・。「ぺいちゃん、ごめんな」「助けてあげれなくてごめんな~」「本当に本当にごめんな~」「痛いよなぁ~」「ぺいと別れたくないよぉ~」「散々、苦しい思いをさせてごめんな~」「まだ、ずっと一緒に居たかったよな」へちゃげているぺいの真上で思いっきり声を荒げて泣いた。どれぐらい時間が経っただろう?どれぐらいの時間泣いていただろう?多分、三十分ぐらい号泣していたように思う。ふと、我に返って泣き止んで目を開けた。自分の流した涙が幾つも粒になって床に落ちている。そして、その時だった、ぺいが、少しだけ私の方に頭を向けてくれた。今のぺいは、昏睡状態ともいえる状態。それなのに、まさか、何か反応を返してくれるなんて思いもしなかった。そもそも、頭を少し動かすのだって、渾身の力が必要だったに違いない。それなのに、それなのに・・・。本当に最後の最後まで・・・。「ありがとう」「ありがとう、ぺいちゃん!」「本当にありがとう!」ぺいの事が愛おしくて愛おしくて胸が締め付けられる。でも、もう一緒に過ごせる時間は本当に残り僅か・・・。そんな現実が直ぐに頭を過ぎる。私は、無性にぺいが我が家にきたばかりの頃の写真を見たくなった。あたり前だけど、十一年前のぺいは初々しくて元気な姿ばかりだった。そして、それらの写真を見ていると、その一枚一枚全てに写真を撮った当時の気持ちが鮮明に心の中に蘇ってくる。また、写真の全てが、つい最近の事だったように思える。十一年という年月は過ぎてみれば本当に凄く早かった。私は、それら写真の中から選りすぐった一枚をぺいの視線の先に置いてみようと思った。それは、若かりし頃の自分自身の姿を見る事によって、我が家に来てからの色々な思い出を旅立つ前に一つでも多く思い出してほしいと思ったのと、幼い頃のパワーを少しでも獲得して元気を取り戻してほしいと思ったからに他ならない。でも、やっぱり写真を置いてみても、相変わらず瞼は開いたまま。瞬きもしない。きちんと写真を認識出来ているのだろうか?さっぱり分からない。とりあえず写真は、ほんの少しでも何か良い事に繋がる事を期待して、そのまま置いておく事にした。

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  しかし、それにしても、もう二度と立てそうにない。このままだと、いつ死んでしまっても不思議ではない。以前から情報収集は何度となくしてきたけど、もうさすがに、火葬場の住所などについて最終確認をしておかなければと思った。そう言えば、動物の葬儀について色々と調べているうちに、動物の葬儀には、合同葬や個別葬、立会葬などの種類がある事を知った。また、立会葬でも移動火葬車が自宅近辺まで来てくれるものや、こちらから火葬場まで出向くものがあるという事も分った。もちろん、大切なぺいの火葬は、絶対に人間と同じように火葬場で立会葬で執り行いたいと思った。そして、そうした条件を満たしてくれる火葬場が、自宅から意外と近くにある事までは既に確認済だった。私は、あらためて、そのチェックしていた火葬場のホームページを訪れてみる事にした。そして、もう一度、正確な住所や葬儀の申し込み方法を確認しておく事にした。すると、火葬の申し込み方法には、電話と、ホームページ上にある申し込み欄から申し込むという二通りの方法があるようで、ホームページからだと十%割引と書いてあるのが目に入った。私は、もし、ぺいに何かあって、いざという時には、ホームページの方から申し込もうと思った。正直、きちんと本当に受け付けてくれるのか少し不安はあったけど、申し込んで少し待っても駄目ぽくて何もなかったら、きっと電話しても割り引いてくれるから大丈夫だろうと思った。ちなみに、この時の時刻は、ちょうど正午頃だった。私は、パソコンデスクの椅子に座ってホームページを見ていたから、ぺいは、私の背後にいる状態だった。ふと、気になって振り返ってぺいの様子を見てみる。あの時、写真を置いた時と何一つ変わりない。そういえば、ぺいの視線の前に置いた写真は、もう三十分程置いたままになっている。このまま置いていても仕方がない。ましてや、ぺいには何も変化がなさそうだ。とりあえず写真は回収する事にした。そして、またパソコンの画面に向かって座った。でも、パソコンの画面を見ていても、頭で考えている事は、常にぺいの事に他ならない。大丈夫か?峠は越えたか?ついさっきまでは、今日明日の命かと思っていたけど、もしかしたら、もう少し生きていてくれるかもしれない。火葬場の情報を確認しながらも、実は、そんな希望も心のどこかに少なからず芽生えつつあった。なぜなら、今日は、ぺいが久々に尻尾を大きく振ってくれたし、私が泣き終わった時、頭を少し私の方に向けてくれたりもしたからだ。今日は、本当に、昨日の夜にはなかった、そんな変化や出来事が凄く嬉しかった。そう言えば、今夜を迎えられたら丸二日間、食事を抜く事になってしまう。これ以上、食事を抜いたら別の意味で命を危険にさらす事になる。夜になったら久しぶりに少しだけ食事を注入しよう。そう思った時だった。後方から変な音がした。それは声にならない声だった。時間は、十二時半頃。振り向いて見ると、また、ぺいが前後の脚をググっと力ませている。やっぱり、へちゃげた恰好のままというのは辛いのだろうか?だから何とか立ちたいのだろうか?でも、前みたいに脇の下に手を入れて身体を持ち上げてしまったら、結局、自力で立てない時には、無駄に負担を掛けてしまう。どうしょう?結局、最終的には、出来うる限りの最善策として立つためのアシストに徹する事にした。その方法とは、私が、ぺいの身体の上に覆いかぶさるような恰好になって、そして、両腕を床につけて、力ませているぺいの前後の両脚を少しでも踏ん張りが利くように挟み込んでみるという方法だ。そして実際に、ぺいが前後の脚をググッと力ませた時、腕を内側に狭めてみた。駄目だ。やっぱり立てない。もう、立ちたいと思っても、どうしても立てないのか?

 そうして、さらに、三十分程、時間が流れた時だった。突然、背後から今までに聞いた事のない奇声が聞こえた。それは、紛れもないぺいの声。私は、びっくりして勢いよくバッと後を振り向いた。下顎は完全に失われて、舌も床にあたって百八十度折れ曲がっているから、そんな状態で発した声。だからまたしても声になっていない喉からの声。そして、ぺいの様子を見てみると、また両脚が力んでいる事が直ぐに分かった。でも、幾度となく、なぜだか、とても強く力んでいる。何だ?これは、今までとは明らかに違う。あっ!この時、やっと脚を力ませていた理由が明確に判った。それは、決して立とうとしている訳ではなくて、痛くて苦しくて力んでいたのだ。尻尾も振っていたから、私は、てっきり少し元気になってきたのだとばかり思っていた。とんだ勘違いだ。青天の霹靂だった。それにしても、今、目の前で、もだえ苦しんでいる様子は、完全に常軌を逸している。もう、これは本当に危ない。これは危篤だ。容態が非常に切迫した状態になった事を理解するのに全く時間は必要としなかった。そうだ、母に連絡しないと!ずっと、二人三脚で一緒にぺいの面倒を見てきた。だから、母にもぺいの最期に立ち会ってほしいと思った。でも、ぺいの様子を見ると、いつ死んでしまってもおかしくないように見える。もしかしたら、連絡している間に死んでしまうかもしれない。それほど切迫していた。ぺいの最期は、一秒たりとも目を離さずに見守ってやりたい。そうしないと絶対に後悔する。そう思った。母への連絡は、一旦中止した。

  そうして、そのまま様子を見守っていると、今度は、両脚だけでなく全身にも力が入ってきた。それでも、恰好は相変わらずへちゃげた状態のままだ。だから身体は殆ど動かせない。それなのに全身が激しく動きだした。そして、表現しがたい苦痛を訴えるような喉からの奇声。もうこれは、完全に悶え苦しんでいる。でも、私は、何も出来なかった。ぺいが苦しむ様子を静かに見ているだけで精一杯だった。そして、一瞬たりとも目を離せない緊迫した時間が続いた。どれだけの時間が過ぎただろうか・・・。それは、初めに奇声を発してから三十分程経過していた時だった。どことなく、呼吸で動いていたはずの腹部が動かなくなったような気がした。あれ?もしかして?いや、気のせいだ・・・。あまりに苦痛が続いて少し呼吸が弱くなったのだろうか?腹部の近辺を注視しながら見続けた。すると、今度は、腹部の上部のあたりから胸の方にかけて、波打つように筋肉が、大きく二度三度と間隔を置いて動いた。良かった!大丈夫だ!まだ大丈夫だ!動いている!でも、そう思った直後だった。頭の先から尻尾の先まで、全く動きが感じられなくなった。えっ!?今、目の前で何が起きているのか、私は、頭の中が混乱して状況を消化しきれずにいた。まだ心臓は止まっていないよな?さっき、波打つように筋肉が動いたし・・・。だから、まだ心臓は止まっていないよな・・・?まだ大丈夫だよな?大丈夫なはずだよな?そんな不安が怒涛のように襲ってくる。頭の中が真っ白になった。あれ!?でも、動いてない?もしかして・・・。動いていない?そうだ!瞼は目に近いから、瞼を触ってみれば、その反応で生きている事が確認出来る。私は、ぺいの瞼に手を当ててみた。えっ!?違う・・・。瞼に手が触れた瞬間に分った。石のように硬い。今までとは違う何か物体を触ったような感覚。とてつもない違和感があった。え!?死んでる・・・。も・・・、もう死んでる・・・。そのまま瞼を手で閉じようとしてみても皮膚が硬直している。「おい!いつ死んだんだよ!」「ぺい!」「おい、ぺい!」「いつ死んだんだよ~お前~」時計を見てみると、ちょうど十三時半。ぺいが・・・、ぺいが、十三時半に死んだ・・・。「ぺいちゃん・・・。」もう二度と動かない。そんな死という現実。良く頑張ったな。やっと楽になれたな。安らかに眠ってほしい。そう思うしかなかった。そして、私は、もう一度、瞼を閉じてみようと思った。でも、どれだけ力を入れても閉じる事が出来ない。もしかして、ずっと瞼を開けたまま丸一日程過ごしてきたから、それで筋肉に癖がついてしまったのか?それにしても、どれほど長い時間が過ぎていたとしても、まだ息を引き取ってから一分程しか経っていないはずだ。それなのに、どれだけ力を入れても閉じる事が出来ない。目を閉じて安らかに眠ってほしい。だから、瞼は閉じてやりたかった。でも、このままどうしても閉じる事の出来ない瞼ばかりに気を取られている訳にもいかない。もう、死後硬直が始まっている。とにかく前後両脚を広げたムササビのような恰好で硬直させる訳にはいかない。かわいそうだし、棺にも入らなくなってしまう。私は、ぺいの身体を床からゆっくり持ち上げて、左右の両脚を重ね合わせるように折り畳んだ。これで、猫が普通に横を向いて寝る時の恰好になった。今日は土曜日。週明けからは、また一週間仕事がある。もし、ぺいが死んでしまったら、火葬は休日中に終わらせたいと思っていた。私は、例の火葬場のホームページにアクセスして、取り急ぎ日曜の十五時から火葬を希望する旨の予約を済ませた。そして、母に電話した。「ぺいが死んだ」「え?死んじゃったの?」「いつ?」「今」「え!?今?」「うん・・・」「分かった、じゃあ、今からそっちに行くから」「分った・・・」ぺいの命が短い事は覚悟していたけれど、現実を目の前にすると、ぺいか死んだという事を伝える必要最低限の言葉を並べるだけでも口が重くてならなかった。さぁ、ひとまずこれで火葬の手配も母への連絡も終わった。この後、母が到着するまでには、最低でも三十分は掛るだろう。私は、あらためて動かなくなったぺいの前に座った。そして、「ぺい、お前は、本当に最後の最後まで良く頑張ったな」「やっと、楽になれたな」「ゆっくり眠れよ・・・」そんな言葉を何度もぺいに届けた。でも、本当なら、まだまだ生きていたかったに違いない。「まだ本当は生きていたかったよな・・・」「ぺい?」そんな事も聞いてみた。ぺいとは、一緒に奇跡を信じながら頑張ってきた。それなのに・・・。それなのに・・・。別れたくなかった。まだ十一歳じゃないか!人間で言えば還暦を過ぎたばかりぐらいなのに・・・。それなのに・・・。また悲しみが込み上げてきた。でも、ほんの一時間半程前にも声を荒げて泣いたばかりだった。あの時には、もう散々泣いて、これ以上、涙など絶対に残ってないと思っていた。でも、もう二度と動かない、痛々しくてボロポロの身体になったぺいが目の前にいるかと思うと、抑えようのない悲しみが怒涛のように込み上げてくる。「ぺい~、戻ってこいよ~」「どうしてそんなに早く死んじゃうんだよ!」「ぺい、ごめんな~」「痛い思いをさせて、ごめんな~」「本当に痛かったろ」「痛かったよな~」「辛かったろ~」そんな事を何度も口にしながら声を荒げて泣いた。きっと、近くに人がいたら泣き声と混じり合って何を言っているのか分らなかったと思う。もしかしたら、泣き声だって玄関の外に漏れていたかもしれない。とにかく、我を忘れて号泣した。ここまで酷く大泣きしたのは人生で初めての事だった。 

 どれほどの時間が経っただろう?時計を見ると、二十分程泣いていたようだった。しかし、まだ、母は到着しない。私は、ぺいの身体を死に化粧ではないけど綺麗にしようと思った。ぺいの身体には涎や血液などがこびりついている。綺麗な身体で天国に送り出してやりたかった。「ぺいは本当に綺麗好きだったからな~」「綺麗にしような」「ぺいちゃん」やさしく声を掛けながら手や足を拭いていった。元気な頃は、猫だからあたり前だけど、暇さえあれば自分の舌で身体を舐めていた。でも、癌になってからは、そんな猫としての本能さえ叶えられなくなった。どんな気持ちで過ごしてきたのだろうかと思う。ちなみに、癌になって一番汚れが酷かったのは前脚だった。だから、時々、風呂場に連れて行って、シャワーでぬるま湯を掛けながら洗ってやっていた。だけど、この二週間程は、本当に辛そうだったから、身体を持ち上げたり、まさかシャワーを掛けたりなんて絶対に無理という状況だった。あっそうだ!ふと、口の中の事が気になった。なぜなら、ずっと、どうしても何だか分らない正体不明のものが口の中にあったからだ。それは、棒状の口の奥の方から突き出たものだった。この際、口の中を徹底的に観察して見ようと思った。今までも機会を見つけては何なのか知りたくて観察してきたけど、生きている時には、どうしても観察しづらくて判らなかったものだ。でも、それが何であるのか、その正体が、今になってやっと判った。それは、右下顎の骨。判ってさえしまえば、どうして今まで判らなかったのかと不思議に感じてしまう。でも、骨の形は、半分以上が癌細胞に冒されていて顎の骨の形状からかけ離れていたし、その骨は、癌に冒された影響で酷く汚れた色をしていたから、まさか顎の骨なんて想像すら出来なかった。

  そう思った時だった。白いものが視界に入った。床に一匹。また蛆虫だ!「こんちくしょう~!」この数日間、散々捕まえたのに、まだ居たのか!「本当に、いい加減にしてくれ!」でも、この蛆虫は、今まで捕まえてきた蛆虫とは違って瀕死の状態に見える。多分、宿主が死んだから命からがら脱出してきたんだろう。それにしても、ぺいは、もう死んだというのに、もしかして、まだ蛆虫が居るのか?もしそうだとしたらとんでもない!!そう思って上顎にある穴の中を見てみた。すると、また、一匹、穴の中から出てこようとしている。「本当にいい加減にしてくれ!」「ふざけんじゃねぇ!」直ぐにピンセットを準備して摘み出した。もう一度、穴の中を見てみる。すると、また白いものが見えた。「こんちきしょう!」「もう、いい加減にしてくれ!」そして、さらに一匹摘み出した。もう一度、穴の中を見てみる。まだか?これで大丈夫か?さすがにもう大丈夫そうだ。結局、また三匹も捕まえた。「本当に最後の最後まで・・・」本当にいい加減にしてくれという気持ちだった。だから、そう声に出さずにはいられなかった。それにしても、この三日間で捕まえた蛆虫を全部足したら何匹になるんだ?計算してみる事にした。最初に十二匹、昨日が五匹、そして、今日が三匹。全部で二十匹!それも、全部一センチ大の大きさ。上顎の狭い空間に二十匹もの蛆虫がいたという事実。一体、どこに、そんな空間があったというのか?とにかく本当に冗談じゃない!もう、本当にいい加減にしてくれ!でも、これで蛆虫は、全部退治出来たはずだ。火葬が蛆虫と一緒だなんて、それこそ絶対にあり得ない!

  その後、私は、気を取り直して、ぺいの身体拭きを再開した。それにしても、固くこびりついた汚れは易々とは落ちてくれない。だから、水を汲んできて汚れをふやかして、時間を掛けながら落としてゆく。そして、顔の頬を拭こうとした時、思わず手が止まった。上顎の口の周りの毛が擦れて殆どなくなっている。そういえば、この数日、フローリングの床面に上顎が接している事が多かった。本当に思いがけない部分までボロボロで痛々しい。そう思った時、ガチャと音がした。玄関のドアを開ける音だ。母だ。時計を見ると、二時十五分。電話をしてから約四十分だから、直ぐに身支度をして駆けつけてくれたようだ。そして、部屋の中に入って来た母の目にも動かないぺいの姿が映った。母も心の準備をしながら駆けつけてくれたに違いない。だけど、実際に動かなくなったぺいを目の前にするとショックを隠せない。「ぺいちゃん」「ぺいちゃん・・・。」ぺいの名前を何度も呼んでいる。

  間もなくして電話が鳴った。火葬場からの電話だ。話によると、ホームページ上から予約希望していた十五時からの火葬は、既に予約で埋まっているとの事。でも、そのかわり、午前の十時か午後の十三時半からであれば空いているそうだ。出来る事なら少しでも遅い時間にして、ぺいと一緒に過ごせる時間を一分一秒でも多く確保したかったけど、こればっかりは仕方ない。私は、「では、十三時半からでお願いします」と答えた。すると、当日は、火葬前の手続きがあるようで、火葬時刻の二十分程前に到着してほしいとの事。さらに短くなるのか・・・。まぁ、こればっかりは仕方がない。とりあえず、何はともあれ、仕事が休みの間に、火葬を終えられる目途がついて何よりだと思った。そうして、電話を終えた後、母に明日のスケジュールを伝えた。まず、火葬場に向けて出発する時刻は、余裕をもって到着したいので十二時過ぎにしたいという事、そして、最後のお別れの時間を考えると、火葬場に向かう一時間程前に、こちらに到着すれば良いのでは?という事を伝えた。母からは、ぺいの身体を撫でながら「うん、分った」との返事が返ってきた。そして、一呼吸おいて、「病院へ連れて行くまでは、一緒に暮らしてなかったし、だから特別どうって事なかったけど、病院へ連れてゆくようになったら、どんどん情が移っちゃって仕方なかったよ」と、ぺいに対する気持ちを話してくれた。母は、ぺいが病院へ通う必要がなくなってからも、ほぼ毎週必ずといって良いほど、ぺいの様子を見に会いにきてくれた。でも、ただ、来るだけではなかった。気分転換させてやりたい一心で、蝉を捕まえてきてくれたり、生きているうちに少しでも美味しいものを食べさせてやりたいと考えたらしく、やわらかく湯通しした肉を用意して家から持ってきてくれたりもした。私は、母の口から出てきた言葉を聞いて、ほんの短い数か月という期間だったけど、沢山の思い出が頭の中に浮かんだ。そして、さらに母は、「昨日はぺいの横で、ずっと歌を歌ってあげてたんよ」という事も話してくれた。何の歌だか分らないけど、きっと、ぺいの名前を盛り込んだ子守唄ぽい歌だろうと何となく想像出来た。ありがとう!ぺいも、最期を迎える前日に母のやさしい歌声を聞いて、どんなに元気づけられた事だろう。さぞかし嬉しかったに違いない。そう思った瞬間、また思わず涙が出そうになった。いい歳した大人が、このままでは拙い。まさか母の前で涙を見せる訳にはいかない。私は、何とか気を紛らわせる方法を考えた。そうだ!壁には、特にぺいの涎が至るところに付着している。ぺいの姿を見ないように、ひたすら壁を見ながら掃除をしていれば少しは気が紛れる。あと、もし私が掃除をしていれば、母にも、ぺいとの別れを存分にしてもらえる。一石二鳥にも思えた。そんな訳で、ぺいの身体拭きは母に引き継いで、私は、早速、部屋の拭き掃除を始める事にした。

  それにしても、掃除で絶え間なく手を動かしていても頭では違う事を考えてしまう。頭の中には、ぺいが苦しんで息絶えた時の光景が何度も蘇ってくる。ぺいは、凄く悶え苦みながら死んでいった。時間にすれば、三十分程だったかもしれない。でも、ぺいの苦しみは、そのまま自分自身の苦しみでもあった。ぺいの苦しむ様子を見ていた時間は、苦痛以外の何物でもない拷問のような時間だった。私は、ぺいが息絶える数分前、死神がぺいの身体の上に覆いかぶさるように取り付いて、ぺいの身体と一体になっている生きようとする意思の塊のようなものを容赦なく剥ぎ取っていったような気がした。もしかしたら、その塊のように感じたものが、目には見えない魂そのものだったのかもしれない。とにかく、ぺいは、苦しんで苦しんで、もがき苦しんだ。そして、声にならない喉からの声を何度も出していた。その苦しむ様子と声にならない声は、「もう、その身体はボロボロだからいい加減に諦めろ」「もう、この世での使命は充分果たした諦めろ」と言った死神からの説得を聞き入れないで必死に抵抗しているように見えた。とにかく壮絶だった。そういえば、つい最近までは、「頑張れ!頑張れ!」「みんな頑張ったんだから、ぺいも頑張れ!」といったような言葉をぺいの耳に届けてきた。だけど、今は違う。「本当に最後の最後まで頑張った」「ぺいは本当に凄く頑張った」「みんな頑張ったけど誰よりもぺいが一番頑張った」「世界で一番誰よりもぺいが頑張った」ぺいの頑張りを心の底から褒めてあげたくて次から次へと言葉が出てきた。すると、母も直ぐに私の気持ちに共感してくれた。そして、さらに、母と一緒にぺいの頑張りを何度も褒めた。褒め続けた。そうして、ぺいの事を褒めたり、母と、ぺいとの思い出話をしていると何度も涙が出そうになった。でも、そんな時には、涙声になりそうだったから、気持ちが落ち着くまで何も言葉に出来なかったけど、計算通り拭き掃除に集中しているフリが出来て良かった。だけど、掃除中には、母との会話以外の事でも、ある事を目にして涙が出そうになった。それは、普段、目につかないベッドの隙間を掃除で覗いた時の事だった。何と床面に大量の血痕があった。その血痕は、乾いていたけど、かなりの血の量だという事が想像出来た。癌の痛みに苦み、そして、こんなにも出血して、ぺいは、癌になってから、どれほどまでに辛く苦しい時間を過ごしてきたのか・・・・。想像すると涙が溢れそうになった。手術をして胃瘻までつけて存命させた事が、本当に正しい選択だったのだろうか?決して後悔はなく正しい選択だったと思っているけど、またしても、少しそんな感覚に襲われた。そうして、母がきてから一時間半。私は、色々な事を心に思いながら拭き掃除を終えた。母は、まだ、ぺいに声を掛けながら身体を拭いたり撫でたりしてくれている。そんな母を見ていたら、ぺいを火葬にする前に、母にも、ぺいとだけになれる時間を作ってあげたいと思った。あと、何か他に準備しておく事はないか・・・。そうだ!棺の準備は出来ているけど、まだ、棺の中に入れる生花を買っていない。本当なら、夜、少し出掛ける用事があったので、生花は、その時、ついでに買ってこようと考えていた。だけど、急遽、時間潰しも兼ねて、先に生花を買ってくる事にした。そうして、母には、花を買いに行ってくるとだけ伝えて、私は、花屋へ出掛ける事にした。

 花屋へ向かう途中、買う花は、やはり少し拘りたいなと思いながら自転車をのんびり走らせた。そもそも、猫という動物に添える花だから形式などには捉われないで自由に決められる。私のぺいに対する思いを花に込める事が出来る。ぺいの死は、とても悲しいけど、ありきたりな人間の為の仏花ではなくて、私達に凄く愛された特別な猫に相応しい花にしたいと思った。そう、そもそも、ぺいの棺を用意している時に、あらかじめ心に決めていた花があった。それは、百合の花。なぜ百合の花なのか?それは、テレビなどで欧米の葬儀の様子を見ていると、百合の花を目にする機会が多くて、知らず知らずのうちに、その影響を受けているなのかもしれないけど、やっぱり、百合独特の白くて大きい優雅な雰囲気が大切な魂に添えるに最も見合う花のように思えたからだ。だから、百合の花については、とにかく出来るだけ大きいものを買いたいと思った。そうして、そんな事を考えながら自転車を走らせていたら目的の花屋に着いた。花屋の店頭には、仏花が目立つ場所に沢山並べてある。時間的にものんびりしたかったので、ひとまず一通り仏花も見てみようと思った。でも、やっぱり、仏花は、人間向けという気がするし、ぺいの旅立ちには地味過ぎて、ちょっと違うような気がした。また、仏花を選択してしまうと、私の思いが何も反映出来ない。きっとぺいには、地味過ぎず、派手過ぎず、そんな花が似合う。実際に仏花を見た上でも、やっぱり、そう思えた。そうして、結局、白い百合と明るめの花、そして、明るい花ばかりというのも感覚的に違和感があったので、バランスを取る為に、仏花の中でも何か一番意味のありそうな菊の花だけを個別に購入した。そして、それらを自転車の前かごに入れてみる。すると、何とか納まるぐらい、かご一杯になった。これで、棺の中をお花畑のように花で一杯に埋めてやれる。ぺいという猫の旅立ちに相応しい葬儀をしてあげられる。凄く嬉しかった。そして、そんな思いを胸に自転車を家に向けて走らせた。家に到着するなり、母の様子を見てみた。ぺいとのお別れが存分に出来たような雰囲気だ。のんびり外出してきて良かった。

 さぁ、これで準備万端。あとは、ぺいが快適に安らげる棺のセッテングだ。ひとまず、数日前にインターネットで調べた方法を参考にしてみる。まずは、昨日、自作で作った棺の底にポリ袋を敷いた。そして、その上にタオル、保冷剤、タオルと重ねて、最後にバスタオルを敷いた。ぺいの身体は、私と母が拭いて、すっかり綺麗になっている。そして、母も見守る中、ぺいの身体を、やさしく抱えて棺の中に寝かせた。「これで綺麗な身体で天国に行けるな!」「綺麗な身体で過ごせるな」「良かったな!」頭の中でぺいに話しかけた。次に、最後に敷いたバスタオルの半分をぺいの身体の上に掛布団のように被せた。安らかに眠れよ・・・。そして、バスタオルの上に、買ってきた花を一本一本並べていった。でも、花を並べていると、全部並べ終わる前に、花や葉っぱで、ぺいが埋もれて見えなくなりそうになった。これは、ちょっと買いすぎたかな・・・。棺の中に買ってきた花が入りきらない。結局、花の茎を短く切ったりする事で、買ってきた花の全てを棺の中に納める事が出来た。花の一本一本が、天国に行っても幸せに過ごしてほしいと思う気持ちだったし、一本一本に、ありがとう!という、感謝の気持ちを込めながら並べた。正直、ぺいは猫だから、花より団子で花になんか全く興味なかったけど、天国に行ったら、沢山の花で埋め尽くされた温暖な世界で、他の動物たちと楽しく幸せに暮らせよ!と思った。 

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 外を見てみると、もうそろそろ日が暮れてきそうだ。母は帰るようだ。「じゃあ、また明日、気をつけて!」「うん、分った!」「もう、この前みたいにぺいは見送ってくれないね・・・」つい先日、母が玄関から出て行くのを見送っていたぺいの後ろ姿が頭の中に蘇ってくる。もうぺいは動かない。いくら願っても動かない。もう二度と、もう二度と、あの時の後ろ姿を見る事は出来ない。

 

  今日は、ぺいと過ごせる最後の夜。私が寝るベッドの直ぐ横に、痛みや苦しみから解放され、安らかにぺいが眠っている棺を、私と頭の方向が同じになるように並べてみる。「ぺいちゃん、一緒に寝ような!」「ぺいちゃん、おやすみ~」ぺいの耳に届けるように意識して伝えた。ぺいと一緒に寝る事の出来る至福の時間。これが最後の至福の時間。そんな幸せを噛みしめて、部屋の明かりを消した。そして、隣で寝ているぺいの事を思いながら目を閉じた。

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