「神様からの贈り物」

~扁平上皮癌との闘い~

まだ数年は続くと思っていた、愛猫「ぺい」との平凡な日常。
しかし、その後の誤診と突然の癌宣告...。
それでも、再び元気になれる奇跡を一緒に夢見た記録です。

八月十六日(土)

今日は休日。昨日、とにかく、今日は一日中、家にいて、ぺいと同じ空間で同じ時間を少しでも多く過ごしたいと思っていた。もちろん、この数か月、いつも同じように思ってきた。だけど、今まで以上に、一分一秒でも一緒に過ごしたいと思ったのだ。もう奇跡は起きない。容態は悪くなる一方だ。でも、何もしてやれない。癌の痛みに堪えている時に、むやみに名前を呼べば負担になるはずだ。撫でたりしても負担になるだろう。テレビの音はうるさく感じるはずだ。だから余程の事がない限りテレビは見ない事にした。もし見ても何とか聴こえるぐらいの小さい音量で見るようにした。食事だって、今までと変わりない量を胃に強制的に注入されたら消化が負担になるに違いない。だから、朝と夜、注入量は、合わせてシリンジ二本弱に留めるようにした。一時期、五~六本分を注入していた頃もあったから三分の一程度まで減らす事になる。今の私に苦しそうなぺいにしてやれる事といえば、これぐらいしかない。とにかく一緒に過ごせる時間は、私にとって一番大切なもの。それを、一秒単位でしみじみと感じている。そして、今日は、一週間ぶりの休日。一日中、ぺいと一緒に過ごせて心の底から嬉しかった。ぺいも同じ気持ちでいてくれたら嬉しい。

八月十五日(金)

朝、起きると同時に真っ先にぺいの様子を確認した。緊張しながらの確認。死んでないだろうか?そんな心配が募るほどに状態が悪化している。良かった。また新しい朝を迎えられた。なんとか生きている。健康であれば何気ない一日一日という時間をクリアしてゆくという事が、今のぺいにとっては、とてつもなく長く苦しいはずだ。

 

 それと、夜、帰宅後、最近少し気になっていた蛆虫の事について、インターネットで詳しく調べてみる事にした。なぜなら、蛆虫が湧いてくるといった表現を聞いた事はあるけど、考えてみれば、全くの無の状態から生き物が自然に発生などするはずないと思ったからだ。それで、調べてみると蛆虫とはハエの幼虫で、やはり自然に湧いてくるものではなくハエが幼虫を産み付けるという事が分かった。その幼虫こそが蛆虫なのだ。そう言われてみれば、それはそうだよなと思った。ぺいが床に寝た時には、口から出た腐敗物が床に付着する。それで、私は、床に付着した腐敗物に部屋に入ってきたハエが幼虫を産み付けて、それが瞬く間に成長して蛆虫になったのだろうと思った。

八月十四日(木)

一目で、どう見ても容態が悪化してきている事が分かる。それも著しく。見るに堪えない。ぺいの名前を口に出す事さえ躊躇してしまう。なぜなら、名前を呼べば気を遣わせてしまって、負担を掛けてしまうからだ。それでも、小さい声でやさしく呼んでみる。やっぱり、尻尾すら振ってくれない。それどころではないはずだ。そんな事は長い付き合いだから手に取るように分かる。それにしても、名前を呼んだ時、尻尾すら振ってくれないなんて過去に一度もなかった。もう、尻尾を振って返事をする余裕もない。もう、どうしても助からないのか?癌になって余命を宣告されたら百パーセント死ぬしかないのか?奇跡はないのか?世の中に絶対なんてない。そんな思いで頭の中が一杯になる。もし、あの時、何も医療を施さなかったら?自然の成り行きに任せていたとしたら、三月の中頃から食事が出来なくなって四月には死んでいただろう。あの時はそんな状況だった。でも、あれから手術をするという選択をして、食事は胃瘻チューブから与えるようにしてきた。だから、今、一緒に過ごしていられるのだ。そして、何とか命だけは繋げている。でも、そうやって半ば強制的に命を繋いだことによって生じている痛みや苦しみでもある。それで、今、ぺいは、それに懸命に耐えている。俺は、生体実験をしているのか?いや、決してそんなつもりはない。でも、自然の成り行きに任せていたら、生じる事のなかった苦しみ。結果的に、それらを感じさせてしまっているという判断が、本当に正しかったのか?ぺいの見るに堪えない様子、徐々に死へと追い込まれていく姿。はっきり言って、発狂したかった。でも、もしあの時、手術をすれば確実に延命出来た命を、所詮ペットだからと、手の平を返したかのように突き放して、自然の成り行きで餓死させる事なんて絶対に出来なかった。それと、もう一つの安楽死という選択肢だって、命を強制的に絶つという選択肢は、ペットの意思を明確に理解出来ない限り、それは、人間の勝手なエゴになると思った。もし、ぺいが安楽死なんてしたくないと思っていたら、私は、二度と取り返しのつかない判断ミスを一生背負わなければいけなくなる。だからそんな選択、絶対に出来なかった。そして、色々考えに考え抜いて、ぺいと一分一秒でも一緒にいたいという自分自身の気持ちこそが、唯一の正解で、それは、共に暮らし心を通わせてきたぺいも同じ気持ちのはずだと信じたのだ。だから今までの選択と今の状況に後悔はない。でも、心から愛するぺいの今の現実を目にすると、私も死ぬほど苦しい。決して逃げられない精神的な拷問とも言える苦しみ。それでも、ぺいの苦しみに比べれば全く取るに足らない。しっかりしなければ。 

八月十三日(水)

夜、またぺいを廊下に出してやろうと思って玄関のドアを開けてやった。いつもなら直ぐ外に出て行こうとする。でも、今日は、ドアが開いた事は、目で見て認識出来ているのに出て行こうとしない。あれほど興味があった世界なのに、もう満足したのだろうか?もしかしたら、好奇心が満たされたという事もあるのかもしれない。でも、多分、とにかく体調が悪くて、もう外に出たいという気持ちにさえなれないのだろう。そういえば、ベランダの方にも、数日前から一歩も出なくなった。もう、早朝や夕暮れ時に外の風を感じたり、空を飛ぶ鳥を見る余裕さえないのか?かなり容態が悪化している。

八月十二日(火)

夜、洗濯をした。洗濯機は昔ながらの二槽式を使っている。単に壊れないから二十五年ぐらい使い続けているけど、二槽式の洗濯機は、簡単に洗濯漕の中に水だけ溜めた状態に出来る。この日、洗濯機をそんな状態にしてパソコンに向かっていた。すると、突然、「バシャ!」という水の音が洗濯機の方から聞こえてきた。あっ!と思った。直ぐ洗濯機のある場所に走った。やっぱり、ぺいが洗濯漕の中に落ちている。こんな事は初めてだ。ぺいは無我夢中で、水の中から脱出しようとしている。でも、体力が落ちているから自力で脱出なんて出来る訳がない。私は、瞬時にぺいを水の中から引き揚げた。今のぺいは、下顎がなくて口が開いたままの状態になっている。この状態だと、少しでも体が水に沈みこむと喉に水が容赦なく流れ込む。舌だって動かせない。だから、もし少しでも助けるのが遅かったら本当に危なかった。

 

それにしても、このところ、ぺいは、とにかく水という水に引き寄せられている。多分、癌に冒されている部位が熱いからなのだろう。ことさら最近は、洗濯漕の中に溜めた水に手を入れる事が目立ち始めていた。だから、洗濯漕に水を溜めた時には、必ず蓋をするように注意をしていた。だけど、この時に限っては、ぺいは洗濯機の近くにいなかったし、溜めているのは洗剤を入れてない真水だと思って、つい少しの時間であれば大丈夫だろうと思ってしまったのだ。それと、普通、猫は、水に濡れれば、身体や頭を振って水を弾き飛ばす。でも、ぺいには、もう、とてもそんな元気すらない。当然、舌も動かせないから濡れた毛の毛繕いも出来ない。そういった理由もあって、その後、濡れた身体をタオルで拭いてやったのだけど、もし、元気な時であれば、拭いていると逃げ出そうとする。でも今は、ただ、私に濡れた身体を成すがまま拭かれるだけ。それにしても、本当に申し訳なかった。もっと注意していればと思った。でも、ぺいは、私が一目散に駆けつけて助けてくれた事を、しっかりと認識してくれていて、気のせいか、その事を凄く心地よく感じてくれているように思えた。私は、目には見えないけど、何となくだけど、心のどこかで確実に感じられる魂の繋がりのようなものが嬉しかった。私とぺいの絆は、ぺいの容態が悪くなってから、益々、強くなっている。健康な時はもちろんだけど、容態が悪い時にこそ精一杯の愛で包んであげる。この数か月、そんな気持ちで接してきた。それを、少しでも心地良く感じてくれているなら嬉しい。そして、十数年という間、一緒に暮らしてきただけではなかったのだと、愛に包まれたのだという事を生きていた時の記憶として刻んでくれると嬉しい。