「神様からの贈り物」

~扁平上皮癌との闘い~

まだ数年は続くと思っていた、愛猫「ぺい」との平凡な日常。
しかし、その後の誤診と突然の癌宣告...。
それでも、再び元気になれる奇跡を一緒に夢見た記録です。

八月二十一日(木)

起床と同時に緊張しながらぺいの姿を探した。もう、こんな朝が一週間も続いている。昨晩もぺいの事が気になって殆ど眠れなかった。今日も頑張って生きていてくれている事が確認出来た。でも、容態は日に日に目に見えて悪化している。だから、単純に喜べない。苦しそうな姿を見ていると複雑な心境だ。そういえば、昨晩は、ベッドの上に一度も上がってこなかった。もうジャンプなんて到底無理なんだろう。それにしても、昨晩は、一晩中ペタペタと部屋の中を歩きまわっていた足音が耳に残っている。痛みや苦しさで、眠っていられなかったのだろう。それでも、一つだけ幸いな事があった。それは、部屋の中に血溜まりは見当たらなかったという事だ。一番の心配事だった出血は、ひとまず収まったようだ。これで、何とか今日一日も命を繋げると思えた。そこで、会社に向かう前に母に電話を掛けた。ひとまず出血が止まった事を伝えて、今日のところは何とか大丈夫そうで、やっぱりこちらには来なくても良いという事を伝えた。なぜなら、高齢の母に度々足を運んでもらうのは申し訳なくて、極力、来てほしいと、お願いするのは、最小限にしたかったからだ。そうして、母への連絡を終えて家を出た。でも、その後も、ずっとぺいの事が気になって仕方がなかった。今、部屋のどこで、どうしているだろう?大量出血していないだろうか?もし、帰宅した時に死んでいたら・・・。やっぱり、母に来てもらっていた方が良かったかも?そんな事ばかり考えていた。そうして時間は過ぎ、私は、仕事を定時に終わらせて一目散に自宅に急いだ。最近は、玄関のドアを開けても部屋の中はシーンとしている。もうかれこれ、お出迎えは一か月ほど前からない。大丈夫か?凄く緊張する。部屋に入ってみると、フローリングの床に姿を確認する事が出来た。でも、目は開けてくれないし、尻尾だって微動だにしない。唯一、お腹の動きで、何とか生きてくれている事だけは、暫く見ていると認識出来た。良かった。「ぺい、帰ったよ・・・」とボソッと声に出してみる。きっと、私が、外出していた長い間、孤独に苦しさに耐え寂しかったに違いない。でも、こんな容態だから、身体に触ったり、話し掛けたりすれば負担になる。私は、ぺいの直ぐ傍に座って、ぺいの様子を詳しく見てみた。舌は途中で折れたように後方に反り返っている。それもそうだ。直接、舌が床面に接する度に折れ曲がって、その時間が長くなったことによるものだ。もう元の状態には絶対に戻りようがない。毛繕いをしていた舌。時々、「ぺい、口から舌出てるよ」と、言い聞かせながら何度となく手でつっついた舌。水道の蛇口から新鮮な水を口の中に運んでいた舌。今日は珍しく口を斜め上にして寝ているから上顎の内側まで良く見える。上顎の内側も乾燥して皮膚が黒く爛れている。本当に痛々しい。

 

 あれ?そう思った時、一瞬、何か白いものが上顎の内側に見えた。注意深く見てみると、上顎前歯の直ぐ内側に直径一ミリぐらいの穴が一センチほどの間隔で二つ空いている。こんな穴あったっけ?いつからあるんだ?そう思った瞬間、その穴の奥で何か白いものが動いた。え?何?そこで、暫く穴の中を凝視していると、今度は、その白いものが一瞬だけ穴の外に顔を出した。「何だよ、こりゃ!」私は、やっと、白く見えたものの正体が分った。それは何と蛆虫。以前、あの時、床で見た蛆虫だ。これで全てが理解出来た。「え、おい、ちょっ・・・ちょっと待てよ・・・」という事は、昔、あの部屋の中を舞っていたハエが、ぺいの上顎に蛆虫の幼虫を産み付けていたのか?それにしても、そもそも上顎は、度々、水に浸けていたというのに、よくもそんな場所に寄生出来たものだ。これこそ、青天の霹靂。「ふざけんな、まだ生きてんだぞ!」「蛆虫なんて。もう、本当にいい加減にしてくれ!」大切なぺいなのに。まだ生きているのに。蛆虫なんてあり得ない。蛆虫なんて・・・。癌で苦しんでいるというのに、それを喜ぶかのように蛆虫が寄生して元気に生きて動いている。こんな事、どう考えても絶対にあり得ない。どこまで精神的に打ちのめすのか。今にも気が狂いそうになる。もしかすると狂っていたかもしれない。とにかく蛆虫を摘み出す事にした。摘み出す・・・ピンセット?ピンセットがほしい。でも、ピンセットなんて家にはない。早速、買いに出掛けた。ぺいは、買って戻ってきても外出した時と何一つ変わらない状態で床にいる。私は、早速、ピンセットで憎い蛆虫を摘み出す事にした。でも、そう易々と簡単には摘み出せない。蛆虫の白い体が穴から少し出てきたタイミングで、すかさず摘んで引っ張り出すしかなかった。そして、まず一匹目を引っ張り出した。何て大きいんだ。長さは、一センチ強もある。それも、丸々と太っている。こんなやつが上顎の中に住みついて動き回っていたのか!もう、本当に勘弁してくれ。本当に。私は、完全に心の中で発狂していた。気を取り直して、もう一度、上顎を覗いて見る。すると、まだ白い物体が穴の奥で動いている。再び、穴から少し出てきたところをピンセットで摘んで引っ張りだした。二匹目も一匹目と同じぐらいの大きさだ。そう思った時、ぺいが目を覚ました。でも、まだ穴の中には白い物体が見えている。私は、ぺいが再び寝るのを待った。そして、暫くしてから、また蛆虫の摘み出し作業を再開した。それにしても、下顎は癌で腐敗して完全に失われたというのに、それで、唯一残っていた上顎まで、どうして蛆虫なんかに食い荒らされなきゃダメなのか?まだ生きてんだぞ!いい加減にしてくれ!最初の蛆虫を引っ張り出してから三十分ぐらい経っていた。無我夢中で、結局、十二匹もの蛆虫を摘み出した。それも全て一センチ強の大きさだった。よくもこんなに大量の蛆虫がいたものだ。どれほど不快だった事だろう。もしかして、最近上顎を水に浸けていたのは、この蛆虫が原因だったのか?どうして、もっと早く気づいてやれなかったのか?本当に申し訳なかった。そんな気持ちと、あまりにもショックな現実。本当に頭がおかしくなりそうだ。ちなみに、私は無駄な殺生は一切しない。だから、普段、例えば部屋の中に虫が迷い込んできても外に逃がすようにしている。でも、ぺいを食い物にする蛾や蛆虫だけは憎くて仕方がなかった。「こんちくしょう!」私は、蛆虫をティッシュに包んでトイレに流した。暫くすると、ぺいが立ち上がった。フラフラだ。また足腰が立たなくなってきたようだ。そう思った時だった。少しだけ歩いたところでグシャっとぺいの身体が倒れた。生きていても歩けなくなったら本当に困ってしまう。この先、どうなってしまうのか?

 

 その後は、夜遅くになって、また、出血が酷くなってきた。もう、ベッドの上には上がれないから、フローリングの上には赤い血が付着している。私は、ぺいが移動する度に付着した血を拭き取った。そうして、寝る前に食事をシリンジ一本分だけ注入した。本当は食べ物の消化どころではないはずだ。だけど、出血している分、食事で少しでも栄養を補わなければならないと思った。

八月二十日(水)

 今日も朝起きると真っ先にぺいの姿を緊張しながら探した。日に日に容態が悪くなっているから凄く緊張する。そして、直ぐにフローリングの床面に姿を見つける事が出来た。でも、死んだように横になっている。もしかして・・・。少し焦った。ただ、良く見てみると、お腹が弱々しいながらも呼吸で動いている。まだ大丈夫だ!良かった。また一緒に新しい一日を迎えられたと思った。とりあえず姿は見つけられたけど、深夜の間に何か変わった事がなかったかを確認する為に部屋の中を見渡してみる。また糞が一つ落ちている。以前と同じ一センチほどの固形の糞。いつものようにティシュで摘んで捨てる。でも、糞だけであれば数日前からの事。想定内の事なので特に驚きはなかった。ただ、この日は、いつもと違うものが目に飛び込んできた。それは、血溜まり。直径一~三センチ程の血溜まりが床面に四か所もある。深夜、出血したようだ。ぺいは、私が寝ていた間も、ずっと苦しんでいたに違いない。私は、その間、悠々という訳ではないけど横になって寝ていたのだ。ぺいが苦しんでいるのに何もしていない、してやれない自分。そんな事を思いながら血溜まりの一つ一つを拭き取った。とにかく今日も仕事だから、あまり感傷に浸っている暇もない。ひとまず、いつものように流れ作業で身支度を済ませた。そして、「ぺいちゃん、行ってくるからな~」と声を掛けながら玄関へ歩いた。すると、ぺいが私の後を追って歩いてきた。昔であれば、日常的だった見送り。いつも足を噛んできたので逃げるように部屋から出る事も多かった。あの頃は悩まされたけど、今は、本当に良い思い出。ただ、それだって、つい最近までは、ごくあたり前だったのだ。あと何日、あと何回、見送って貰えるのだろうか?見送りしてくれるという事が、どれだけ嬉しくて思い出に残る事か・・・。そう言えば、一晩経って、また何とか歩けるようになってくれたようだ。でも、凄く大変なはずだ。それなのに、今日も見送りをしてくれるぺいちゃん。ありがとう。本当は、ずっと、一緒に部屋にいてほしいんだよな。俺だって、一分一秒でも一緒に過ごしたいよ。でも、仕事だから仕方ないんだよ。「ぺいちゃんごめんな.・・・」本当に辛い。泣けてくる。私は、部屋を出る時、「ぺい、行ってくるよ~ぺいちゃん」と声を掛けた。そして、後ろ髪を引かれる思いでドアを閉めた。

 

 それから、日中は、仕事をして、日も暮れた頃、ぺいに早く会いたい、そんな衝動を抑えつつ、半分走るほどの駆け足で自宅に戻って、緊張しながら玄関のドアを開けた。ぺいはどこにいる?大丈夫か?すると、直ぐ、ベッドの上に姿を確認出来た。さらに、部屋の中に入ってベッドに近づいてみると、何と、ベッドの上に敷いていたタオルが血で真っ赤になっている。それも、今までとは明らかに違う色。鮮血だった。過去に見たことのない大量の出血。ぺいは、うつ伏せになっている。私は、それを見て発狂した。「ぺい、もう頑張んなくて良いよ」「ぺいは充分頑張った」「皆、頑張ったけど、ぺいが本当に一番頑張った」「他の誰よりも一番頑張った」「世界で一番頑張った」「もう大丈夫だよ!ありがとうぺいちゃん」そんな言葉を何度も何度も繰り返した。もう、こんなに苦しくて辛い思いをするぐらいなら、一分一秒でも早く楽になってほしい。そんな思いだけだった。私は、ずっと、ぺいに「頑張れ!頑張れ!」と、声を掛けてきた。でも、ぺいは、今まで本当に一生懸命頑張ってきた。もう充分だから!もう本当に大丈夫だから・・・、もう本当に・・・。心からそう思った。とにかく、ベッドの上のタオルを取り替えなければならない。タオルは二枚重ねにしていた。なのに、鮮血は、その二枚のタオルも、シーツカバーも通り抜けてシーツにまで達している。あまりの出血だ。そういえば、今日は水曜日だから、日中、母が来てくれていたはず。そこで、出血の連絡も兼ねて日中の様子を聞いてみた。私は、まず大量出血の事を伝えた。続けて、日中の様子も聞いてみると、日中は、特に出血なんてしていなかったそうだ。ただ、兼ねてからぺいの舌が黒ずんでいたり膿が付着しているのが気になっていたので、手で舌を洗ってくれたそうだ。もしかしたら、舌を洗った影響で出血したのかもしれない。話を聞いていて、そんな事を少し思った。でも、いずれにしろ遅かれ早かれ出血は避けられなかったに違いない。そもそも、母だって、ぺいの事を思って舌を洗ってくれたのだ。だから、私は、舌を洗ってくれた事に対しては、「あっ、そう・・・」という言葉だけを母に返した。そうして、ひとしきり話しをして、最後にお願いを伝えた。「明日、もしかしたら死んでしまうかもしれないから、日中、こちらにいてほしいんだけど・・・」母からは、「分った」という言葉が直ぐに返ってきた。私は、ぺいが最期を迎える時、傍に誰もいなくて、帰宅してみたら冷たくなっていたという事だけは、とにかく出来る限り避けたかったのだ。ぺいと一緒に頑張ってきた私と母。最期は、そのどちらかが、傍にいて看取ってやりたい。きっと、母だって同じ気持ちだったのだと思う。

八月十九日(火)

昨晩は、これまでで一番徘徊していた。一晩中、ずっと、三十秒置きぐらいの感覚でベッドの上に上がったり床に下りたりを繰り返していた。ベッドに何度も上がってくるという事は、本当は、ゆっくり眠りたいに違いない。でも、きっと痛くて苦しくて、じっとしていられないのだろう。ぺいがそんな状態だったもんだから、私も、このところ連日、良く眠れなくて寝不足が限界点にまで達している。身体が重い。でも、ぺいに比べれば全く取るに足らない。ぺいは必死に頑張っている。私が睡眠不足なんかで弱音など吐ける訳がない。そう自分に言い聞かせた。そして、身体に鞭を打って会社へ向かった。

 

 それから、日中は、ぺいの事を一時的に忘れる為に、逆に仕事に没頭するようにして、仕事を終えたら一目散に家路を急いだ。そして、玄関の扉を開けた。えっ!余りの酷い状態に目を疑った。何と水場の水が血で真っ赤に染まっている。外出する前に綺麗な水に取り替えていたのに、まさに真っ赤な血の海。ぺいは、その血で染まった中に上顎を沈めている。大丈夫か?大丈夫であるはずがない。人間でもこんなに出血したら一大事だ。それほどまでに大量に出血している。それも人間よりも遥かに身体の小さい猫の出血。尋常でない。ひとまず、直ぐに水を綺麗なものに交換した。すると、ぺいは綺麗な水の中に再び顎を浸けた。また見る見るうちに水が血で染まってゆく。そして、暫くして水を見てみると、また真っ赤に染まっている。まだ水を取り替えたばかりだ。五分ほどしか経っていない。私は、その後も水が真っ赤になる度に綺麗な水に交換した。それでも、水は直ぐに血で染まる。五回程繰り返した。本当にキリがない。そんな事を思いながら水を取り替えていると、ぺいが水場から離れた。そして、部屋の中に移動してフローリングの床の上に横たわった。私も、それであればと部屋の中に移動して、暫くしてからは、パソコンデスクに座ってインターネットを見ながら過ごしていた。すると、突然、背後から聞きなれない音。何かと思って振り向いてみると、ぺいが床からベッドの上に上がろうとしたようで、音の正体は、ジャンプに失敗した音だった。ベッドの高さは床から三十~四十センチぐらいなのに、たったそれだけなのにジャンプ出来なかったのだ。そして、ジャンプに失敗した時、ベッドの上に敷いてあったタオルに前脚の片方の爪を引っ掛けてしまって、タオルと一緒にベッドと床の間で宙ぶらりんの状態になっていたのだ。ぺいはこちらを向いている。私は、直ぐにぺいと目が合った。その時、気のせいか凄く気持ちが通じ合えたような感覚があった。私は、やれやれ、仕方ないなぁ~と思って、直ぐ前脚の爪からタオルを外してやった。ぺいは、自分の状況が不甲斐ない事を百も承知していたのだろう。それと、私が、直ぐに手を差し伸べてくれる事も分っていたのだろう。目が合った時、何か感じるものがあったのは、そういう事なんだろうと思った。

 

 その後のぺいは、ベッドに上がるのを諦めた。そして、時間が過ぎ、私は、ベッドの上でテレビを見ていた。すると、フローリングの上で立ち上がろうとするぺいの姿が目に入った。だけど、今度は、足腰が砕けるように、突然、その場に倒れてしまった。何がどうしたというのか?ぺいは、自分の身体が思い通りにならない事が、少し不思議そうな様子だった。そして、暫くすると気を取り戻せたようで、また、再び立ち上がろうとした。今度は何とかふらつく事なく、すくっと立つことが出来た。立ち上がれたぺいは水場の方に歩いていく。でも、酔っ払いのように、フラフラして上手く歩けていない。身体が左に逸れながら歩いているかと思えば、今度は右側に逸れながら歩いている。一体どうしたというのか?もう、これは、いよいよ本当に危ないと思った。これから先、体の自由が利かなくなったら水場にも砂場にも行けなくなってしまう。思ったように動けなくて寝たきりになってしまったら、どうやって生きてゆくというのか?それと、以前は、最期は、バスルームの中だと思っていたけど、もうそれは絶対にないなと思った。なぜなら、バスルームに入るには、床から二十センチ程ある段差を越えなければならないからだ。こんなにフラフラしていたら段差を越えるなんて絶対に無理だ。

 

 それと、この日、もうやめようと思った事がある。それは、ぺいの写真や動画を撮る事だ。ぺいが癌になってから、写真や動画を撮ってきた理由は、心のどこかで奇跡を信じていたからだ。でも、もう本当に危ない。そもそも、今までは差し迫った命の危険を感じる事なんてなかった。でも、もう、こんな状態にまでになったぺいを撮影するなんて、精神的に絶対に無理。もう、無理・・・。絶対に。そう思った。

八月十八日(月)

ますます腐敗が進んでいる。癌は腐敗して居場所がなくなりそうになると新天地を求めて隣へ隣へと浸潤してゆく。そして、元々、全く問題のなかった場所すら腐敗させてゆく。腐敗というよりは溶けてゆくという感覚の方が近い。私の大切な、私の愛するぺいの身体が容赦なく溶かされてゆく。気が狂いそうだ。それと、この日の夜、三か月ほど装着してきた涎掛けを外す事にした。それは、決して涎が止まったからではない。腐敗が限りなく喉にまで侵食してきたからだ。このまま涎掛けを首に巻いていたら、もう少しで涎掛けの布が今にも侵食された箇所に直接触れてしまいそうだ。もう涎掛けを首に巻く事すら出来ない。それほど腐敗が進行してしまった。

 

 この先、本当に、どうなってしまうのか?夜、十二時前、ぺいは、ベッドの上にいる。うつ伏せで目は閉じた状態で辛そうにしている。もう完全に下顎がない状態で上顎が直接ベッドに接している。それで、舌は完全に折れ曲がって百八十度逆向きに反り返っている。本当に痛々しくて見ていられない。そんなぺいの様子を注意深く気にしていると、「うぅ~」という小さくて苦しそうな声が聞こえてきた。「苦しいよぉ~、まだ生きてたいよぉ~」そう私には聞こえた。私は、思わず「ぺぃ~」と、小さい声で応えてやった。この時、私が小さい声で応えた理由は、ぺいの苦しさも気持ちも全部分っているよ。今、ぺいの傍で寄り添っているよ。ぺいの全てを温かい気持ちで包んでいるよ。そんな思いだった。もう、手で撫でてやる事も、ぺいの名前を普通に声に出すことも出来ない。それほどまでに容態は悪化している。だから、私は、ぺいの声に応えて、やさしく返事を返してやる。それが、精一杯の出来る事だった。

八月十七日(日)

朝、起きてみると、またしても一センチぐらいの小さな糞が部屋の中に落ちている。今回は、二か所に見つけた。前回と同じ固形の糞だ。一昨日あたりから、砂場では、一度も糞をしていない。おそらくこれから先、糞は部屋の中にするのだろう。砂場まで移動するなんて、凄く大変なはずだ。しかし、驚きなのは、糞は部屋の中で済ませても尿の方は必ず砂場で済ませてくれるという事だ。糞も尿も砂場まで行く事には変わりないのに尿を部屋にしてしまうと迷惑を掛けてしまう。ぺいは、そんな事まで考えてくれているのだろうか?こんなに辛い状況なのに、自分の事だけでなく、私の事も考えてくれているのか?本当に最後の最後まで・・・。私は思った。ぺい、お前の事なら、なんだって許せるのに。なんでも許してやるのに・・・。本当に本当にありがとうな。部屋に落ちていた糞の処理をしながら心の中で何度も思った。一体、私は、今まで、どれだけぺいの事を考えてきただろうか?ぺいが私の事を意識してきた気持ちの深さや広さに比べたら、私なんて、本当に浅くて遠く及ばなかった。ぺいの事を、もっともっと大切に、もっともっと深い愛情で包んでやれば良かった。

 

それと、一週間程前から就寝後の深夜にも、ベッドから下りたりベッドへ上がったり、部屋の中を徘徊したりする事が徐々に増えている。それが、昨夜については、殆ど一晩中それを繰り返していた。きっと、痛みで、ゆっくり寝てもいられなかったのだろう。正直、私もそんなぺいの様子が気になって、特に昨夜は、殆ど眠れなかった。もう、かなり寝不足が溜まっている。正直、辛い。でも、ぺいの辛さに比べれば辛いの「つ」の字を語る事すら遠く及ばないだろう。どんなに辛くたって、大好きなぺいの辛さの一部でも共有出来ているかと思えば嬉しさすら感じる。だから、この先、どんなに辛くても絶対に頑張ろうと思った。そうして、そんな思いを胸に会社へ向かった。そして、その後、仕事終え足早に帰宅してみると、日中、さらに容態が悪化の一途を辿ったようで、ぺいは、水場で鼻も水に浸かるばかりに、なりふり構わず上顎を水の中に浸けている。見ていると、水の中から少し顔を上げて、それで息継ぎをした。そして、再び水に浸けるという動きを繰り返している。目も苦しそうに一点を見つめるように顔を上げ下げしている。何もかも本当に見るに堪えない。そばで寄り添ってやる事すら負担を掛けてしまう。そんな状況にさえ思えてきた。