「神様からの贈り物」

~扁平上皮癌との戦い~

2014年3月 愛猫「ぺい」に、突然、癌が宣告されました。
それでも、再び元気になれる奇跡を一緒に夢見て頑張った記録です。
ありのままの事実を、感じた事を全て残しておくことにしました。

一周忌

あの日から一年。今日までの一年という日々は、ぺいと別れることになった最後の一年を、再び辿るかのようで、とても辛い一年だった。そうして迎えた命日という特別な日。大きな節目に思えた。だから、とびっきり立派で、世界一、人間から愛されていた猫に相応しい命日に絶対にしてやるからな。そう思いながら過ごしてきた。それにしても、一周忌が日曜日という巡り合わせが凄く嬉しかった。なぜなら、一日中、頭の中を全部ぺいの事だけで全部埋め尽くして過ごせると思ったからだ。でも、これは偶然の巡り合わせではないのかもしれない。実は、ぺいと神様が最初からセッティングしてくれていた事なのかもしれない。私には、何故かそう思えた。

 

ぺいが旅立ったのは、十三時半だった。でも、十三時頃から凄く苦しみ始めた。だから、今日は、十三時から仏壇の前でぺいの事を偲ぶ予定だ。だから、今日は準備が何かと忙しい。もちろん、母も、昼頃、来てくれる事になっている。まず、とにかく命日は、真っ先に神社にお参りをしようと決めていた。そこで、朝、九時半頃には家を出て、いつもと同じように拝殿の前に立ってみた。本当に神様には感謝の気持ちでいっぱいだ。今日は、命日という日、あらためて神様に何を伝えるべきか考えてみたのだけど、とにかく伝えたいことは一つだけだった。それは、「神様、ぺいと本当に会わせてくれてありがとうございます」これだけだ。もちろん、ぺいを失ったことは悲しかった。でも、一度きりの人生、もし、人生の目的が、喜怒哀楽による思い出を少しでも多く綴る事なのだとしたら、こんなにも色々と感じることが出来たということ自体、本当に恵まれていたという捉え方も出来る。そして、そう考えると逆に全てが凄く感謝すべきことのように思えてくるから不思議なものだ。もちろん、今日という日は、ぺいにも、あらためて心の中で思っていたことを一つ一つ伝えたかった。「ぺい、色々なものを残してくれてありがとう」「ぺい、楽しい時間を本当にありがとうな」「ぺいと出会えて良かったよ」「いつまでも忘れないよ」「天国で幸せになれよ」「幸せに過ごせよ」もちろん、天国でぺいの近くには神様もいるように思えた。だから、今、ぺいに伝えた気持ちが、そのまま隣にいる神様にも届くと良いなと思った。それは、あらためて一周忌という特別な日に、ぺいに感謝の気持ちを伝えたことで、もっと、もっと、ぺいが、神様や周りの猫から羨ましがられて幸せに暮らせると良いなと思ったからだ。こうして、まずは、朝一、この一年で整理出来た正直な気持ちを神様とぺいに伝えた。そして、拝殿を背にして神社を出るとき、節目という日に、しっかり気持ちを整理出来た気がして、少し気持ちが楽になった。

 

そうして、それから今度は、そのままの足で花屋へ向かった。花といえば、ぺいが旅立って間がない頃から、仏壇には生花を一日たりとも欠かさないようにしてきた。それと、特に、毎月の月命日には、必ず新しい生花に取り替えてきた。なぜなら、生花を絶やさず、月命日には、活き活きとした生花を活けることが、ぺいに気持ちを示すもののように思えたからだ。それで、「ぺいは花より団子だったけどな~」なんて事を口にしながら枯れてきた葉や花が目に付いたら手入れを続けてきた。もし、花が途絶えたり枯れてしまったら、ぺいに申し訳ない。そんな感覚があった。そして、もちろん面倒なんて微塵も感じなかった。むしろ、新しい生花に取り替えたり、花の手入れをしていたら、ぺいが喜んでくれているような気がして嬉しかった。そういえば、手術が無事に終わって桜の季節を迎えることが出来たあの日、桜の花を見た時のぺいは、きょとんとしていたけど、花の手入れをしている時、あの時、心に抱いていた希望が頭に蘇ってきて涙が溢れてきた事もあった。

 

 話を戻そう。私は、花屋に到着した。開店直後だ。店頭には活き活きとした花が所狭しと並んでいる。とにかく今日はぺいが旅立った日。特別な日だ。だから、私のぺいに対する目には見えない思いを、特に一周忌という今日という日は、目に見える花で思いっきり表現出来る日だと思ってきた。それと、花の購入予算については、何となく三千円から四千円程度で考えている。とにかく、まずは、百合の花を真っ先に探すことにした。火葬の時もそうだったけど百合の花は必ず用意したいと思っていたからだ。あとは、夏という季節柄、ひまわりの花が目に留まった。ひまわりは、明るい黄色で四方八方に大きく開いた花だから、本当に活き活きしていて、そして、伸び伸びと、理想的な生き方を表現しているように思えたので、ひまわりの花も加えた。あとは、高価でも南国の花やバラの花も大切なぺいに相応しい花のように思えたので迷わず加えた。そして、菊の花も一色ではなく色々な色のものを揃えて、とにかく、たくさんの花を購入して自宅に戻った。でも、仏壇の周囲は狭くて上手く花を飾れそうにない。そこで、部屋の隅に仏壇を移動して、その周囲に豪華に飾ることにした。それと、命日のお供え物は仏具以外にも、生前に使っていた食器も使用して豪勢にしたいと思っていたから、引越しの時に遺品を纏めたダンボールを引っ張り出して、その中から食器を探した。それにしても、どの遺品を手に取ってみても、その一つ一つに本当に色々な思い出があって、遺品の全てがぺいの分身のように思えてくる。見つけた食器は、もう一度、綺麗に洗って仏壇の前にセッティングした。

 

 そして、着々と準備を進めていたら予定通り母が到着した。母は、ぺいが生前に目の色を変えて食べた豚肉を湯通ししたものを持参している。それで、それを、お供えして手を合わせてくれた。私は、凄く豚肉を持参してくれたことが嬉しかった。そして、この感情は、ぺいの喜びではないかとさえ思えた。そうして、そんな母は、正午頃には、用事があるという事で、一時間程、部屋で過ごして帰った。私は、ぺいが旅立った時刻には、母と部屋で一緒に過ごす事になると思っていたけど、こればっかりは、色々と用事があるようなので仕方がない。とにかく、私と母への思いは、線香をあげる為だけに暑い中、遠路を自転車で来てくれた事が嬉しかった。

 

さぁ、私もぺいのために豚肉と鶏のもも肉を買ってきている。でも、豚肉は、母が、お供えしてくれたので、私は、鶏のもも肉を、たっぷり湯通しして、お供えとして食器の中に入れた。ぺいには、最後に、もう一度、本当にお腹いっぱいに美味しいものを食べてほしかったからだ。それと、生前は癌で水が飲めなくなってからは、喉が凄く渇いただろうから、飲み物の食器には、たっぷりの水を入れた。今日は、好きなだけ思う存分に食べて飲んでほしかったのだ。ちなみに、今日、使用するロウソクは、毎月、月命日だけに使用してきた燃焼時間が長くて少し値段の高いロウソクだ。そうして準備していたら、ついに予定していた一時になった。そこで、ロウソクと線香に火を点けて、燃えるロウソクの炎を眺めていたら、一年前の出来事が鮮明に蘇ってきた。辛い。そして、ロウソクの炎が消えた。時間は、一時十五分過ぎ。まだ、ぺいが旅立った時刻までには時間がある。もう一度、新しいロウソクと線香に火を点けた。今度、この二本目のロウソクが消えるまでの時間、それは、ぺいが最後の最後に苦しんでいた時間という事になる。そして、炎が消えた時、それは、ぺいが息を引き取って間もないタイミングということになる。私は、目を閉じて、ロウソクの炎が消えるまで、ひたすら黙祷して、ぺいの事だけを一心に過ごす事にした。それは、ちょうど一年前、ぺいが感じた苦しみを、あらためて感じ、そして、それを共有することで、ぺいの苦しみが少しでも和らげば良いなと思ったからだ。それにしても、目を閉じていると途方もなく時間の経過が長く思えた。そして、ついに鼻に煙の臭いが漂ってきた。目を開けてみるとロウソクの炎が消えている。永遠には続かない炎。炎の灯火と命の灯火が重ってしまう。時計を見ると、一時三十五分だった。

 

ついに終わった。あれから一年。再び、同じ日の同じ時刻が過ぎた。さぁ、片付けなければ・・・。仏壇は、部屋の中の常に行き交いする場所に移動していたので、このままにしておく訳にはいかない。だけど、片付ける前に、一周忌の様子を写真や動画に納めておかなければと思った。写真については、仏具を取り揃えたインターネット上のショップにペット供養のコーナーがある事を知っていたので、そこに投稿する事で供養の一部にしたかったし、ぺいと一緒に癌と戦った日々の事を本にしたいと思っていたので、写真を撮っておけば本の中で紹介出来るとも思ったからだ。それと、動画の方は、特に撮影目的はなかったけど、この日の様子が全て音も含めて記録出来るので、ついでに撮影しておこうと思ったという感じだ。それにしても、昨年末、引っ越してきたこの場所は、神社に近くて、窓を開けていると神社の木々からぺいの大好きだった蝉の鳴く声が大合唱のごとく聞こえてくる。その蝉の声を聴いて思った。今こうやって鳴いている蝉たちは、この夏限りの命。決して来年を向かえることはない。生と死。生に永遠はない。ぺいは、自らの死を悟ったとき、どんな気持ちで残された時間を過ごしたのだろう?そういった事も心に感じながら動画を撮影した。これで一周忌という大きな区切りが終わった。そして、あらためて丸一年という時間が経過したのだと思った。最後に仏壇は、元の場所に戻して、生花は、その仏壇の横に何とかスペースを確保出来たので、そこに飾ることにした。

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時間は流れてゆく。あの日と同じ夏の日。夜、ぺいと出会ってからの思い出を、あらためて振り返っておこうと思い出会ってから間もない頃に使い捨てカメラで撮影した写真や、パソコンの中に保存してある写真や動画を見ながら過ごしていた。そして、ふと思った。ぺいの生涯を綴ったアルバムを作ろう!もちろん、作ったアルバムを、ぺいに贈ることは出来ない。だけど、私が、ぺいの事を思いながらアルバムを作ったら、きっとぺいが喜んでくれる。物は贈れなくても文字は贈れるように思えたからだ。そこで、インターネットで、「猫 アルバム」というワードで、何か良いアルバムがないか探してみると、幾つかの猫のアルバムがあった。それにしてもインターネットは本当に便利だ。ただ、アルバムは、ずっと形として残る大切なものになる。だから、一晩だけ注文は見送ることにして、翌日、何も心境が変化していなければ注文しようと思った。こうして、一周忌という大切な日は、ぺいが喜んでくれたであろう事を想像しながら、無事、終えられた事も嬉しくて満足感に浸りつつ眠りについた。

 

そして、翌日になり、朝、いつものように真っ先に仏壇に目を向けてみた。すると、なんとなく、なんとなくだけど、ぺいが、もう、この世から本当に、そして、完全に旅立ってしまったような気がした。それは、ぺいが旅立って以降、初めて感じた感覚で凄くさびしい感覚ものだった。でも、この世に全く未練なく、最後に、「ありがとう!」という言葉を残して、旅立ってくれたような・・・、そんな感覚もあった。もしかしたら、魂というものは、一周忌を迎えるまでは、この世に少し残っているものなのかもしれない。だけど、あれから一年が経ち、あの息を引き取った時刻に、もう一度、ぺいの事を見送ったことで、きっと、微笑みながら気持ち良く、この世から完全に離れることが出来たように思えた。そして、その事が、何より私は嬉しかった。